Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

2005年03月24日

韓国最新事情

 3月3日より6日まで韓国ソウルに赴き、韓国の外交官、研究者、ジャーナリスト等と意見交換してきました。「韓国は『左傾化し』、中国、北朝鮮に過度に傾斜している」という、一部日本マスコミの報道を検証するための旅でしたが(検証の結果は、「韓国指導部の思考はバランスを回復してきている」というものでした)、ちょうど竹島問題が両国間で再びイシューとなった時期に当たってしまい、いろいろ考えさせられました。
 以上をまとめて、次のとおり報告します。

(1)日本・韓国は中国以上に文化的な類似性、及び「アジア・クール」現象

  韓国の伝統工芸品、現代のデザインを見ていると、中国以上のセンスの一致を感ずる(日本では語られることが少ないが、有田焼をはじめ中世日本の陶磁器は秀吉の朝鮮遠征で連れてきた朝鮮の陶工に負っているのだから当然の話である。)。大衆文化は韓国も俗であるが、貴族文化の洗練度は時として日本を上回る。ソウルの街並みは昨今の上海、北京ほどの活力は感じさせないが(15年前はまさに今の上海のような活気があった)、経済発展を成就してから10年は経た蓄積と落ち着きを感じさせる。

  上海、北京、ソウル、台北と回ってみると、街の様子が整ってきたばかりでなく、青年たちが以前の「アジア的」な集団主義的で没個性的な群れであることから脱皮して、自覚を持った個人になりつつあることがうかがえる。欧米の青年の教養・文化水準が下がっている現在、東アジアは「アジア・クール」とも言うべき魅力と洗練度を加えつつある感を抱く。

(2)経済発展によるマインドの変化と冷戦終焉が可能にした「古き体制の否定」

 今回出張前に、国際交流基金が招待した韓国若手作家キムヨンス氏の講演を聴きに行った。「90年代に登場した韓国の作家たちは、それまでの没個性的でイデオロギー的な反体制の立場等、すべての桎梏から離れ、個人として個人の感覚を大事にして歴史も見直すようになった。村上春樹の没イデオロギー的で、個人の感覚に耽溺したアプローチが大きな影響を与えた。『春樹現象』と呼ばれている。」という、彼の言葉が印象的だった。

  今回ソウルで見聞したことは、右の言葉を裏付けるものだった。ノムヒョン大統領の側近には、軍政の時代に学生運動の先頭に立っていた者が多いが、彼らは軍政の時代を米国従属で腐敗した時代と定義し、政権についてからは米国に対して刺々しく、中国と北朝鮮に傾斜した姿勢を示すと同時に、国内においては大宇のように財閥の崩壊を容認してまで、分配の強化を進めたのである。

 韓国においては(台湾もそうなのだが)、権力中枢における世代交代が既に起きている。若い権力者達はその力の源泉を直接民主主義的な手法に求めており、それは大統領権力の大きさで担保されている。議員内閣制の日本とは、種々の問題において対応に差が出る所以である

(3)困難な局面の日韓関係

 前回訪韓した15年前に比べれば、韓国人も日本に対してはるかに余裕をもって接するようになった。冒頭から謝罪を迫るような知識人には、今回出くわさなかった。盛り場には日本語表示もちらほら見られ、日本食も進出している。ロッテホテルには「ヨン様」の等身大ポスターがいくつもあって、日本の女性が並んで記念撮影をしている。日韓関係は、明らかに相互関心と相互の敬意を伴う、新しい段階に達している。 しかしながら今回島根県議会が「竹島の日」を制定する条例を採択したこと、またそれに先立ち日本の大使が国交正常化40周年関連行事を紹介するための外国マスコミとの懇談会で、テレビ朝日の韓国人記者の質問に答えて竹島の領有権問題についての日本政府の見解を正面から説明したことが「友情を語りながらその実、領土を狙う」非誠実な行為として韓国マスコミ等に受け取られたこと、しかもその懇談は1919年の反日「3.1独立運動」の記念日の直前に行われたこと等から、大統領府、韓国マスコミ、識者も黙っているわけにはいかなくなった。

  小生のソウル滞在中は、韓国マスコミも未だ抑制した見方をしていたが、その後実際に条例が採択されたし、「日本は朝鮮を併合していた時代に、『いいこと』もやった」との趣旨を強調してある扶桑社の検定歴史教科書の内容が事前に明らかになるに及んで、韓国側の反発はエスカレートした。

  韓国のマスコミは日本が竹島を奪還するとは思っておらず、扶桑社の教科書が実際には普及していないことも知っているが、一度反日の火の手が上がると「黙るか加わるかせざるを得ない」。韓国世論は日本に対して過敏に過ぎると思われているが、その時代は過ぎつつあったところに、日本側からの悪い材料が重なりすぎ、挑発と受け取られたということである(その点は、日本で知られていない。日本側には韓国が突然また竹島問題で声を上げていると誤解している者が多い)。現政権の幹部には軍政時代弾圧された者が多くおり、対米、対中関係などを「軍政時代の過去と決別するとの観点から、自分なりの目で見直して」きたが、今回の件をきっかけに対日関係にもそれが及んだ、とも言える。

但し、日韓の歴史問題に関する23日のノムヒョン大統領の国民向け談話も、「日本と我々は宿命的に避けることのできない隣人だ。」とも述べる等、基本的には前向きのものとも思われる。これ以上、双方が対応をエスカレートさせることがなければ、当面の悪材料は出尽くしたとも言える。また、日本の大衆レベルでは対韓感情も温かいままである。この数年の関係改善が、両国関係をより高い基盤に乗せていたことを願うしかない。

(4)踊り場にさしかかった対北朝鮮政策

 東アジアにおける2つの分裂地域、朝鮮半島と台湾は、興味ある相似性をある一面で見せている。双方の地域とも当事国及び関係国は建前は別として、本音ではStatus quoの維持、もしくは段階的な問題解決を最も望んでいる、ということである。朝鮮半島においてかつての枢要な地位を取り戻しつつある中国にとっても、在韓米軍との間の緩衝地帯と位置づけている北朝鮮が消滅することは困るのである。

  他方ノムヒョン政権は、北朝鮮の開城工業団地への参加を韓国企業に強く要請する等、北朝鮮を敵ではなく同胞と見、圧力をかける代わりに支援することで開放化と自由化を促進しようとした金大中政権の「太陽政策」を継承してきた。しかし、北朝鮮側がこのような韓国側の好意を無視して核問題等で日韓米中を翻弄するのを見て、韓国内部には方向の喪失感が一部に見られる。

  北朝鮮の核兵器問題については、韓国人はこれを実は民族的な誇りと感じているのだ、との指摘も日本国内では見られる。しかし今回の取材相手が異口同音に述べたのは、「北朝鮮の核が日本の核武装をもたらし日本の自主防衛能力が高まると、米国の存在が相対化されてしまい、韓国は拮抗関係にある日中両国に挟まれてしまう。これは、韓国にとって悪夢のシナリオで、だからこそ北朝鮮の核は本音で除去したいのだ。」とのことであった。

(5)中国への過度の傾斜から、米国の再評価へ

  ノムヒョン大統領側近の「3・8・6世代」(30代で、80年代に大学を卒業し、60年代に生まれた世代)は、軍政を支えていた米国を敵視する学生運動をやっていた連中である。そしてノムヒョン政権の出現は、大国としての中国が出現した時期と一致した。中国は既にこの数年、韓国にとってのNo.1の貿易相手国になっており、韓国業界は我先に対中投資を急いでいる。従って、軍政時代の対米従属の見直しを目指したノムヒョン大統領周辺が「米国でも日本でもない大国」中国に当初大きく傾いたのも理解できることである。

  他方、日本にとっては「中国、あるいはロシアに席巻された朝鮮半島」という、明治以来の安全保障上の悪夢が蘇りつつあった。しかし、事態は当面深刻な様相は呈していない。昨年、中国学界が「高句麗は中国の属領であった」との見解を公にしたことが韓国世論の目を覚まさせたようで、今では「3・8・6世代」も「中国や日本のように朝鮮半島に隣接しておらず、野心のないバランサー、仲介役としての米国」の重要性を再認識しつつある。

(6)アジアにおける集団安全保障強化について

  アジアではNATOのような集団安全保障機構がないことが、長年指摘されている。その理由については種々の説明が成されてきたが一言で言えば、「その必要がなかったから。日米安保をはじめ、米国と各国の間の二国間の取り決めでやっていく方が効率的だったから。」ということにつきるだろう。 NATOは2つの目的を持っていた。1つはソ連からの攻撃を抑止すること、もう1つはドイツが軍事大国として復活することを抑え、この国を全欧協力の枠組みの中に取り込んでおくことだった。この観点から東アジアを見ると、ソ連、中国からの攻撃に核兵器をもって対抗できるのは米国一国しかなく、日本が軍事大国として復活するのを抑えるには、米国以外のアジアの諸国の力は弱すぎた。アジア版NATOを作る意味はなかったのである。

  しかし敵としてのソ連、中国が消失し、韓国、中国、ASEAN等が力を付けてくると、東アジアでのアメリカの地位は次第に相対的にならざるを得まい。急激な変化は避けるべきであるが、東アジア・シー・レーン安全保障スキーム等を作り、日本、米国、中国が牽制しあって互いに覇を唱えられない体制を将来立ち上げることも考えておくべきだろう。

アジアにおいては、朝鮮半島、台湾をめぐる情勢、日本をめぐる戦争の記憶等多くの問題が解決されない限り、西欧におけるような集団安全保障体制は作れない、というのがこれまでの大多数の意見であった。だが今回まわって感じたことは、そうした問題が解決するのをいつまでも待っている必要はない、朝鮮半島、台湾のような問題こそ、まさに多国間の解決保証メカニズムを必要としているのではないか、北朝鮮をめぐる6ヶ国協議は次第に集団安全保障体制、あるいは少なくとも集団協議体制に似てきているではないか、であるなら東アジアの集団安全保障を平和的に処理するための多国間協議メカニズムを益々強化していけるではないかということであった。(了)

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