Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界はこう変わる

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2009年07月28日

ユーラシアという視点

(これは「外交フォーラム」09年6月号に掲載されたものだが、時が経ったのでここに全文を掲載しておく)

ユーラシアはもともと一つ
イスタンブールの海辺に立つ。右手には紺碧のマルマラ海、左手には両脇が絶壁の河のようなボスポラス海峡が黒海の方へと延びていく。その高さ五十メートルはあろうかという空中にボスポラス大橋が白い雄姿を浮かべ、千二百万人都市の大動脈として車の往来が絶え間ない。古来、この地域は東西の境目と言われてきた。だが、それは本当か? ボスポラスの東と西は、それほど違うのだろうか?
僕がこのイスタンブールで買った、錦織のようなネクタイがある。まるで日本の錦織と同じだと思っていたが、ある時ガンジス川のほとりの聖地ベナレスに行ってみると、その薄暗い路地の奥はまるでテクスタイル・デザインの宝庫といった趣を成していて、そこの問屋のひとつで出会ったのがまた、「日本の錦織とそっくりの」織物だった。つまり中近東、中央アジアは、西欧・ロシアの植民地主義によって分断されるまでは、西はモロッコ、トルコ、東は中国の新疆地方、南はアフガニスタン、パキスタンはもちろん、インド北部まで及ぶ単一のオリエント文明圏であり、「大航海時代」までは西欧をしのぐ文明と力を有し、中国、ヨーロッパ双方に影響を与えていたのだ。

古代インド北部を支配してリグ・ヴェーダ等を作り出したのはペルシャ系人種だったし、16世紀ムガール王朝創始者は北方から侵入したウズベク族の王子バブールだった。アフガニスタンにモンゴル軍が侵入して灌漑施設を破壊するまでは、この地域には豊かな農耕文明が花咲き、今でもヘラートには大きなモスクがある。

ユーラシアと言うと、まるでバラバラに散乱したマンモスの骨のように、つかみどころのない感じを我々は持つ。だが、中央アジアからウィーンまでは飛行機で五時間しかかからない。五千キロの距離は、遊牧民族の馬で日に百キロずつ進んでいけば、二ヵ月もかからず踏破できる。だから中国、ペルシャ、インド、エジプト、ギリシャ、ローマ、西欧、これらの文明は個別に発展したものではない。四千年、五千年の歴史を誇る中国も、現在の広い版図を確立したのは女真族の作った清王朝で、その昔中国を統一したとされる秦の始皇帝の家柄は、西域諸民族の血統に強くつながる。故宮の裏の北海は、その昔モンゴルのフビライが作らせた人造湖で、広州の港までペルシャの船が運んできた異国の物資が大運河を通ってこの北海の畔で陸揚げされていた。

北海の瓊華島のてっぺんには、大きな白い塔がたっている。これはチベット仏教を信仰していた清の順治帝が建てたもので、少し下がったところのお堂には、ラサのポタラ宮を建てたダライラマ5世の像が鎮座している。現在の中国地域の文明は、西域のソグド人(現在のウズベキスタン、タジキスタン)、ペルシャ人、そして遊牧諸民族がいわゆる漢民族と一体となって育んできたものなのだ。かの安禄山はソグド人とウィグル人の混血だし、唐の首都だった西安の郊外からは当時の宮廷に仕えたソグド人貴族の墓が次々と発見されている。

西欧諸国がその文明の源と称する古代ギリシャやローマ帝国も、似たような状況にある。古代ギリシャ文明はエジプト、メソポタミヤ、フェニキヤなどオリエント、地中海文明のいわば辺境に存在するものであり、ギリシャ神話の神々の多くは現在のトルコなどの土俗の神々だった。日本人はまだ西欧コンプレクスから抜け切れずにいて、その証拠に中世のルネサンスもまるで真空から湧き出たように、「進んだ西欧に」当然のように現れたものだと思っている。だが既に何人かの学者が指摘しているように、ルネサンスの背景となったイタリア諸都市の繁栄は、東南アジアにおける香辛料生産の急増や、モンゴルのオリエント統一――広い地域が無関税、一つの市場になった点では、現在のEU拡大とも似ている――による物流の急増によるものでもなかったのか? 

ユーラシアはもともと一つであり、諸文明は中央部のオリエントによって結びつけられていたのだ。

帝国の崩壊と、甦る「中央ユーラシア」
草原が広がるユーラシア大陸では古来、武力に優れた者が都市国家を束ねては広域の帝国を作ってきた。アレクサンドロス大王、イスラム、チンギス・ハン、オスマン・トルコなどがその代表例で、西欧が範とあおぐローマも武力で作られた帝国だ。ロシア帝国、そして明王朝は、モンゴルによる支配をいわば裏返して作られた帝国である。

これら帝国が崩壊するたび、その領域は力の真空地帯となって情勢を不安定化させてきた。第1次世界大戦はオーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国の双方が崩壊する中で起きたし、1991年のソ連崩壊はウクライナ、グルジア等コーカサス諸国、中央アジア諸国に至る広大な地帯で、大国間の鞘当を今に至るまで引き起こしている。

ソ連の崩壊は他面、周辺地域における古い文化・経済上のつながりを復活させた。19世紀、ロシア帝国が中央アジアを植民地化し、それがソ連時代まで続いたことによって、オリエント文明圏は新疆ウィグル、ロシア帝国内の中央アジア、大英帝国のインド、オスマン帝国下の中近東等に分断されることになったのだが、ソ連の崩壊によって、この地域の枠組みは再び流動化した。

「中央アジアはロシア文化圏の一部で、ロシア人の国々」という誤解からは早く卒業し、この「中央ユーラシア」とも呼ぶべき地域を中央アジア、アフガニスタン、パキスタン、インド、イラン、中国新疆地方等の相互連関の中で捉えていかなければならない。「中央アジア」、「南西アジア」、そして中近東と分けて考えることはもはや適当ではない。

中央アジアもそうだが、ソ連崩壊のあとのNIS地域では、独占的な影響力を行使できる国がない。NIS諸国は経済的・軍事的に頼れる相手を探しているのだが――これら諸国を動かすものはイスラムや共産主義などの精神主義ではなく、安全と富の確保という切実な欲求である――欧米諸国は本気で関わる覚悟はない。ロシアは力を回復してきたが、NIS諸国は西側、ロシア、中国を天秤にかけ、最大限の利益を引き出す姿勢を崩さない。他方、中央アジア、コーカサス諸国の側には、それぞれが団結して国際的影響力を高めようとする姿勢は見られない。つまり、この地域で独占的指導力を発揮できる国はなく、言ってみれば五すくみ、六すくみの状況にあるということだ。

米国がアフガニスタンでの作戦に重点を置いていること、中央アジア諸国に石油・天然ガスが多いことからも、中央ユーラシアで活動している国、国際機関は多数に上る。従って、この地域の情勢を理解しようと思ったら、世界中の主要国の政治・経済まで知っていなければならず、またこれら地域諸国における利権構造の特徴も心得ておかなければならない。

「グレート・ゲーム」? 
否、五すくみ・六すくみが実態

ここで、この地域で重きをなす諸勢力の特徴をまとめておこう。まずロシアだ。この国は、せめて中央アジアだけは自己の「勢力圏」として死守したいと思っているのだが、いくつかの限界を持っている。一つは、アフガニスタンに兵力を派遣するつもりがないために(1979年の侵入で失敗したトラウマが残っている)、タリバンを脅威ととらえる中央アジア諸国に万全の安全を保障してやることができない。だからロシアの肝いりで作られた「集団安全保障条約機構」(CSTO。冷戦時代のワルシャワ条約機構の現代版)についても、中央アジア諸国はこれにメリットを見出していない。CSTOの強化はいっこうに進まず、ウズベキスタンは4月初めの外相会合への参加を直前でキャンセルする始末だ。ロシアは2000年以降、油価に依存しての高度成長を遂げ、中央アジア諸国に融資を行えるようになったが、融資であれば西側も中国もやっている。だから、ロシアは中央アジア諸国に対する切り札を持っていない。これまでロシアは、中央アジア諸国の天然資源輸出ルートを独占してきたが、カザフスタン、トルクメニスタンを中心にこれを迂回する動きが強くなり、ロシアの地位はこの面でも揺らぎつつある。

米国は、冷戦終了後、中央アジアにさしたる関心は示さなかった。「ここはロシア、中国の持ち場である。米国は彼らの既得権を侵すことなく、相応の関係を維持していく」というのが、僕が現場の米国外交官から聞いた話である。

9月11日事件以降中央アジアは、アフガニスタン作戦の足場としてにわかに重要性を増した。だがこれまでさしたる経済援助もしてこなかったから、米国の中央アジアにおける地歩は弱かった。ロシアが憤慨するのを尻目にウズベキスタンのハナバード、キルギスのマナスで基地を借りたのはいいが、日本とは逆で米国側が基地使用料を払ったのだ。しかもウズベキスタンからは2005年に撤退を迫られ、半年で完全撤退している。キルギスでも基地賃貸料交渉がもつれ、バキーエフ政権から立ち退き要求をつきつけられている現状だ。

なおブッシュ政権の時代、米国の一部勢力がこの地域の民主化、市場経済化を急いだあまり、この地域の諸国は米国に「レジーム・チェンジ」をはかる危険な国、とのレッテルを貼るに至った。オバマ政権はこの面では穏健な政策を標榜しているが、中央アジア諸国は当分、米国に対する警戒心を解かないであろう。

中国と中央ユーラシア
中国は数年前まで、中央アジアには積極的な関心を示していなかった。歴史上も、中国諸王朝の軍がフェルガナ盆地を越えて中央アジアに攻め込んだことはない。中国にとっては、とにかくこの地域が落ち着いていて、新彊地方のウィグル族独立運動を支援するようなことがなければよかった。ウィグル族の独立運動を支援しかねない米国よりも、ロシアが中央アジアを支配している方が望ましいとさえ思っていただろう(但し中国はインドに対抗することも念頭においてパキスタンと緊密な関係を保ってきており、新彊地方からはハイウェーを通ってペルシャ湾入り口に近いグワダール港に出ることができる)。

ただ、その中国の政策にもやや変化の兆しがある。ロシアとの摩擦要因が出てきたのかもしれない。中国はカザフスタンから既に原油輸入を始めているが、現在はトルクメニスタンから大量の天然ガスを輸入するため、長路パイプラインを建設中である。中央アジアの資源、特に天然ガスの独占を狙うロシアのガスプロムはこれを嫌い、北京などで反対のロビー活動を繰り広げている。ロシアと中国がイニシャティブをとって作った上海協力機構においても、これを反米的な集団安全保障機構としたいロシアの目論見に対して、米国を過度に刺激することを避けたい中国が抵抗してきた。

こうしてロシアとの摩擦要因が高まれば、中国は中央アジアにおける米国のプレゼンス強化をむしろ支持する方向に転ずるかもしれない。アフガニスタンにおいても、中国は最近カブール近くにある銅鉱山の利権を得たし、麻薬の流入を防ぐためにも、対米協力を強化してもいいと思っているかもしれないが、インドはそれに強烈に反発するだろう。ユーラシア中央部の政治力学において、インド・中国間の対抗心は一つの基本的な要因となっていて、インド・パキスタン関係もその関連で動くことがある。

インドは、パキスタン、中国に対抗していく上で、中央アジアに若干の意味を見出しているが、本格的対応をするだけの力は持っていない。パキスタンはアフガニスタンのタリバンを支援しているため、中央アジア諸国からは警戒されている。イランは中央アジアと同じイスラムだが、攻撃的なシーア派であるために、警戒されている。ただしペルシャ系人種が支配的なタジキスタンにおいてイランは、90年代内戦に加担した上、現在ではインフラ建設支援等を通じて地歩を築いている。

トルコはソ連崩壊と同時に、トルコ民族の故地中央アジアに大トルコ文明圏を復活するチャンスと見て進出をはかったが、そのやり方が性急、かつ自分の利益追求中心と見られたために、中央アジア諸国の心をとらえるには至っていない。NATOは米国に引き込まれてアフガニスタンで活動しているが、中央アジアについては自分に関係のある地域とは見ていない。ここは欧州文明の範囲外だからNATOによる安全保障措置の埒外にあり、EUが外交、通商関係を展開していればそれで十分、というのがNATO側の立場である。但しアフガニスタンの麻薬が新彊地方を通って中国に大量に流入しているため、中国は上海協力機構を前面に立ててこの面でのNATOとの協力を申し入れ、NATOもこれに応じようとしているようだ。

各国の思惑が交差するアフガニスタン
古来、国際情勢の中心はユーラシア大陸にある。米国も、ユーラシアに地歩を持たなければグローバルな大国ではあり得ない。米国の関心が集中する箇所に、ユーラシア、ひいては世界の矛盾の襞が集約してきたのだ。それは冷戦時代にはソ連の核ミサイルだったし、1989年にはベルリンの壁、そして中東の石油、イスラエルは常に米国の主要関心事項だった。今オバマ政権がアフガニスタン安定化に政策重点を置いたことにより、この国とその周辺が現在、国際政治の大きな結節点となっている。

ところがアフガニスタンをめぐっては、いずれの国も独力ではその目的を達することができず、これまで対立してきた相手とさえ協力せざるを得ない皮肉な状況となっている。例えば米国は作戦用物資をアフガニスタンに搬入する上でロシア、中央アジア諸国の協力を必要としている。ではロシアが強い立場にあるかと言うと、同国の決定的な弱みは既に述べたように国内世論がアフガニスタンへの(再度の)派兵を絶対許さないことにある。こうして中央アジアも含めたアフガニスタン周辺諸国、そしてロシア等の域外大国は米国にある時は協力、またある時は反発しつつ、アフガニスタンをめぐる米国との貸し借り関係の中で虚々実々の外交を繰り広げている。

なお、中央アジア諸国が産する石油、天然ガスはそれぞれ世界の総産出量の5%以下しかないが、近年生産量が大幅に伸びている油田、ガス田はこの地域に集中しているので貴重な存在だ。これらはほぼ全量がロシア領を経て西欧に輸出されてきたが、対ロ依存を嫌う西欧は石油についてはロシア領を通らないパイプラインを既に完成させており、天然ガスについても「ナブッコ」と称する南回りのパイプライン建設を目論んで、ロシアの策する「サウス・ストリーム」パイプライン建設構想に対抗している。4月初め、ロシアのガスプロムがトルクメニスタンからのガス輸入量を唐突に激減させたが、これも右の争いに関係がある。

「大陸」に関与して失敗しないために
日本は海洋国家である。ユーラシア大陸に死活の利益を持っていないし、海千山千の大国、中小国が入り乱れて利益を奪い合うゲームに加われるだけの経験と機動性を持っていない。大陸に関わろうとした日本は古来、ほぼ全ての場合において失敗してきたのである。従って日本は、ユーラシア大陸におけるゲームに深く関わるべきではない。

だが日本外交の主要舞台は東アジアの海洋地域だと言っても、その地域で中国やロシアなど大国が示す力は、後背のユーラシア大陸における彼らの力、地歩を反映したものなのだ。だとすれば、日本もユーラシア大陸で何もしないということはないだろう。日本が中央アジアでそれなりの地歩を維持していれば、中国もロシアも日本に一目おかざるを得まい。日本が中央アジア、アフガニスタン、パキスタン等で実行してきたODAプロジェクト等、絶対額は対中、対ASEANほどでなくとも、現地では甚大な効果を持つ。この地域の道路網の改善などを進めているアジア開発銀行(ADB)も、日本は米国と並んでその最大の拠出国である。日本はこの地域の情勢をかなり変えることができる存在なのである。

それはユーラシア中央部での「プレイヤー」と言うよりは、むしろ「バランサー」と言うに近いものだ。政治的・軍事的野心がない、しかしかなりの国際的地位を有する国として、この地域諸国の自立、発展を助けていくことが日本外交のあるべき姿なのだと思う。中央ユーラシア諸国の自立を強化・発展させるという点において、日本と中央アジア諸国の利益は完全に一致しているのである。
政治大国とはみなされていない日本は、あらゆる提携相手を見つけて外交上の力としなければならない。中央ユーラシアにおいてはいわば時を超えて「歴史と組む」と言うか、歴史にこの地域諸国の潜在力を見出し、これが復活するのを助けることで自分も力を得るのだ。                                  河東哲夫                                  (了)

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