「東アジア文明」の誕生? ソウルでの随想
2009年5月はじめのソウルで考えたこと、まだ全然まとまったものではないが、メモとして書き連ねておく。
○ソウルを見ていると、東アジアがこれまでとは質的に異なる存在になってきたことが感じられる。これまでのように世界から二流扱いされたところから、かつての西欧のように、世界文明の中心になってきたと言うか。
アジアと欧米を旅行して比べてみると、繁栄、そして文化、文明の中心はアジアの方に向かって動き始めたのではないかとつくづく思う。
(北京の街角。ちょっと裏に入ると、そこはもう昔懐かしい胡同ではあるが)
○今、東アジアの諸国の大都市は、昔、僕が若かった頃憧れた西欧のように、快適で清潔になった。
ソウルの板門店で、後ろを歩くドイツ人女性が連れに説明していた。
「ドイツでは韓国人が看護夫、やってるの」
「それで大丈夫なのかい?」
「アジア人ってハンサムだし・・・・・」(はにかんだ笑い)
この会話は、実はすごいパラダイムの変化を表す。「醜い黄色人種」というステレオタイプがひっくり返りつつあるのだ。西欧が武力でアジアを凌いだ、1800年以来のパラダイム変化なのだ。アジアの若者は実際、ずいぶんきれいになったし。ウォッシュレットのおかげだけではなくて、姿、顔形も。
そして10年ほど前、青木保氏などが指摘していた、「東アジア諸国の大都市はその外貌が似てきた。(時によって同じランドスケープ・デザイナーが歩道や並木のデザインに関わっているのだから、似るのも当然なのだが)青年も文化を共有している」という状態が、ますます高じてきた。
「東アジア文明圏」が誕生しつつある、などと言うとすぐ、「大東亜共栄圏を思い出すからやめてくれ」という声が上がるのだが、中国の儒教、韓国の繊細で洗練された感覚、日本のモダンなデザインなどがブレンドされた、かなり相似性の強い一つのゆるい文明圏がその形を益々明らかにしてきたのは事実ではないか?
○青年の「個」としての意識も強くなっている。街を歩く老年層と青年層は、ただ体格だけでなく、歩き方や顔の表情までが全く違う。先輩、目上の者にやたらとへりくだらなければならない権威主義は、多くの青年達から消えつつある。
そしてかつては身の回りの国際関係だけに気を奪われていた韓国人も、今では国際会議などで全アジアそしてグローバルな視点からの発言を積極的にして、目立とうとする。東アジアが今後連携を強めた場合、ソウルはEUにおけるブラッセルのような存在になる可能性がある。
日本人はよほどリーダーシップや、異なる民族の間を調整する術を磨かないと、本当に極東のガラパゴスになってしまうだろう。
○そして経済が発展するにつれ、人々の荒々しさも角がとれ、余裕が出てきた。韓国もベトナムも日本も所詮は、洗練された中国宋王朝の士大夫文化の継承者として、互いに競い合っていくのか?
故宮やソウルの旧王宮を見ればわかるように、東アジアの君主の住居は質素なようだ。西欧の華美とは全然違う。これは士大夫の価値観なのだ。
○韓国は80年代に高度成長を始め、88年にオリンピックをやり、その後20年たって近代的な市民社会を立派に定着させた。ということは、昨年オリンピックをやった中国も、2030年頃には今の韓国くらいに近代化されているだろうということか? 中国の場合、あと20年もたてば大変な老齢化社会になってしまうが。
(休日の家族づれ。もう東京だかソウルだか北京だか、わからなくなっている。これは09年5月のソウルの情景)
○日本は元気がない。ソウルより経済は良いはずなのに。ソウルでは街角の雰囲気が明るい。
(というわけで、今回はソウルの好印象ばかり並べることになった)
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