資金不足に陥ったロシア経済
2月までのモスクワは、「経済危機」一色だったが、2月中旬にはルーブルの下落は止まり、銀行融資は徐々に再開し、株価も上昇に転じた(それでもまだ、株価総額は上場企業手持ちの現金総額を下回るそうだ)。これをもって「ロシア経済は底を打った」と評する専門家さえ出始めた。トロイカ・ディアログというロシア最大の証券会社のチーフ・エコノミストであるガヴリレンコフ氏は、09年のGDP成長率はプラス3%にはなるだろう、と言いはじめた。
ここでは、そういった前向きと言われる要因を分析してみたい。
河東哲夫
1.ロシアに対外債務を支払うカネはあるか?
(1)ロシアの対外債務は現在4.000億ドル強と推定される。外貨準備は4.000億ドルを切っている。
ならば返済資金が足りないかというと、そこは微妙なところだ。
なぜなら4.000億ドルを今年一気に返さなければならないわけではなく、前記ガヴリレンコフ氏の推計では「元本分1170億ドル、利子支払いを含めて1400億ドル分くらいが本年の返済分で、700億ドル以上の純資本流出はないだろう」ということなのだ。
(2)ただ現在の外貨準備のうち約半分の2.000億ドルは、石油収入のうちの過剰分を税として吸い上げ、将来石油価格が暴落して財政赤字が生じかねない場合のバファーとして保全している「安定化基金」(ハイリスク・ハイリターンの投資を許される国民福祉基金と着実な運用を求められている準備基金の二つに分かれている)の分だと思う。ルーブルで積み上げた分が毎年末になると外貨に転換されて、財務省から中央銀行の所管に移るものだ。
(3)すると今年は返済分だけで、安定化基金以外の分、つまりルーブル・レート安定用に本来使われる外貨準備の殆どを使ってしまう計算になる。大変だ!
と言う前に考えてみると、石油を輸出して得る外貨が毎日流入してきていることを忘れてはならない。
これには、この2~3年、年間30~40%のペースで伸びてきた輸入が急減していることも背景にある。ルーブルが40%も下落したことで輸入品価格も急上昇したから、輸入が止まったのだ。
(1月の消費は増加しているが、これはそれ以前輸入しておいたものの在庫を、インフレを見越した市民が買いあさっているだけだ)。
報道によれば、1月初旬1週間で外準は4260→4265億ドルに増えている。つまり、当時の油価でも外貨準備は毎週5億ドルづつ増え得るということだ。年間で250億ドル、現在油価が回復してきたから年間で750億ドルは外貨準備が増えるかもしれない。
つまり、外貨準備は多分大丈夫だということになる。
(4)これに加えて、「対外債務」とは言いながら、実はそれは他ならぬロシア人自身が海外に逃避させた資金(脱税などのために)がまたロシアに再投資されている分がかなり多いということを勘案するべきだ。
「海外のロシア資金」は常に国境を出入りしているため、正確な推測は不可能なのだが、ガヴリレンコフ氏は大体3.500億ドルと推測する。つまり、ロシア企業が「西側の銀行や証券会社」に対して抱えている負債のかなりの部分は、実は別のロシア人、あるいは本人に対するものであるかもしれないのだ。
2月27日付モスコフスキー・コムソモーレツ紙はクリチェフスキーという経済学者の言として、「2008年1~9月、ロシアの企業は海外のタックス・ヘブンから815億ドル、つまりロシアの対外借り入れの54.6%を得ている。これが全てロシア人自身の資金だとすると、ロシアの民間借り入れの半分は、在外のロシア資金から行っていることになる」と報じている。
ロシアのメディアが、「政府は大金持ちが自分で自分に返済するための資金をくれてやっている」と批判する所以である。
ロシア人がロシア人に返すのならば、少しは延滞してもいいだろうということになる(?)。
(5)だからかもしれないが、ロシア人は対外債務の組み換え(リストラ。要するにこれまでやっていた借り換えを、手数料をやや上げて別の形ーーつまり延滞で行うことだ)に着手している。例えば報道によれば3月、Mirax Groupがロンドンで、1億8千万ドルの債務支払い繰り延べ合意に達した。2007年3月、3年間の期限で発行した債券の償還を繰り延べたのだ(但し返済額を割り増し)。
日本人なら、「借りたカネが返せない」ということになれば電車に身を投げることにもなろうが、ロシア人はじっくり構える。「今払うカネがない。もしお望みなら破産したことにして担保の株券や地所を上げてもいいが、あんたはそれで本当にいいのかね? ウチの株券や地所をもらって、それをどうこうできるのかね?」という意味をこめて西欧の銀行家の目をじっと見つめる。すると西欧の銀行家達は、ロシアの相手を破産させて完全な損失を蒙るよりはましとばかりに、債務支払いの延滞に応じつつあるのだ。だから、人身事故がこれから増えるのは、カネを返してもらえない西欧の方かもしれない。
2月初旬、日本経済新聞が第一面で「ロシアのリスケ」の可能性を報じたために、ユーロは暴落するわ、ロシア政府は記者会見をやってそのような可能性を否定するわ、の大騒ぎになった。これは誤報だったということにされてしまったが、確かにロシア政府が民間債務の全てを代表して一括リスケ交渉をするようなことにはなっていないものの、個々の銀行・企業はリストラ交渉をやっているのだ。
で、この面からも今年の返済必要額は少し減るかもしれない。
2.銀行間、銀行・企業間の金詰り、緩和の機運
(1)既に書いたように、昨年秋信用不安から銀行間、銀行・企業間の金詰りが起きた時、政府は3大銀行に500億ドルの融資を行った。ここから下位の銀行、そこから企業に融資が回ることを期待したのだ。
ところが救済資金をもらった大銀行は、ルーブル価値下降を見込み、その価値を保全するためにルーブルを売ってドルを購入した。このため金詰りは解消せず、他方ルーブル・レートの下降速度は速まった。
(2)しかし2月中旬にはルーブルの下落が止まった。ルーブルの需要が恒常的にある中で、中央銀行が資金供給量を減らしていることが原因だと言われる。ともあれ、これで銀行は企業への融資を再開し始めた。まずドル・ベースで融資し、西側への返済用資金とする例が出てきた。つまり対外債務を国内債務に切り替えつつあるのだ。
政府は更に公的資金の注入を考えている。クドリン財務相は2月5日ロンドンで、「ロシアの大銀行に400億ドルの資本強化を考えている。現金、株その他でこれを行う」と述べている。
「こうして金融が回り始めれば、輸出は戻らなくとも国内生産は戻り、輸入代替生産も伸びてくるだろう」とガヴリレンコフ氏は言う。
2.では政府財政に十分の資金はあるのか?
(1)クドリン財務相は、「09年の政府歳入額は、昨年11月に採択した当初予算案の42%にしかならないだろう」と述べている。ということは、4.2兆ルーブル(約12兆円)ということだ。歳出は約9兆ルーブル予定されていたから、これをいくら削っても(国防予算は15%削減努力中という報道がある。他方プーチン首相は年金を3倍にするべきだ、などと言っている)7兆ルーブルは歳出に必要だとすると、差し引き約3兆ルーブル、つまり9兆円分不足するということだ。
大統領府のドヴォルコーヴィチ経済問題補佐官は、「09年の財政赤字はGDPの8%以内に収めるべきだ」と言っているから、大体平仄があう。
(2)で、この3兆ルーブル、つまり約900億ドル分をどこから見つけてくるか? 本来なら石油収入の余剰分から積み立ててきた「安定化基金」こそ、その財源となるべきだろう。ところが、「安定化基金」のうちかなりは昨年秋以降の救済措置で使われたり、使途を既に決められてしまったりしたものと思われる。
報道された救済措置を合算すると(二重計算があると思うが)1.700億ドルにもなる。これに、本年2月クドリン財務相が言及した、銀行への400億ドルの追加措置を加えると、「安定化基金」の総額を上回るほどの規模になる。
(3)これは荒っぽい計算であるにしても、9兆円ほどにはなると見込まれる財政赤字を賄う財源は見当たらない、ということは言えるのでないか?
これは、政府予算から給料をもらう者が労働人員の3人に1人に達しているロシアでは由々しき問題だ。プーチン首相が大統領の頃から引き上げてきた公務員賃金や年金などが予定通り引き上げられない、いやそれどころか遅配も出てくる、ということになったら、政府でも危機感を持つ者は増えるだろう。
(4)では、どうしたらいいのか? 一つはロシア政府が国債を大増発することだ。できれば外国で、ドルやユーロ・ベースで発行したいところだ。だが金融危機の今、そんな国債を買う者は海外にあまりいない。
では、ロシアの中央銀行が政府国債をどんどん買い上げてルーブル紙幣を大増刷するしか道はない。
GDPの8%分も増刷すればインフレは激化し、それによってルーブル・レートは更に下落してインフレを一層激しいものとするだろう。
だが、1998年8月の金融破綻ではルーブルは4分の1にも切り下がったのに、インフレ率は80%に「しか」ならなかったらしい。今回は通貨介入に使える外貨準備がまだ2.000億ドルも残っているから、それほどのインフレにもならないかもしれないが。
ーーーーーーまあ、そんなこんなで、「ロシア経済は底を打った。株価も上昇してきた」とするエコノミストもちらほら出てきた中で、「いや、これからまだ下がる。これからが正念場なのだ」と言う専門家も多く、僕はまだどちらとも決めかねている。
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