ヨーロッパとは日本にとってナンボのものか? --安保面を中心に そのⅠ 総論
そのⅠ・「ヨーロッパ」を考える上でのいくつかの留意点
2008,12.21
Copyright ©河東哲夫
11月中旬、日本国際問題研究所の派遣でブラッセル、ベルリンのNATO、ロシア関係者と意見交換をして帰ってきた。
自分は1979~82年まで西独ボンの日本大使館に勤務して東西関係をフォローし、1987~89年には東欧課長として崩壊直前のソ連圏との外交を担当、1989~90年にはスウェーデンの日本大使館勤務と、欧州情勢に触れる時期が長かった。
そしてこの間の欧州の変化は政治・経済・社会とも大きなものがあり、感慨深い。それは一言で言えば世界文明の中心から部分的存在への移行、あるいは脱植民地主義化の過程だった。
この機会にNATO、及びEUが最近整備しつつあるEUFOR等独自の兵力(EUが組成した兵力は現在、チャド、中央アフリカ等で活動している。我々にはこれとNATOとの関係が若干理解し難いが、実態は「NATOの活動に米軍が加わっていないもの」に近い。EUFORとNATOの間の分担は定められていないが、現在のところアフガニスタンがNATO、アフリカがEUということになっている)を中心として、欧州の安全保障問題の現状を概観するとともに、それが日本にとって如何なる点で参考になるのか(対米関係や核武装等)、日本とNATOあるいはEUとの間ではどの程度協力の可能性があるのか、について考えをまとめてみた。
なおEUの経済面については既に今年の1月に調査をして、その結果についてはhttp://www.akiokawato.com/ja/cat3/eu_1.phpに掲載してあるので、併せ参照願いたい。
1.日本もヨーロッパもユーラシアの大きな塊
日本人は、ヨーロッパを他のユーラシア諸国とは別個の、「進んだ」文明体として捉えてきた。だが、そのように崇拝することによって、ヨーロッパをかえって日本から遠い無縁の存在にしてしまっているのである。
ヨーロッパは古代ギリシャの時代から、ユーラシア大陸全体との相互作用の中で発展してきたし、今でもユーラシアを形作るいくつかの大きなブロック(中国、ロシア、インド、アラブ等)のうちの一つとして、ユーラシア全体における力のバランスを左右してきている。
そのことは、日本とヨーロッパの付き合いというものが、その両者にとってだけではなく、ユーラシア大陸全体における力のバランスにとっても重要であることを意味している。
日本は、ヨーロッパとの関係を増進することで、ユーラシア大陸全体における政治・経済・心理的な力のバランスを日本に有利なものに変えていくことがでできる。
他方、いずれの大国も日本との関係を緊密化させることによって、東ユーラシアにおける自己の地位を高めることができるのである。
2.「日米欧三極」協力はもはや絶対ではない、しかし・・・・・
これまで日本政府は、「日米欧三極」の対話と協力を重視してきた。だが(言い古されたことだが)中国の力が増大し、米欧とも中国と緊密な経済相互依存関係を結び、これを重視するようになってきた中で、「日米欧三極」はその絶対性を失いつつある。
マッケインが当選していれば、選挙戦中提唱したleague of democraciesを実現する方向で動いたかもしれない。それは実質的には、日米同盟とNATO(米欧同盟)の間で密接な連携が図られることを意味しただろう。
だがオバマは関係国間の調整と連絡の改善を旨とし、league of democraciesのような(米国主導でアグレッシブでという)誤解を生みやすい標語を大上段に振りかぶろうとはしないだろう。
自由・民主主義を強調することで中国を孤立化させようとする目論見は、これからの世界ではもう通るまい。冷戦時代の米ソ関係とは正反対に、現在の米中関係は深い共通の経済的利益で結ばれているからである。
また日米欧がシェアーしている(欧米では日本がそうだとは思っていない者が大勢いるが)民主主義、市場経済といった価値観を開発途上国、旧社会主義諸国に強引に広めようとしたブッシュ政権のやり方は、オバマ政権の下では採用されまい。
「日米欧三極間の協力」、あるいは別の言葉で言えば米欧の力に乗って世界で大きな顔をしていくことは、これからの日本には多分もはや望めないことなのだろう。
しかし・・・現在の日本社会における価値観――それは法治主義、透明性・公平性の重視(いわゆるアカウンタビリティー)、私的所有権の尊重等であり、一部は儒教的価値観、一部は明治以来流入した西欧的価値観に負っている――は米欧との協力なしには維持できない。ユーラシア大陸の大半においては、法の支配の相対性、支配者の行動におけるアカウンタビリティーの欠如、私的所有権の軽視が見られるからである。
(だから自分は、これから当面の世界においては、民主主義・市場経済のような優等生的な価値観を掲げて開発途上国・旧社会主義諸国から反発を受けるよりも、法の前の公平、政府あるいは企業の活動における透明性の確保、私的所有権の尊重など、地に足の着いたわかりやすい価値観を標榜していくのがいいと思っている。
これらの価値観は大衆でも共感を持つことのできるものであり、民主主義、市場経済の本質を表したものだからである)
3.安全保障における日米関係を考える上で参考になるNATO、EU防衛協力
日本が安全保障問題を正面から議論できる状況になってきた現在、NATOにおける米欧の間の分担、権利と義務関係は、日本にとっても大いに参考になるし、参考にしなければならないだろう。
(1)NATOは最初から集団安全保障体制
戦後の米欧関係は、日米関係と東西で一対の安全保障装置を形成してきたが、欧州諸国はその安保政策において戦後日本のようなイデオロギー的安保論争に淫することは少なかった。
NATOはその発足当初からごく当然のこととして、米欧間の集団安全保障条約であるし(NATO条約第5条は「締約国に対する攻撃を全締約国に対する攻撃とみなし、個別または集団的自衛権を行使して、攻撃された国を個別または共同で援助する」と定めている。米本土が攻撃されれば、米防衛のために欧州が駆けつけることにもなる。他方日米安保条約第5条は、日本が攻撃された場合のみを想定し、米国が攻撃された場合の日本からの援助については定めていない〔新憲法で日本から兵力を奪ったのだから当然ではあるが〕)。
(2)ドイツも核兵器を米国と共同管理
日本は非核三原則により、核兵器を作らず保有しないばかりか、米軍にも日本領土内に持ち込ませない。
欧州では、英仏は独自の核兵器を保有している(主として原子力潜水艦配備の核ミサイル)。そして敗戦国ドイツにしても、米軍の戦術核を共同運用(「デュアル・キー」〔後出〕と称する)している。
3.日本とNATO(あるいはEU)との間での防衛協力の可能性と限界
日本はNATO、あるいはEUの防衛行動に協力することができる。整理して言えば、
①災害救助(これは地球上どこでも)、②PKO(NATOは後出のように、ロシアともPKOで共同行動を取ることを検討しつつあり、日本もNATO,あるいはロシア、中国等とPKOで協力することができる。これも、地球上どこでも協力が可能である)が可能である。
多国籍軍に共に参加することは、現在の日本の法制では特別法を採択しない限りできない(「国際平和協力法」は、国連お墨付きのPKOのみを対象に、自衛隊の派遣を認めている)。だが本年9月、国連事務局とNATO事務局の間で協力関係に関する共同宣言が署名されているため、NATOの域外での作戦を国連のお墨付きを得たものと解釈して自衛隊を送ることも可能かもしれない。
だが、右共同文書は事務局間のものであるに過ぎない。国連事務局によるお墨付きは国連憲章上、法的効力を持つものではなく、国連安全保障理事会決定の持つ効力とは比べ物にならない。
またたとえ日本が無理してNATO、あるいはEUによる多国籍軍に加わったとしても、東アジアで多国籍軍が結成された場合に欧州諸国が兵力を送ることはあるまい。だから日本は、この面で無理をする必要はないのである。
究極の協力は、日本とNATOが集団安全保障関係に入ることだろうが(欧州が侵略されれば日本が応援にかけつけ、日本が侵略されれば逆)、これは夢物語だ。
(注1:もっとも第1次大戦において日本は、日英同盟を結んでいた英国、及びその連合国からの強い要請を受けて駆逐艦数隻を欧州方面に派遣。地中海等で商船の護衛に当たっていたが、攻撃を受けて計78名が戦死した。)
(注2:安倍内閣では、NATOとの連携・協力関係を進める姿勢が顕著だった。安倍首相は2007年1月ブラッセルのNATO本部を訪問し、NATO首脳会議の場でスピーチを行っている。
日本政府はこれを受け、アフガニスタンの治安・戦後復興を手がけているISAF〔国 連の承認を受けた国際治安支援部隊。現在はNATOの指揮下に入っている〕に20億
円を預託して、学校等の建設を行ってもらっている。要するに、反テロ行動において日本とNATOが協力しているのである。アフガニスタンの戦後復興においては米軍より、ISAFが前面に出てきているためである。
そしてNATO、米国は日本が右以上の貢献をアフガニスタンで行うことを希望している。)
4.米欧安全保障体制が抱える現下の諸問題
(1)NATOは冷戦終結で意味を失った?
自分は、冷戦が終結してドイツが再統一されれば、欧州に米軍が駐留している必要性はなくなり、米欧関係は希薄になる可能性があると思っていた。欧州に足場を失った米国が超大国であり続けることは難しく、強大になった統一ドイツは戦前のように発言権の強化を求めてEUは瓦解し、世界は多極化状態を呈するのではないかと思っていたのだ。
確かに在欧米軍は大幅に削減された。だが相変わらずドイツはEU、NATOの枠内で動いているし、米国は万の単位で常に欧州に駐留している。そしてそれは、ロシアがそのプロパガンダで言い立てているように、「米国がその一極支配を貫徹するため」欧州を脅しつけてそうしているわけではない。
(2)“Keep the Americans in, the Russians out, and the Germans down”
戦後の欧州政治は、①ドイツの無害化、②ソ連の脅威防止、③米軍を欧州に引き止める一方で、欧州の独自性も維持する、この3点をめぐって展開してきた。それは、NATO初代事務総長イスメイが言ったとされる、「Keep the Americans in, the Russians out, and the Germans down 」という言葉に見事に集約されている。
NATOだけではなく、EUもこの3点を念頭に作られてきたのであり、戦後の欧州は統合とか超国家とかの高邁な理想や上記の3点が、主要国の内政上の争いで様々に絡み合い、利用、悪用され、数度の深刻な挫折を経ながら、何とか今日までたどりついたのである。
そしてこの3点のうち、”The Russians out”という点は、NATOに新規に加盟した旧ソ連圏の諸国にとっては重要な問題だが、元からの加盟国にとってはもはやそうではない。”The Germans down”については、ドイツ人は東独の「消化」を未だ終わっていないこともあって相変わらずおとなしい。
(3)欧州のStatus quoを維持する効果を持つNATO
そこで結局、現在のNATOには”Keep the Americans in”の面、つまり米欧関係をつなぎとめるものとしての面が前面に出る。
米国にとってNATOはそれこそロシアが言うように、グローバルな関与、特に米国がこれまで最重点を置いてきた中近東での行動を容易にするため不可欠の要素だろう。
他方、欧州の側は、単独だけではロシアの核の脅威に対抗できないだけでなく、域内の紛争に対処するだけの兵力にも事欠いていることを自覚しているだろう。90年代ボスニアの紛争では、NATO、つまり米軍の関与があって初めて事態は収拾に向かったのである。
そして欧州は、「米国が欧州から去る」ことが未曾有(みぞう)の流動的状況を生み出しかねないことを、感じているのかもしれない。例えば現在のEUにおいても、ドイツが中東欧へのEU拡大で潤う中でフランスは「地中海連合」結成を独自に進めて対抗しようとしている。ユーロを強化するため各国政府の財政・金融監督権を統合しようとしたりすれば、各国の抵抗は強まり、EUは瓦解の方向に向かうかもしれない。つまり米国の存在、そしてNATOは、欧州におけるStatus quoを維持する効果を持っていて、これは東アジアにおける日米安保体制と対称的なのである。
〔注:なお米国が去った場合、ドイツはロシアに接近することで自国の立場を強化することができる。東アジアにおいて日米安保がなくなった場合、日本が中国に接近してもその立場を強化することはできないだろう。米中関係は米ロ関係と比較にならないほど互恵関係にあるからである〕
なお日本の識者の間では、「ヨーロッパ諸国民の抜きがたい反米・米国軽侮感情」が議論の種になることが多い。だが、欧州には右に述べたように抜きがたい対米依存があるがゆえに、そのことについての自己嫌悪が米国についてのものの言い方を益々辛辣にさせているのである。つまり米国批判発言は欧州人のガス抜きのようなものであり、米欧関係がこれで瓦解すると思ってはならない。
(4)それでも、当面のNATOの方向についてのコンセンサスの欠如
「Status quoの維持」というだけでは、NATOのような大きな組織の存在意義として十分ではないのかもしれない。しかし現在のNATO、EUの防衛努力は終戦直後NATOが形成された頃と同様の星雲的状況にあり、新規加盟国が増えたことは当面の方向についてのコンセンサス形成を益々難しくしている。主要な問題のうち、いくつかを挙げれば次のとおりである。
①NATOのグローバル化、「国連軍」化?
NATOの行動範囲が地理的にどこまでなのかについては、NATO条約からは明確でない(のだと思う)。恐らく常識の範囲内ということになるだろう。
米国は、NATOの欧州兵力をできるだけグローバルに展開させて自分の負担を減らしたい。米国と欧州の兵力が実質的な常設「国連軍」となり、世界中に出動すれば日本にとっては有難い話になる。08年9月、国連事務局長とNATO事務局長の間で、「事務局間の協力についての共同宣言」が署名されたことも、この面での将来への布石かもしれない。
〔注:但し右宣言にはロシアが強硬に抗議した。「事前に文面を見せてくれるはずだったのに」というわけである。但し右「宣言」は短いもので、国連の委託を受けてNATOが動くというようなことには言及していない〕
だが現在NATOが域外で活動しているアフガニスタンにおいては、当初は意気込んでいたドイツも、戦死者が出るに及んで国内世論の支持は得られなくなっている。そして東欧、バルト諸国などの新しい加盟国は、域外などより、まず自分達の(ロシアに対する)安全を保証してもらいたいのだ。
その他の加盟国の中には、時と場合によっては域外で警察官的役割を果たしてもいいと考えている国もある。フランスなどはそうで、海外での軍事行動についてはオプションを広く維持しておきたいのだろう。英国は、米国との緊密な関係を維持することでその国際的立場を補強する政策を取っているから、NATOの域外展開には前向きである。
②ソ連崩壊の後始末―――NATO拡大、新規加盟国へのNATO第5条(集団安全保障)のフル適用
オスマン・トルコ、オーストリア・ハンガリーと大帝国が崩壊するたびに、その周辺は力の真空地帯と化し、中には中東のように今でも国際紛争の温床となっているところがある。そして現在のNATOにとっては、ソ連崩壊の後始末が大きな課題となっている。
ソ連崩壊は、終戦直後からのソ連膨張が原因で生じた冷戦にソ連が敗れたことを意味する。従って、バルト諸国、チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリーを初め、西欧文明圏に明らかに属してきた国々がEU、NATOに加盟することは不可避のことだったろう。しかもそれはこれら諸国が自分で欲したことである以上、ロシアが抗議申し立てできる筋合いのものではない。
ウクライナも含め、NATOが拡大を更に進める情勢に現在はない。今は、「既存の国境は、平和的話し合い以外による変更は認めない。特定の国際機関への加盟は、それぞれの国家の独立した決定に委ねる」ことでNATOとロシア側の合意を達成すること、就中ロシア自身の安全保障についての不安を鎮めることが必要だ。
③ロシアは脅威なのか、パートナーなのか?
欧州ではドイツのように天然ガスでロシアに大きく依存する国がある一方では、英国のようにロシアに警戒的姿勢を崩さない国がある。またドイツ一国の中でも、シュレーダー前首相がロシアからの天然ガス・パイプライン(ノルトストレーム)敷設会社の重役を勤めていることを「国の恥」だとして、「民主化を進めるベルディムハメドフ大統領のトルクメニスタン」からロシアを経由せず天然ガスを輸入することに血道をあげる者もいる。
ロシアは、大口の顧客に対する商業上の義務を裏切ったことはない。西欧に対して天然ガス輸出を「政治的に止めた」ことはない。
西欧は大口顧客としてのバーゲニング・パワーをロシアに対してフルに使えばいいのであって(輸入カルテルを組む、乃至EU委員会がガスプロムに独禁法を発動する等)、「民主化を進めるベルディムハメドフ大統領」に国運を賭けたりするべきではない。
(4)NATO、EU間の調整
構成国がほぼ同じであるNATOとEUの間で、調整が問題になっている。
と言うのも奇異な感じがするかもしれない。NATOは安全保障、EUは経済と任務は分かれているが、両者の境界領域においては権限争い、あるいは押し付け合いが頻繁に生じている。EUが最近、政治・軍事面での協力も進めていることが、NATOとの関係を益々複雑なものとしてきている。またアフガニスタンのようにEUが活動していないところでは〔治安の問題がある〕、経済復興等の非軍事的任務もすべてNATOにかかってきてしまうという、奇妙な現象が起きている。
NATO、EUのいずれかに入っていない国が、域外の問題についての発言権を強化するために自国が加盟しているNATOあるいはEUによる関与を求める場合もある。
5・NATO、EU防衛協力について日本が当面、対処するべき問題
NATO、米国はアフガニスタンの安定化のために日本がより大きな貢献を行うことを求めているが、これはここでは論じない。1点のみ述べれば、日本はその内政上多大な困難とリスクを伴う自衛隊の派遣を行うよりも、パキスタン、ウズベキスタン、タジキスタン等、アフガニスタン周辺諸国の安定維持と経済発展により尽くすことをその政策とするべきではないかということである。
日米安保関係が安保条約の適用域外に伸びていくことには、限度がある。日本の安保に直接の関係がない域外問題への対処は、原則として国連PKOへの自衛隊派遣、政治的仲介、及びODAによる安定化努力に限定するべきだ。
そのような条件下でNATO、EUの防衛協力について日本が当面対処するべき問題を2,3挙げておく。
①国連PKOにおけるNATO、EUとの連携・協力拡大 NATOとロシアは現在はいがみあっているが(但しグルジア戦争直後でも、麻薬取締り訓練等の分野では協力が続いていた)、かつてはボスニア紛争の国連KFOR(PKO)に共に参加したこともある。
またEUは現在、チャドに兵力を展開して情勢の安定化にあたっているが、ここにはロシア軍がヘリコプターを要員と共に数機派遣し、EU軍司令官の下で行動している。
近い将来、モルドヴァの沿ドニエストル地域等、CISの未解決紛争地域で解決がはかられれば、ロシア軍だけでなくEU兵力もPKOとして駐留することになるかもしれない。
日本は、このような前向きな動きには加わればいいのである。
②上海協力機構と共に対話
NATOと上海協力機構の間に協力あるいは恒常的なコンタクトを樹立せんとの動きが一部に見られる。
筆者が9月に北京に出張して得た印象では、中国には一部にこれまでの対NATO警戒心を捨て限定的な協力関係に入ってもいいのではないか、との意見が見られた。だが中国・NATO間の直接の協力は米国の承認を得られないかもしれないし、何よりもロシアが強硬に反対するだろう。従って、上海協力機構をダミーに立ててNATOとの関係を強化し、自国の国際的立場を強化しよう――中国当局はそのように考えているかもしれない。
かかる動きが表面化した場合、日本も乗ればいいのである。日本は既に上海協力機構事務局とはコンタクトを持っているし、「中央アジア+日本」という独自のフォーラムも持っている。中央アジアの問題は上海協力機構を通じてのみ解決できるわけでは毛頭ないが、ロシア、中国、中央アジア諸国、NATO、このそれぞれを独立したプレーヤーとして扱い、その間におけるバランスを追及していけばいいのである。(了)
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