南オセチアに国際的PKO?
9日、サカシヴィリ大統領は早々に手を上げて「即時停戦」を呼びかけたが、メドベジェフ大統領は北京から電話で停戦を呼びかけたブッシュ大統領に対して、「停戦の前にグルジア軍が南オセチアの首都ツヒンバリから撤退することが条件だ」とつっぱねた。
9日までのこうした展開を受け、10日にはグルジア軍の撤退が始まったらしいが、彼らはロシア軍に包囲されていて、降伏しなければ撤退もままならない、一部では降伏したグルジア兵が殺されたらしい、という報道がある。
現段階でいくつか気がついたことを言っておくとーーーーー
①これでまた米ソ(米ロ)対立の冷戦時代に戻るのかというと(そうなればそうなったで、日本にとって悪い話ではない)、そうはならないだろう。
米ロ双方とも、そこまでやる気はないように見える。
②メドベジェフ大統領は、「グルジア内の『ロシア人』を守る」ことを大義名分にしたようだが、こうなると、他の旧ソ連諸国にいる「ロシア人」達は微妙な立場に置かれる。彼らは、「ロシア軍を呼び込むかもしれない者達」と思われて、良くて白い目で見られかねないからだ。
③だが、アメリカの対応が生ぬるいことで、今回のロシアの行動は旧ソ連諸国におけるロシアの威信(あるいはロシアへの恐怖感)を高めるのではあるまいか。「アメリカに頼っても駄目だ、結局はロシアだ。」というわけだ。
これまで対米べったりだったサーカシヴィリ・グルジア大統領は、急遽イラクのグルジア兵力を半分に削減する意向を表明したらしい。
④プーチン首相が北京から北オセチアに飛び、ロシア軍の展開を見守る形をとったのは、非常に面白い(もうモスクワに帰って、メドベジェフ大統領に報告している)。これは1999年9月、チェチェン戦争開始の際、軍の統帥権は持っていないはずのプーチン首相(当時も首相だった)が、あたかも軍を指揮しているかのポーズを取り、拡大一路の路線を取って大成功を収め、その大衆的人気を背景にその12月にはエリツィン大統領から権力の禅譲を受けたことを想起させるからだ。
「メドベジェフ大統領になっても、プーチンはいつかきっかけを見つけて、大統領に返り咲くだろう」という観測は以前からあったが、ひょっとして、と思わせた一瞬だった。
⑤これから事態をどう収めるか? ロシアは本当に南オセチア、アプハジアの「独立」を推進するのか?
南オセチア、アプハジアに、「独立」できる経済力はあるのか?
ロシアのチェチェン共和国では、これまではプーチン大統領になぜか絶対服従を誓っていたカディロフ大統領が何やら蠢きを始めている。タタール共和国では地元利権をかっちり抑えたシャイミーエフ大統領が、地方の大統領(変な言い方だが)、知事は任命制から選挙制に戻すことを提唱し始めた。
それに、独立した南オセチアがロシア領内の北オセチアを分離独立させ、これと合併することを求め始めたらどうするのか?
⑥僕は1992年頃、モスクワであるロシア人新聞記者に言ったことがある。
「パラダイムが変わったね。今にソ連周辺の安定化のために旧ソ連諸国に国連PKOが送られ、日本もそれに加わる日が来るかもしれないよ」と。
その記者は、「それは面白い。使わせてもらうよ」と言っていたが、ついぞ書いたとは聞いていない。
ところが今回、ラヴロフ外相は、南オセチアでの平和維持の努力にロシア以外の国も参加することを慫慂した。
またオバマ大統領候補はグルジアに国連のPKOを送ることを提唱している。アプハジア、南オセチアは旧ソ連に旧ソ連諸国以外からも国連PKOが派遣される史上初めての例になるかもしれない。
そのようなことは、ソ連が崩壊した直後に既に決めておかれるべきことだったのだが。
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コメント
ウズベキスタンにいた頃大変お世話になりました。河東大使のブログを拝見させて頂き勉強させて頂いています。
さて、今回の武力衝突に関して、報道等を見るところ「ロシアが南オセチアやアブハジアの独立を支援している」、「大国ロシアが小国グルジアをいたぶっている」ような論調がありますが、今回の武力衝突についてロシアは「独立支持」とは一言も言っておらず、また、ロシア大統領の発言を見ても「リベラルvs権威主義」といった米国主導の安易な二極的な対立観を生み出さないように配慮しているように見えます。また、「二極的な対立観」を立てない限りグルジア側の正当性を主張することも難しく、過度なグルジア支援は欧米側にとって自己矛盾を引き起こすジレンマもあるように感じます。
今回のロシア攻撃は、まさに「堪忍袋の緒が切れた」ロシアの「報復」のように見えますが、他方、グルジア(欧米側)に自己矛盾を引き起こさせているという巧さも持ち合わせているように見えます。これも、大使の言われるように最近のロシアの政治力が進化していることでしょうか。
今後の幕引きの行方が見えませんが(ロシアとして、「買った喧嘩」は簡単にはやめられない、しかし、これらの地域の独立には慎重)、とはいえ、サーカシビリ政権は、もはや風前のともし火のように思えます。
大変興味深い分析,参考にさせていただいています。報道ベースでは,米軍も介入し,事態は「第三次世界大戦」に突入やら,米ロ関係が冷戦時代に後戻りするのでは・・・といった論調も見られますが,私も大使と同様,ロシアも米国も直接的な対立には進む気はないと思います。しかし,今回のグルジアの南オセチア侵攻は,同国指導部の「愚行」としか形容しようがないと思います。両国の力の差は明白です。また,グルジアがこのタイミングで侵攻した理由に関しては,国際的な関心が五輪開会式に集まるのに合わせて実行したとの見方もありますが,国連事務総長が「五輪停戦」を呼びかけているこの時期に,あえて大規模な軍事作戦を展開したことは,国際社会の非難は買っても,支持を受けることはなく,同国にとって大きなマイナスであることは明白です。サアカシビリが何を狙って侵攻したか・・・,あえて搾り出せば,ツヒンバリ占領と同時に米国など国際社会の仲介を得て停戦にこぎつけ,南オセチアにグルジア軍を残留し,これまで中央の実効支配が及んでいなかったこの地域を支配下に置くことかと考えられますが,客観的に見てこれが成功する確率はきわめて低く,この点でも今回のグルジアの行動に疑問を抱かざるを得ません。いずれにしろ,結果として,民間人を含め数千人の死者と数万人の難民が発生した上,ロシアにグルジア内部まで侵攻する口実を与えた今回の南オセチア侵攻は,グルジア指導部の「愚行」としか捉えようがありません。
何処へ行くグルジアを思うに、そもそもこの問題は100年弱過去に遡るらしいとか。民族の対立であったり、まさしく米ロを含む周辺諸国の思惑であったり。パイプラインの影響は我が国日本にも及ぼすかとも思う。独立支持者(多分!)は南オセチアの地位は住民が決めることと言いながら、実態は有るべき姿との一致ははるか未来を感じる。今回の紛争を交えて、見えないのは(見えているのかも知れないが)紛争と共生している主権者(多分!)の近、並び将来の国のあり方を何処にありかと感じる。欧州とロシアの戦略上の要であり。資源争奪の目が輝く昨今、カスピ海-トルコ間のパイプラインがグルジアを通ることなどで、輻輳した情勢は当分静まりそうに無いと邪推しまうす。東西の冷戦までには発展しそうにはなさそうだが。
(友人からメールで以下の指摘があったので、ご許可を得てここに掲載しておきます。河東)
グルジア関係では、「国連PKO」が現在も展開されているのです。UNOMIG(国連グルジア監視団)といって、アブハジアが92年に独立宣言を行った後にグルジア政府軍と武力紛争に発展、93年7月に停戦合意が成立したのを受けて、その停戦合意の履行状況の監視を任務として93年8月、安保理決議858により設置されました。その直後、93年9月にアブハジア軍が攻撃を開始して紛争が再燃しましたが、94年5月にモスクワで停戦合意が成立し、CISの平和維持軍が派遣されることになりました。
94年7月には安保理決議937によりUNOMIGの任務を拡大して「CIS平和維持軍の活動を監視」することを含むこととなりました。今のロシアならそのような話は受入れられないのでしょうが、ちゃんと国連決議にはそう書いてあり、現在も有効です。今年の5月末現在、軍事監視要員130名強と文民警察要員15名をあわせて149名が展開しています。
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UNOMIGの活動は安保理決議1808によれ
ば、期限は今年の10月15日までです。