メドヴェージェフ大統領? --最近のロシア情勢
★12月10日、与党「統一」他三党が次期大統領候補としてメドヴェージェフ第一副首相に意見が一致し、プーチン大統領は「自分は彼を17年知っている。全面的に支持する」と発言した。これにて、次期大統領騒ぎは一件落着したかに見える。
★メドヴェージェフはこの1年、セルゲイ・イワノフ第一副首相とともに次期大統領候補になると言われてはいたものの、イワノフに比べると線が細く、ズプコフ首相が9月に登場してからはイワノフとともに後景に退いてしまっていた。皆、彼のことなど忘れていたのだ。それが突然・・・
★メドヴェージェフとは?
ドミートリー・アナトリエヴィチ・メドヴェージェフ。まだ42歳の真面目で誠実で、おとなしく見えても結構勇気ある発言をする男。例えばプーチン政権が、03年10月に石油王ホドルコフスキーを無理やり逮捕したときには、そのやり方に批判的な言辞を吐いたとされる。
★彼は1965年レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)生まれ、プーチンの後輩としてレニングラード国立大学法学部を卒業、在学時にはロック・バンドもやっていたと言われる。
その後大学院のあと、ソ連崩壊直後のサンクト・ペテルブルク市役所で、プーチン対外経済関係部長の下で働いた。両者は同じ階に部屋を構え、当時の秘書の話では「プーチンさんの部屋の隣がセーチンさん(現在の大統領府副長官)。メドヴェージェフさんは廊下の端っこ。あまり目立たなかったわねえ」という感じだったそう。
★そのメドヴェージェフは翌日11日、テレビでなまのスピーチをやった。そこで彼は、「自分は『着実な経済発展』を目指すのだ」と言う(これでは中国胡錦涛主席の「科学的発展」と同じではないか)と同時に、「プーチンさんが首相になって政権に残ってくれれば最高だ」と言う。これで世界のマスコミは、「メドヴェージェフ大統領、プーチン首相できまった。プーチンの院政だ」と言い立てている。プーチン大統領は首相になるとはまだ言っていないのだが。
★めでたし、めでたしで、モスクワでは大団円の和音がジャン、ジャンと鳴り、これから1カ月は続こうというクリスマス・正月休暇(1月初旬に旧暦のクリスマスがあって、これも祝う)で皆、早くスイスのスキー場やトルコのリゾートに行きたくてうずうずしていることだろう(ただし、17日に「統一」が党大会をやって、メドヴェージェフを自党の大統領候補としてかつぐ、という決議をしないといけない)。長い休暇の間には、親しい要人同士がサウナなどで政治を語らい、謀議をこらすものだから、秋や春には情勢が荒れがちなロシアだが、今回は「もう決まった」のだからそんなことはない?
★大統領選挙はちゃんとやるのか?
ところがこうして「ものごとが決まりすぎて」、3月2日の大統領選のことを考えると、「?」ということになるーーーとロシアの新聞も書いている。つまり12月2日の総選挙が実質的にプーチンへの人気投票みたいなものだったから、3月2日に彼の後継者のためにわざわざ投票に行く意欲もわかないだろう、というのだ。
確かに12月2日の総選挙は気が入っていて、プーチンなしでは与党「統一」はあんな高得票を得られなかったろう。テレビでこの党の地方幹部達を見たけれど、政治家・官僚と言うよりは・・・に近い顔をした人たちだった。ソ連共産党時代でも、さすがにそんなことはなかったものだ。
だから当局は人々を投票に狩り出し、バスで投票所に運び、大変な苦労をして民主的な選挙の結果を「望ましい結果」で終えることができたのだ。お疲れ様。民主主義は本来、操作できるものじゃないのに。
「また、あんなことを繰り返すのか? 3月は12月よりももっと結果は見え見えなのに」と当局者が考えても不思議じゃない。
★04年9月、ロシア南部の北オセチア共和国のベスランというところで、テロリストが学校児童を人質にして数日間たてこもり、突入した公安との撃ちあいで186名の児童が亡くなるという大惨事が起きた。プーチン政権はこの直後、国内の紀律を強化し、それまでは公選制になっていた州の知事職を実質的に任命制に切り替えた(憲法上、どうなっているのでしょうね?)。
北オセチアのすぐ南はグルジア共和国だ。ここは1月5日に大統領選があって、多分反ロシア路線のサーカシヴィリ現職大統領が勝つだろう。就任早々の彼が、グルジアの中にある南オセチアやアプハジアの独立運動を力で弾圧し、それが国境を越えた南ロシアに及ぶこととなると、3月の大統領選挙も公選ではなく別のもっと手軽なやり方で行われることになるかもしれない。
★なぜメドヴェージェフが選ばれたのか?
それでも8日あたりまでは、与党「統一」の連中はセルゲイ・イワノフ第一副首相を大統領後継候補として推薦するべく準備が進んでいることを匂わせていた。メドヴェージェフの「メ」の字も事前には出てきていなかった(報道では、「プーチンは1月以上前からメドヴェージェフに決めていた」と言っている者がいるらしいが、眉唾だ)。
そこで一つの仮説を提示する。
「大統領選を前に政府内諸勢力間のせめぎ合いが激化する中、プーチンが諸勢力の仲裁役として『どの勢力にとっても危なくない』メドヴェージェフに目をつけた」というものだ。説明しよう。
★クドリン副首相・財務相にまで爪をかけていた(?)シロビキ
プーチン大統領による統治を支えている旧KGB勢力「シロビキ」が二つにわかれて抗争している様については、それを伝えるロシアの報道ぶりをこのブログでも書いた。
この抗争そのものではないが、11月下旬、クドリン副首相・財務相が海外出張中、彼に事前通報することもなく、連邦公安局と「捜査委員会」がストルチャク次官を横領の罪で逮捕してしまったのだ。
★ストルチャク次官は政府債務問題、そして「安定化基金」を担当している。石油輸出の上がりが市場にあふれてインフレを起こさないよう、様々な税の形で政府に吸い上げ溜めてあるのが「安定化基金」だ。今では10兆円分くらいになっている(殆どが外貨)。
これを国内で使うとインフレになるのだが、選挙の年でもあるし、政権側としては使いたい。そのために、これまで「安定化基金を使ったらインフレになります」と叫んで抵抗してきたクドリンの抵抗を排除しなければ、そのためには・・・こう思う者があっても不思議じゃない。
★部下の幹部数名を逮捕されたクドリンはクレムリンに駆け込んだ。報道ではどうも、セルゲイ・イワノフ第一副首相に泣きついたらしい。ちょうどこの頃だ。イワノフが大統領後継になるという噂が流れ出したのは。
だがイワノフはKGB出身ではあっても、「シロビキ」の仲間には入っていない。非常に切れる男で、かつ腐敗を嫌い、セーチン大統領府副長官などとは関係が悪い、と前から言われている。
イワノフが大統領になると困る連中がプーチンに泣きついてメドヴェージェフを妥協候補として担ぎ出したーーーというのが、今の時点での僕の仮説だ。
★もっとも「メドヴェージェフ大統領+プーチン首相」は、多くの者にとってドリーム・チームだ。かなりリベラルに見える。安定しているから、外国投資家にとっては買いだ。
ただこれからは、油価も、世界の金利も、ロシアに微笑んでくれはしない。サブプライム問題のおかげで石油は下がるし、ロシアの消費者ローン、住宅ローンの原資となっていたユーロ市場での安い起債ももうできなくなる。GDP成長率は07年末にかけて下がり始めたし(9月は対前年比5,6%)、行政的手段で押さえつけている食料品価格も、その措置の期限が切れる2月には暴発を始めるかもしれない。
★「メドヴェージェフはリベラルということになっているが、経済が悪くなり始めたら改革などできない。価格統制など規制強化の方向に進むしかないだろう」と気の早い予想を行う新聞もある。さなきだに、来年は国内家庭用ガス価格を25%上げることになっているのだが、「生活水準向上」を標榜するメドヴェージェフの初仕事がそれでは、どうしようもあるまい。するとガス価格補助金が膨れ上がるか、ガス会社の赤字が累積するかのどちらかで、それはソ連時代への逆戻りなのだ。
最近の世論調査では、国民の50%が「計画経済の方がいい」と答えている。いったい何のために、この15年間苦しんできたのか。
★それにプーチンは、12月総選挙で「統一」の候補者リストに載る際に、形式的にではあるものの、「当選したら直ちに政府職(大統領)を辞める」という一札を選管だかに出しているらしい。12月中にでもプーチンがメドヴェージェフを首相に任命し、その直後に大統領職を辞してメドヴェージェフを大統領代行とする、というウルトラCだってあり得るのだ。
(というわけで、ロシアのことを詳しく書こうとすると、「ただし」、「しかし」の連続で、何が何だかわからなくなってくるのです)
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/305