ユーラシア情勢、包括的把握の試み (講演録)
(以下は、7月中旬あるマスコミ大手のジャーナリストに対して行った講演の大要です。
オリエント、中国、ギリシャ、遊牧民族、ロシア、上海協力機構、東アジア、日本の順)
今日はロシアだけのお話という時代でもないので、ロシアにひっかけてユーラシア全体についてお話ししたいと思います。
ユーラシアというのは、実は世界を語るのと同じようなことなんですけれども、我々はいろいろステレオタイプをユーラシアについても持っていると思うんです。ステレオタイプを破っていかなければいけないと思うんです。この地図の色の濃くなっているところは、いわゆるイスラム圏と現在言われているところです。昔はオリエントという明確には定義されていない言葉で語られていた地域であります。ここは何というのか、古来の古い文明がすべて発したところでございまして、もちろんエジプト、それからメソポタミア、それから中国、インド、大体大河に関係しておりますけれども、あと一つ我々が忘れがちなところは中央アジアなんです。
中央アジアというのは砂漠ではないので、砂漠もありますけれども実は大変な農耕地帯でもありますので、あそこはアムダリアとシルダリアというチグリス・ユーフラテスに匹敵するほどの大河が流れているところなんです。ですから二つの大河に挟まれている農耕地帯というのは、関東平野以上の耕地が地平線まで広がっているところでもありますし、これから発掘が進むにつれてどんどん文明が発祥した時期が古くなっていくんだと思います。
僕はウズベキスタンにいたとき、イスタンブールに(私費で)行ったことがございます。そのときに買ってきたお土産がこのネクタイなんです。ですから今日はこのためにわざわざ暑いところをネクタイ締めてきたんですけれども、このネクタイというのは錦織でございます。全く同じような錦織が京都でも売っていると思います。
イスタンブールに行った後、今度はインドにも行ってみたわけです。当然ニューデリーとデリーを回って、それからその後ガンジス川のほとりの聖地のベラナーシ(ベナレス)というところに行ってみたわけです。あそこは非常におもしろいところで、仏教の聖地もあるし、それからヒンズー教の聖地もあるしおもしろいんだけれども、それよりももっとおもしろいのは、裏町に入っていくとくねくね曲がった小さな通りの周りはもう全部織物問屋なんです。インドは綿織物、それから絹織物なんかの中心地でございましたから、それが今に至るもずっと続いていて、そこら辺のベラナーシ市の織物問屋というのはテキスタイルデザインの宝庫でもあるわけです。ものすごいバラエティーとすばらしいデザインがあって、そこに行ってみるとこのネクタイとまったく同じような錦織を売っているわけです。それからイスタンブールで売っている金属細工であるとかいろいろな工芸品はインドのデリーのあたりの工芸品と意匠がほぼ同じであるわけです。
そういうわけでオリエントの文明というのは大変な広がりを持っているので、この地図が示すように北アフリカからスペインの南部もそうですけれども、ずっと中国の新彊地方まで及んでいるわけです。ここら辺は多分音楽も共通だろうし、工芸品も共通だろうし、それから言葉もチュルク語系、アラブ語、かなり共通しておりますよね。こういう広大な地帯を我々はこれまで忘れてきたんだと思います。
この地域こそ、実はユーラシア大陸の「糊」みたいなところではないかということに僕もウズベキスタンに在勤してやっと気がついたわけです。それまで僕の頭の中では中国、それから西欧というふうに分かれていて、中近東という開発途上の地域があるというふうにばらばらのモザイクの状態でユーラシアはあったわけなんですけれども、中央アジアに勤務してみてやっとユーラシアが一つにくっついたなという実感を味わうことができました。やはりエジプト、メソポタミア、それから中央アジア、別の言葉で言えばソグド人なんですけれども、ソグド人というのは現在のウズベキスタンそれからタジキスタンに住んでいる人々のことを総称してソグド人と昔は言ったわけです。これが東西に影響を及ぼしているわけです。
東のほうの中国を見ますと、中国というのは我々は漢民族の国であり、四千年、六千年、万世一系の漢民族が治めてきた国だというふうに思い込まされちゃっているわけなんですけれども、実際には中国というのは文明の断絶に彩られた国、というよりは地域であって、その中で特に最近では西域との交流、特にソグド人が中国の歴史に果たした役割というのが日本の学界でも注目されつつあるようになっているわけです。
例えば、秦の始皇帝が一番最初に中国を統一したことになっておりますけれども、秦の始皇帝の家というのは、実際には西域出身の遊牧民族の家柄であったことはもう最近ではよく書かれておりますし、それから唐の帝国をつくった高祖、李の家柄、この人たちは当時の中国の国境地方で中国を守っていた家柄なんですけれども、そこの国境地方に住んでいた鮮卑という遊牧民族と混血して、半分ぐらい遊牧民族になっていたわけです。それから唐の帝国を支えた貴族たち、軍隊を持っていた人たち、これも同じような鮮卑との混血民族であります。それから唐の政府に反乱した安禄山。これは完全に非漢民族で、ウィグル人とソグド人の間に生まれた人です。
元の帝国にいきますと、現在堺屋太一さんがチンギス・ハーンの小説を発表しておりますけれども、そこにはチンギス・ハーンの国には早くからペルシャ人、それからソグド人が経済面でのアドバイザーとして入り込んでいたということが書いてありますし、元の時代に至っても経済行政、貿易、これはペルシャ人、それからソグド人が大幅に担当していたところであるわけです。
ですから漢民族というのは非常に相対的な概念でもありますし、それから中国というのは実は多民族国家なのでよくアメリカと似ているんですけれども、そういうことをユーラシアというのは気づかせてくれるわけです。要するに中国というのはユーラシア大陸の東の端に存在している一つの地域であるということが言えると思います。
それからインドになりますと、これは我々は独自の文明であると思いがちなんですけれども、実際にはインドに古くから入ってきた白人系の連中というのはイラン系の民族でありますし、それからムガール王朝を十六世紀に建てたのはイラン人じゃなくて、実はウズベキスタン人なんです。ウズベキスタン人というよりはウズベキスタンに住んでいたモンゴル系のチムール帝国のチムール大帝のひ孫が南下してきて、それでムガール帝国を建てたわけです。「ムガール」というのは「モンゴル」がなまったものらしいんですけれども。ですからインドというのはインドの北方を「ヒンドゥスタン」といいますけれども、スタンの国なんです。スタンの国というのはペルシャ系の文明の地域ですから、インドも実際にはオリエント、それからペルシャ文明、オリエント文明の一部であるということが言えると思います。
西のほうに行きますと、ギリシャ文明が全く別個の進んだ文明だと我々は理解させられてきたんですけれども、最近の研究ではギリシャ文明が実際にはその源泉の多くを東方に仰いでいることがだんだん発表されつつあるわけです。最近では『黒いアテネ』という本が話題になったりしましたけれども、それから伝説の『エウローペの誘拐』です。ヨーロッパという言葉の語源になったきれいな女性のエウローペ。彼女が誘拐されたのは、実はヨーロッパで誘拐されたんじゃなくてフェニキアで誘拐されたわけです。それでギリシャのほうに連れてこられた。ということは要するにギリシャ文明自体がかなりシリアのあたり、レバノンのあたり、それからエジプト、そこからかなり文明を持ってきたんだということが言えると思います。
それからさらに時代が下りますと、モハメッド、イスラム帝国。これがここら辺のイスラム地域を全部統一した後、アッバース朝のマムーンというカリフがいるんですけれども、彼がギリシャ・ローマの古典の大翻訳事業を始めたんだそうです。だからイスラム帝国が意識的にギリシャ・ローマの文明を自分たちのところに移植した時代があるわけです。
これは世界の二大翻訳事業の一つと言われているんだそうで、もう一つは唐の玄奘和尚のインドからの仏典の大翻訳作業なんだそうです。僕は明治維新のときに日本がやった大翻訳作業も世界の三大翻訳作業の中に入れてもいいんじゃないかと思いますけれども。それでアラブはギリシャ・ローマの文明を自分のところに持ってきて、それを発展させて、それを中世のヨーロッパに返しているわけです。
というわけで、オリエントの地域というのは、東の中国、西の西欧、そして自分自身を一つにまとめる「糊」みたいな地域であるということが言えると思います。
それからもう一つ、我々がこのユーラシアの真ん中について全然意識していないのは、遊牧民族が世界史でいかに重要な役割を果たしたかということです。モンゴルであるとか清の満州民族、それからオスマントルコ。オスマントルコなんていうのは現在のトルクメンのあたりから発してどんどん西のほうに行って現在のトルコまで行って、この広いさっきの地図の黒いところの半分ぐらいを自分の帝国として治めていたわけです。ですから文明とは関係のないところから遊牧民族が武力を背景にして出てきて、統一市場をつくり上げて、世界史を変えてしまうということが何回も行われてきた地域であるわけです。
現在考えてみると、ユーラシアではアメリカがかなりのプレゼンスを持っておりますけれども、アメリカというのはユーラシアからとって見ると遊牧民族の繰り返しみたいなものであって、わりと関係のないところから武力を背景にしていきなり出てきて歴史を変えてしまう存在であるので、よく遊牧民族とアメリカは似ておるなと思うわけです。
ユーラシア大陸をめぐってのステレオタイプは幾つかあるんですけれども、やはりそれは歴史についてだけではないので、いろいろな概念が随分ステレオタイプに彩られていると思うわけです。
例えばアレクサンドロス大王。彼は、黒海の南のマケドニア、日本から言ったら木曽の山の中みたいなところですけれども、木曽義仲みたいな人ですよね。これがギリシャを征服して次に行ったところが、エジプトです。このことを忘れちゃいけないんで、当時のエジプトとギリシャがいかに密接に一体性をなしていたかということです。食料基地でもあったし、多分文明の発祥の地でもあったんでしょう。エジプトを押さえて、それからこっちのペルシャのほうに行ったわけです。ここの黒海のダーダネルス海峡を渡ったわけです。
それで彼がどこまで行ったかというと、現在のタジキスタンの真ん中あたりまで行ったんです。ここに「アレクサンドリア」と書いてありますけれども、ここは現在ホジェントと言われているところです。タジキスタンの西の端っこ。ここに既に小さな町があったのをさらに大きくして「アレクサンドリア」という名前をつけて、それで彼は南のほうのアフガニスタンに侵入し、それからインダス川を船で下ってこういうふうに帰ってきて、バビロニアで病死したわけです。
岩波文庫に『アレクサンドロス大王東征記』というおもしろい本があります。あれは当時の記録なんですけれども、あれを見てみると、アレクサンドロス大王が進んだギリシャの文明をペルシャに、そしてアジアにもたらしたんだという、我々のステレオタイプがちょっと事実と違うんじゃないかということが感じられます。アレクサンドロス大王が残したヘレニズム文明なんですけれども、これはやはりギリシャ文明がアジアにやってきたということだけではないんで、東と西の文明が混合したんだと言えると思います。
当時のいろいろな書き残されているものを比べてみますとおもしろいことがわかってくるんですけれども、ギリシャのヘロドトスという歴史家がいて、『歴史』という本を出しておりますけれども、これはペルシャがギリシャに攻めこんだときのペルシャ戦争の記録が主になっているわけです。あそこに有名な語句が出てきます。ペルシャのクセルクセス大王のところにスパルタを裏切った男が行って、スパルタの情勢を報告するんです。そこに出てくる言葉が、「スパルタは法治国家、つまり王によってよりも規範によって治められている国であります」と。そして「ペルシャというのは専制国家です」と。だからスパルタというのは小さな国なんだけれども、みんなが国王よりも法律というものを奉じてがんばっているので、そんなに簡単には征服できませんという趣旨を言ったことになっているわけです。こういう言葉が後世になってから、西ヨーロッパは民主政で先進国、アジアは後進国、専制主義という後世のステレオタイプを生んだんだと思います。
ところが『アレクサンドロス大王東征記』を見ると、アレクサンドロス大王がペルシャに攻め込んで、いざ最初の戦争を始めようかと思って地平線のほうを向くと、ギリシャ人の兵隊が立っていたんだそうです。ペルシャはギリシャ人の傭兵をたくさん使っていたのです。ということは、ヘロドトスが書いているほどギリシャとペルシャというのは隔たった存在ではなかったんじゃないかと。両者はかなり渾然一体化していて、交流も盛んにやっていたのではないかと思います。しかもペルシャのほうが金持ちだったから貧乏なギリシャ人が傭兵に雇われていったんだという図が見えてくるんだと思います。
それから先ほどタジキスタンの真ん中ぐらいまでアレクサンドロス大王が攻め込んでいったと申し上げましたけれども、それはやはりそれがそんなに変なことではなかったからだと。ペルシャの文明圏がタジキスタンの真ん中ぐらいまで及んでいたということです。タジキスタンの現在の民族というのはイラン系ですし、言葉もペルシャ語に近いわけです。スンニ派ですけれども。
それから『アレクサンドロス大王東征記』を見ますと、アレクサンドロス大王が東に行くに従ってだんだんペルシャ文明にかぶれていくんです。これはその地を統治するためのものだけではなくて、やはりペルシャ文明のほうが華美でぜいたくで、ほんとうにかぶれちゃったんだと思います。奥さんまでペルシャ人にしちゃって、自分の名前も変えて「イスカンデール」というふうにアレクサンドロス大王が名乗っていますから。「イスカンデール」というのは確か「王様」とか「支配者」という意味のはずです。そういうわけです。
ですからギリシャとペルシャを截然と分けるというのはかなり不自然なやり方ではなかったんじゃないかと思います。その証拠には、後のローマ帝国の共和政が崩れた後なんですけれども、ネロとかそういったいろいろな専制主義的な皇帝が出てきます。彼らがやっていたこと、これは当時の記録の『年代記』というのが岩波文庫にありますけれども、それを読んでみますとネロであるとか、その後の名前は忘れましたけれどもいろいろな皇帝、彼らがどんな行いをしていたかというのはこれはひどいものであって、全く今ヨーロッパ人が言っている東方の独裁君主と変わらない行動を示しているわけです。ですから我々は、東と西とか、ギリシャとペルシャとか、そういったステレオタイプの概念を少しゆるくして考える必要があるんだと思います。
そこで話をがらっと変えてロシアの今に行っちゃいます。僕は三週間前にモスクワに一週間ぐらい行って、いろいろな人から1年ぶりに話を聞いて帰ってきたばかりなので、まだ印象がまとまらない感じではあるわけです。ただロシアという場合にやはりステレオタイプがあって、ロシアというのは本来ものすごく小さな国だったんです。モスクワ公国という都市国家があって、モスクワの周囲を治めていただけの国がどんどん広がって現在に至ったというのがロシアです。
ですから、シベリアとか中央アジアが古来からロシアのものであるというふうに思っている人が日本では相変わらず多いんですけれども、シベリアというのはそもそもはロシアの植民地であります。あそこに住んでいたのは昔はイラン系、それからトルコ系、チュルク系、要するに我々と全く同じような顔をした人たちが住んでいたのがシベリアです。現在でもヤクート・サハなんかに行きますと、そこは日本人とまったく同じ人たちが統治している共和国であるわけです。
それから中央アジア。ここも、あそこにはロシア人が住んでいるんだと思っている日本の方が多いんですけれども、そんなことを言ったら中央アジア人は怒るんで、彼らはロシアが都市国家として成立した西暦八〇〇年ぐらいには既に千八百年ぐらいの歴史を持っておりましたから、全然ロシアとは格が違う独立した文明地域であります。
そういうわけで、現在のロシアがどういう状況を呈しているかといいますと、ロシアに関する昔のステレオタイプを完全に破る必要があります。一つは、商店に行列があるだろうと今でも思っておられる日本の方がいるんだけれども、それはもう既に十七年前の話でありまして、現在は商店には行列は全然ありません。買い物事情は日本、西側とほとんど変わらない。高級ブティックが並んでいる世界になっております。
それからもう一つのステレオタイプなんですけれども、これは十年ぐらい遅れているイメージですね。ロシアは貧乏で治安が悪いところであると。マフィアが撃ち合いをやっているというイメージもあります。これも現在の状況とは全く違います。現在のモスクワ、それからロシアというのは表面的には大変な繁栄を示していて、それから昼日中、町の中で撃ち合いがあるということはもうほとんどありません。たまにありますけれども、そういう社会です。
現在モスクワのシェレメチェボ空港におり立ちますと、パスポート・コントロールなんていうのは行列がなければあっという間に終わることが多くなって大変よくなったんですけれども、その後が悪くて、昔は空港からモスクワ都心まで五十分ぐらいで行っちゃった。ところが現在では二時間、普通はかかる。悪くすると三時間かかる。なぜかというと渋滞しているからなんです。なぜ渋滞するかというと、そこの空港から都心に向かう道路の横にやたらショッピングセンターができたからです。一つはスウェーデンの家具センターのイケアが大きな店をつくっていて、そこは日本の船橋のイケアどころじゃない、あれの二倍ぐらい大きな、駐車場はあれの五倍ぐらい大きなイケアなんですけれども、端から端まで歩くのに十五分ぐらい。それがいつも満員。そういう感じの消費ブームを呈しております。それからいろいろなタイプのショッピングセンターができて、この前見にいったらば園芸品、例えば植木鉢であるとか植物、あればかり置いた大きな三階建てぐらいのショッピングモールがあって、これもやはり非常に印象的だったです。日本にはなかなかあれだけ大きな園芸専門のスーパーというのはないんだと思います。
そういうわけで、ロシアというのは現在活況を呈しております。GDPが二〇〇〇年には二千四百十億ドルだったんですけれども、二〇〇六年には九千七百九十億ドルに達しております。これはわずか六年か七年でこれほどの経済成長を示した国というのは、史上ないのではないかと思いますが、だれもそういうことは言わないんですけれども。
しかし、これは自分で物をつくってこういうふうになったのではなくて、石油の価格が上昇したからもっぱらこういうふうになったわけです。やはり九月十一日事件以降の現象でありまして、僕は一種のマーシャル・プランがロシアに対しても行われているんだと思います。あれだけアメリカが高い石油価格を放置しているのは、アメリカが影響を及ぼすことはかなりできると思うんですけれども放置しているのは、やはりサウジアラビアの支持がイラク戦争の間は欲しいのと、湾岸諸国の支持が欲しいのが一つにはあるんだろうと思います。それだけではないと思いますけれども。ただそのおこぼれをロシアがもらってしまって、大変な活況を呈するようになったわけです。
一応表面的には強くなった経済力を背景にして、我々の言う毅然とした外交、彼らは毅然とした外交なんて言いませんけれども、国益重視の外交と言っております。それを現在やっています。ですからプーチン大統領、それからロシアの識者が最近よく言っていることは、「世界を多極化させよう」ということ、それからロシアは大国なんだぞということです。どういう大国なのかと聞くと、それは「エネルギー大国」なんだと。我々が初めて聞く言葉なんですけれども、エネルギー大国というのは買ってくれる国があって初めて成り立つ概念なんだろうとは思います。けれどもそういうことを言っている。それからG8なんかでも盛んに「存在感」を強調するようになって、話で聞いたところでは、今年のドイツのサミットでは、いろいろな問題でロシアのシェルパが一人我を張って議論がまとまるのを遅くしたということを聞いております。これまではロシアというのはそういうことはG8ではしなかったんですけれども。それから旧東欧にNATOがミサイル防衛施設を配備しようとしていることや、欧州の通常兵器削減条約について、ロシアは自己主張を強めています。そのことが冷戦がまた起こるのではないかという議論を西側で流行させているわけです。
私は年に一度はモスクワに行って、識者と話し合うようにしているのですが、彼らは僕が在勤していた五年ぐらい前から、西側がロシアに対してやることに対してもう随分切れておりましたね。一九九一年、ロシアがソ連でクーデターが失敗してリベラリズムの一大流行が起きたとき、あのころリベラルなインテリというのはもうほんとうにユーフォリアにあって、これで我々もやっとヨーロッパ文明のほんとうの一員になれるんだと。これからは自由に物が言えるだろうし、自由に買い物ができるようになるんだという希望に燃えていたわけです。彼らは本当にアメリカ人のインテリと話すよりもおもしろいほど教養を持っていましたし、それからほんとうにヨーロッパ的な文明を身につけていてリベラルなんですよ。
ところがその後何が起こったかというと、ロシアでは六千パーセントのインフレが起き、彼らも貯金を失い、そういうことが一度、二度重なり、さらに悪いことにはユーゴスラビアのコソボの問題で西側がロシアの言っていることを全く無視してユーゴを空爆し、その後さらに悪いことには、ソ連から独立していったバルト諸国、それから東欧圏から離脱した東欧諸国、ポーランドその他そういったところを軒並みEUに入れ、EUならばいいんですけれどもさらに悪いことにはNATOに入れてしまったわけです。これがやはりロシアのインテリの堪忍袋の緒を切らせてしまったところがあります。自分たちの一部であったバルト諸国、これが幾ら西ヨーロッパの文明圏に古来から属していたとは言え、NATOに入れてしまいロシアに刃向かわせるようにしたのは許せないということで、しかも同時にロシアの経済力がついてきたものですから、今年の二月ぐらいからプーチン大統領自身が強い言葉でもって西側を批判するようになったわけです。
ただリベラルなインテリと話してみますと、例えば独立新聞という新聞を自分でつくったトレチャコフという人がいますけれども、彼なんかと話してみると、彼はちなみに最近は非常に国益重視の論調を張っていて、中央アジアにロシアが再び出ていく先棒を担いだ人なんですけれども、みずからそういう国益重視の論陣を張っているんだけれども、やはり彼もさびしいんですよ。生涯の夢が壊れてしまって、自分は今では御用記者みたいなことを書いているわけですから。ですからそういったリベラル系インテリは今、非常に失速しているし、中には酒に溺れている人もいますしかわいそうなんです。
ではプーチン大統領がどうなっているかといいますと、プーチン大統領は最近非常に西側に対してこわもてなことを言いました。ただそれは、一つには今年の十二月にロシアでは総選挙がありますし、それから来年三月に大統領選挙があるわけです。プーチン大統領自身は出ないと言っていますけれども、やはり自分の息のかかった人を後任にしたいと思うと、現在の政策に対して国民の支持をあおっておきたいわけです。ですから日本の小泉総理がナショナリストの方向で国民の支持をあおったのと同じようなことをプーチン大統領もやっている面があると思います。
ただもう一つは、プーチン大統領がそれをほんとうに信じている面もあるんだと思います。この前行って話を聞いたんですけれども、プーチン大統領というのは最近部下が上げてくるペーパーをあまり顧慮せずに、自分で思いついたことを言うことが増えたんだということを言います。それからプーチン大統領には一人ロシア正教会の僧侶がくっついていて、告解僧みたいなものなんですけれども、よく話し合っているみたいなんです。最近プーチン大統領が神がかってきたんだということを言う友人もいました。どういうことかというと、プーチン大統領は自分はメサイアなんだと。神によってロシアを救うために使わされた使命を持った人物なんだということを考え始めたんだという者がいました。これは確認したわけじゃないからわかりませんけれども。プーチン大統領というのは信心深い人でもあるし、僧侶が一人いつもくっついているからそういうことを吹き込まれたんだとしても不思議はないと思います。
プーチン大統領はご存じのとおり旧KGB出身の人、現在はFSBといいますけれども、考えてみますと現在ロシアを治めているのは旧KGBプラスロシア正教会連合軍が治めているようなものであって、KGBが統治機構として、それからロシア正教会がイデオロギーとして治めているような感じができあがってきたんじゃないかと。それを支えているのが大衆です。自分達にとって公平な分配を求める大衆たち。とにかく何でもいいから金持ちの持っているものはどんどんとって、自分たちに分け与えてくれと求める大衆たちです。彼らがプーチン大統領の七十パーセントの支持率を一貫して支えてきたわけです。
というわけで現在ロシアはソ連時代の格好にかなり戻りつつあります。ソ連というのは、我々が考えていたような抑圧の上に成り立っていただけの機構ではないと思います。ソ連というのはやはり労働者、大衆にとって一番楽な分配形式を支えていた機構であると。それを独裁でもって抵抗を押さえつけていた機構であると思いますので、それが昔のイデオロギーとともによみがえりつつあるんだということは言えると思います。
なお、ロシアは相変わらず核大国であります。核弾頭の数は1万を超えます。但しロシアというのは、ウランが足りない国です。現在足りているのは、ミサイルを解体してそれを一生懸命薄めて燃やしているからなので、それはいつまでも続きません。ですから中央アジアでロシアは日本との間でウランの取り合いみたいなことになると思います。
現在も問題になっているのは、チェコとポーランドにミサイル防衛施設をアメリカとNATOが配備しようとしていることです。これは昨年十一月にNATOが決めたことなんです。チェコにはレーダーを配備します。ポーランドにはミサイルを撃ち落とすミサイルを配備するんだそうです。アメリカは、これはイラン向けなんだということを言っているんですけれども、ロシアのほうはこれは違うと。ロシアのICBMに対して向けたものなんだと。こういうことをやられるとロシアのICBMの戦力が低下してしまうので、アメリカとの間のパリティーがなくなっちゃうと。そうするとロシアの地位が低下してしまって、ロシアにとっての国際関係が根本的に変化しちゃうから、絶対認められないということを言っているわけです。
ただよくわからないことは、ポーランドにミサイルを破壊するミサイルを配備したところで、ロシアがアメリカにICBM、大陸間弾道弾を撃った場合、それは普通ロシアからまっすぐ北上して北極圏を通ってアメリカに行くんだというふうに言われております。そうすると、幾らICBMが打ち上げたときをチェコから捕捉したところで、ポーランドから打ち上げたミサイルというのは大陸間弾道弾には追いつかないんだというふうに言われております。ですから、東欧に配備されるミサイル防衛施設はロシア向けなんだというロシアの言い分は正しいのかどうかはわからないということです。結局昔の東欧圏という自分の縄張りに配備されるのが嫌なんだということなのかもしれません。
七月の初めに二日、三日とメーン州のケネバンクポートで米・ロ首脳会談が行われました。パパ・ブッシュ夫妻がプーチン夫妻を非常に丁寧にもてなして、そのことについてプーチン大統領は現在でも感謝の念を表明しておりますけれども、そこで行われたことは、やはりアメリカがプーチン大統領のいら立ちを少しなだめたんだと思います。それでもってチェコ・ポーランドにMDを配備する話、これはアメリカとNATOとそれからロシアの間でこれから話し合いによって解決方法を見出していくことになりました。ですから圧力が当面回避されたということになります。
ただ大統領候補の一人と言われているセルゲイ・イワノフ前国防相、現在の第一副首相なんですけれども、彼はその後も二回ぐらい発言して、東欧に対するMDの配備はけしからんと。それが実現したらば、ロシアはカリーニングラードに短距離核ミサイルを配備するぞということを言っているわけです。カリーニングラードというのは元ドイツ領で飛び地になっていて、ロシア本土とは離れている領土です。
ただ、どこまで米・ロの対立がこの面で進むかというとそこは疑問なんで、もし実際にロシアがカリーニングランドにミサイルを配備すると、今度はアメリカとNATOはロシアに届く中距離核ミサイルをまた配備することになるでしょう。同じことは一九七九年から八二年に行われたことがあって、そのときにソ連は完全に後退して結局NATO側に譲って、双方の中距離核ミサイルを廃棄したんです。同じことの繰り返しになるおそれがあります。ですから、ロシアはこのMD問題をめぐって冷戦を復活させることはないだろうと思います。
そう思う一つの根拠はロシア経済。これは非常に繁栄しているように見えるわけです。ただ僕は結局は上げ底経済であるんだろうと仮説を立てております。先ほど申し上げたようにGDPや賃金が四倍、五倍になっております。僕がモスクワにいた二〇〇二年ごろ、あのころは僕の私用の運転手に対しては月に百五十ドルしか払っておりませんでした。日本の留学生が月に百ドルぐらいで生活できたころ。ところが現在のモスクワの平均賃金というのは千ドルから千五百ドルぐらいの間、大卒の初任給が千五百ドルが当たり前、そういう世界です。だからわずか四年ぐらいの間に賃金が、モスクワであればそれは大変な率で上がったわけです。十倍とまではいかないだろうけれども、七倍、八倍ぐらいになっている。現在でも年間二十パーセントから三十パーセント上がっておるわけです。選挙対策もあって公務員の給料はどんどん上げられましたし、年金まで引き上げられるわけです。数字は覚えていませんけれども、確か二倍ぐらい。
ところが値段もどんどん上がっておりまして、二〇〇二年ぐらいだったら中級のレストランであれば十ドルぐらいで昼飯が食べられたわけです。ところが三週間前、中級のレストランに行って食べてみたらそれが上級のレストランになっていて、スパゲティミートソースが四千円。要するに我々の西側の価格の二倍、三倍の水準になっちゃいました。ですからこれは私が思ったとおりであって、耐久消費財をほとんどつくっていないロシアの経済、そこへ石油のお金がどんどん流れ込みますとどういうことになるかというと、結局は国内の石油価格も上がるし、それから輸入価格はもとから高いですからどんどん物の値段が上がって、結局石油収入の効果というのは中立化されてしまうのではないかと思っていたら、全くそのとおりになってきたわけです。
その中で、経常収支の黒字が頭打ちになっております。ロシアのエコノミストの予想によりますと、二〇〇九年ごろには黒字が消滅する可能性があるわけです。それは石油価格によりますけれども、石油価格は現在頭打ちです。それからロシアの石油生産も頭打ち。ロシアは国内で石油の三分の二ぐらいを消費しておりますから、もともと輸出能力に限界がある。しかもその中で輸入が急増しているわけです。モスクワを走っている車はもうほとんどが外車になってしまいましたし、消費社会になりましたけれども、それのほとんどが輸入で賄われているわけです。数字はここに書いてあります。すごい勢いで輸入が増えております。
その消費のかなりの部分が月賦によって賄われております。消費者金融です。二、三年前に月賦制度が初めてモスクワで導入されてみんな夢中になっちゃって月賦で買いまくっておるわけです。銀行は競争で貸しまくって信用調査はほとんどせず。そういうわけで不払いが増えております。これは計算してみましたけれども、残高のまだ五パーセント程度ではあります。ただかなりのテンポで不払いが増えております。
ですから、経常収支の黒字がなくなったころに石油の値段が大幅に下がったりすると資本収支が一気に赤字になりますから、というか資本がロシアから逃げますから、そうするとルーブルが下がります。ルーブルが下がると大変なインフレになってくる。ルーブルが下がると対外債務の支払いも急増するわけです。消費者金融も現在は外国で借りてきている状況ですから。自分の資本はどんどん外国に出しちゃって、必要な資本は外国から借りてきているわけです。というわけで、ロシア経済はよくは見えるんだけれども、実際にはタイタニックが氷山にもうぶつかった後ぐらいではないかというふうに思っております。
経済力がついたと思い込んでいるロシアは現在、「多極化世界」、世界を多極化したいんだと言っております。アメリカ一極だけじゃいかにも嫌だと。ですからロシアは「BRICs同盟」をつくるんだなんていうことをプーチン大統領も一カ月前におっしゃられました。そのサンクトペテルブルグの演説では、ルーブルを世界通貨化するんだということも言ったわけです。でもロシアのいろいろな専門家にルーブルの世界通貨化について意見を聞きますと、「それは一つの参考意見として聞いておいてください」というような答えをしてきます。ロシア人自身がもちろん信じてはいないわけです。ただ、やはりこういうBRICs同盟とかそういう言葉が出てくる背景には、ロシアがいかにも世界経済を知らないと。政治偏重の体質のままであるということが表れているんだと思います。
大体BRICs同盟をつくるといったって、ロシアを除いたBICs、ブラジル、インド、それから中国、これは貿易相手のナンバーワンがアメリカですから。ところがロシアというのはアメリカとの経済関係がナンバーワンでない唯一のBRICsなんです。ロシアはナンバーワンのパートナーがもちろん西欧です。アメリカとの経済関係がものすごく薄いのがロシアなんです。ロシアの原油というのはアメリカには出ておりません。ほとんど出ていない。なぜ出ていないのかというと、アメリカ側に輸入する能力がないからです。アメリカが二十年、三十年新しい製油所をつくっていないがゆえに、幾ら港にロシアの原油を持ってきても輸入できない。持ってきても硫黄分が多いから、アメリカの精油所では使えないわけです。
というわけでBRICs同盟なんていうのはこれは言葉だけの話であります。それから政治面でも、中国、インドともロシアよりもアメリカを選好します。それからルーブルの世界通貨化、これはもちろん限定的な話で、ただ現在の時点でもトルコやフィンランドの一部あたりではルーブルが実際に通用するんだそうです。それはロシアとの経済関係が大きかったり、ロシアからの観光客があふれているからです。
以上がロシアで、少し東のほうにこれから移動します。東のほうに行きますと「上海協力機構」というのが最近よく聞かれます。上海協力機構は今年キルギスで首脳会議を開く予定なのです。六月、七月に開くのが普通なんだけれども、キルギスが政治的に混乱していたこともあって準備が延びたのでしょう。今年は8月中旬に開かれます。そういう感じで、上海協力機構も年一回の首脳会議では関心を呼びますが、あとはニュースが途絶えがちになります。
ユーラシアには、この機会に申し上げますと僕の持論なんですけれども、ゼロサム地帯というのが広がっていると思います。そこはどこかというと、西ヨーロッパとそれからASEAN、中国の沿岸部、それから日本、韓国、台湾、それを除いた地域が全部ゼロサム地帯だと思ったらいいんだと思います。そこは基本的には産業革命以前の経済。または国家計画経済の後。そういう状態にあるんだと思います。ここは物が基本的には不足した、富が限定された地域です。
国家計画経済というのは、すべての資源を国家の手に集中し、むだがないように計画でやるというのが建前ですから、もとから欠乏の経済、別の言葉で言えば「きちきちの」経済と言われていたわけです。そういった地帯ではすべての富や便宜が当局のさじかげん次第になりますから、いろいろな症状が出てくるわけです。一つはみんながお上に対して卑屈になります。それからお上に対して依存体質がすごくなる。そういった体制にみんな安住するものですから、例えば水道代、それから住宅代、ガス代すべて低いんですけれども、それを市場経済化して改革するとまずそういった公共価格が上がるものですから、国民みんながこぞって改革に反対します。そういった地帯がユーラシア地帯の真ん中に広く広がっております。彼らは伝統を守るんだという言葉のもとに改革に反対するんですけれども、それが現在の中央アジアとかロシアで起こっている現象だと思います。奪い合いとかルール無視とかあらゆる悪徳が、ゼロサム症候群の中には入っております。
要するに経済が小さいから生じた症状なのですが、地元の既得権益構造は小さな経済が大きくなるのをさまたげます。なぜかと言うと、改革に伴う規制緩和は市場に新参者をもたらし、既得権益層の利権を脅かすからです。中央アジア諸国はこういった現象の典型と言えます。中央アジア諸国の大統領というのは実はソ連時代からの指導者であって、ソ連の時代から地元の権益をかなりうまく自分の手元で守っていた人たちであります。その人たちが今でも大統領であるわけなので、彼らは自分たちの既得権益構造を守りたいし自分の地位を守りたい。ところがアメリカとかヨーロッパは下手をするとレジーム・チェンジまで試みるものですから、怖いから駆け込み寺として使っているのが上海協力機構であるということが言えると思います。上海協力機構、それは別の言葉で言えばロシアと中国の便宜上の同盟関係であるわけですけれども。
ではその上海協力機構というのはそれほど強力なものか、明日はあるのかということなんですけれども、今のところ僕には上海協力機構に明日はまだ見えません。上海協力機構が西側で話題になるのは、年に一回首脳会議が開かれるときと、それからロシアとどこかが共同軍事演習をするとき、そのくらいです。
この機構は幾つか限界を抱えておって、やはり中国が中央アジアにおいては相対的な存在であるということが一つは大きいと思います。中央アジアの中には中国人と全く同じ顔をした人もいますけれども、実はメンタリティーが全く中国とは離れていて、ロシアの文明圏の中に組み込まれているわけです。それから経済的にもロシアと不即不離の関係になっております。例えばウズベキスタンのタシケントには大きな飛行機工場があります。イリューシン76という大型の輸送機をつくる工場なんですけれども、ここが実際には部品をほぼすべてロシアから輸入して、タシケントの工場では大体組み立てしかやっていないというところなんです。だからそういうふうに中央アジアの経済というのは製造業その他でロシアと不即不離の関係につなぎとめられてしまっております。まあ、その問題。
それから中国とロシアがほんとうの同盟をつくるかというとそういうことはないので、両方ともアメリカに干渉されるのが嫌だからお互いに利用し合っているだけの関係なんです。ロシアは中国がシベリアとか極東に浸透してくることを死ぬほど怖がっていますし、それから中国人に聞いてみますと、中国人の心の中にはやはりロシアに対する恐怖心というのが残っているんだそうです。中国の漢族の文明に感化されなかったのはロシア人だけであるという記憶です。ですから中国とロシアは、アメリカが中国とロシアに対してきつく出ますとくっついたふりをしますけれども、アメリカがスマイルすればただちにお互いを捨ててアメリカに向かって走っていく国々だと思います。
それからインド、パキスタン、イラン、モンゴルといった国が上海協力機構のオブザーバーになっておりますけれども、イランというのは中央アジア諸国では警戒されております。これはシーア派の拡張主義的なビヘイビアーを怖がっているわけです。そういうわけで、上海協力機構というのは今のところそんなに大きくならないだろうとは思っております。
東アジアの現状について、今まで随分中国とか東アジアを回ってきたものですからその感想を申し上げますと、やはり我々は反中であるとか歴史問題とかそういうものにちょっと注意を奪われ過ぎているんだと思うんです。基本的に現在アジアで起こっていることというのは、アメリカとの経済的な共生、symbiosis、これが非常に重要なんだと思います。アジアはアメリカにモノを輸出し、得たドルをまたアメリカに投資してその経済を膨らませ、さらにアジアから輸入させる、こういう構図です。お互いに経済を膨らませあっているということですよね。ですから言ってみればアメリカをアジアの中に入れるかどうかなんてみんなおためごかしの議論をやっておりますけれども、そんなのは全くもう自明なことなので、アメリカなしのアジアというのはあり得ないんだと思います。アメリカとの自由貿易があれば、アジアというのはみんなハッピーに発展していける状況にあると思います。しかも中国というのは二〇一五年になりますと六十歳以上が二億人強になるんだそうであります。人口の十四パーセント。今のところちゃんとした年金制度もございませんから、年金制度ぐらいちゃんと整備しておかないと二〇一五年には老人の反乱が起こるかもしれないわけです。ですから中国の指導部にとっては経済建設が至上課題でありまして、それのためには周辺の情勢が安定していることが至上課題なんだと思います。
もちろん、じゃあ、中国の軍部が現在軍拡をやっていることはどうなんだということは疑問なんですけれども、中国の指導部の中にはStatus quoの維持、これを至上課題と考えている人たちも多いんだと。胡錦濤の政権の下ではそういう人たちがこれから主流になっていくんであろうと思います。というわけで、東アジアというのは現在は十九世紀のヨーロッパ的な国民国家をあえてつくって、強い軍隊をつくり強い警察をつくり、強い情報機関をつくって角突き合わせて相争う必要はないんだと思うんです。国民国家が形成された時の事情というのを再び勉強し直す必要があるんだと思います。
それがアジアにおける「現実と歴史とのミスマッチ」なんですけれども、一つには中国が「近代国民国家」をつくりたいという強迫観念を持っているんですよね。やはりアヘン戦争以降、あれだけやられてしまったのは「近代国民国家」を中国が持っていなかったからだと。それはまさにそのとおりなんだけれども、現在の世界情勢では「近代国民国家」ないしヨーロッパ型の国民国家が有する諸装置をすべて完備する必要はもうないんだと思います。たとえば、本格的な大規模戦を戦うための軍隊とか。ただそういうことを日本人が中国人に言いますと、それは日本人はそういうことを言うけれども中国をまた弱くしたいんだろうと。また中国がばらばらになってほしいんだろうということを言うので、我々はあまり声高く言えないんですけれども、基本的にはそういうことだと思います。
それから日本も問題を、歴史とのミスマッチを抱えております。これは日本は歴史上アジアの中心であったというのは、近々わずか百年ぐらいのことだけなんですけれども、それに慣れ過ぎちゃって、しかもこの十五年の経済不況があるものだから、特に六十歳以上ぐらい、それとも五十歳以上ぐらいか年長の世代を中心にして中国に対してものすごくいらだっているんです。自分たちの経済が悪くなって、下層階級に突き落とされるんじゃないかという恐怖があるときに中国が伸びてきたものだから、中国がすべての悪の象徴になっちゃって、アジアの中心から突き落とされることに対する非常な恐怖心がありますね。僕は楕円みたいに二つの中心でやっていけばいいんだと思うんですけれども。
あとは日本自体も「近代国民国家」にマッチしていないんだと思います。「近代国民国家」というのはすごい力を持った、すごい力を集中できる装置なんですけれども、これをちゃんと運営できる社会的な体質を日本はまだ持っていないんだと思います。ムラ社会的な集団主義的な体質を持ったまま民主主義になったものですから、ポピュリズムになりやすいわけです。法治国家でないときが随分ありますね。
それから外国が相変わらず思考体系の中に入っていないと思います。普段考えていない外国のことが突然話題になると、結局は思い込みと感情で処理してしまうことが大きいと思うので、現在はそれが北朝鮮について起きていて、日本の対アジア外交、対北東アジア外交の手を縛っているんだと思いますけれども。
日本では北朝鮮問題をめぐってのアメリカに対する憤懣の念とか、アメリカが日本を裏切ったとかいろいろな論議がありますけれども、北朝鮮と話し合ってくれとアメリカに一生懸命頼んでいたのがだれなのかちょっと思い出してみればいいんだと思うんですけれども、記憶のスパンがあまりにも短か過ぎるんだと思うんです。せいぜい一年間ベースですね。それからやはり日本はあまりに対米依存というか、その時代が長かったものだから枠組みを自分で提案することが何かものすごくできなくなっていて、もうちょっとアジアの安全保障の枠組みであるとか経済構造の枠組みであるとか、そういったものを自分で考えて提案して、言葉にするべきだと思うんです。
例えば日米安保は僕はもう堅持すべきだと思うんですけれども、これはやはりアジア全体の役に立つ日米安保という側面を強調するべきだと思います。コモン・アセットなんていう言葉がありますけれどもそういう方向に持っていくべきだし、それから日米安保が担当する地域以外だったらば僕は日本はPKOの参加のみにとどめるべきだと思います。
それから六者協議、これが現在日本はちょっと一歩脇に下がっちゃったようなことになっておりますけれども、一週間前アメリカの代表をやっているクリストファー・ヒル次官補がプレスに言っていましたけれども、あの六者協議が幾つかの部会に分かれていて、その一つがアジアの安全保障に関する部会ですよね。あれをもうちょっと話し合いを発展させてみたいんだというようなことを言っております。僕はあれはちゃんとやるべきだと思うんです。ライス長官も、例えば六者協議を発展させることによって、中国も入れてアジアの安全保障問題を話し合うメカニズムを整備するべきだということを何回も言っておりますし、それからロバート・ゼーリックも中国エンゲージメントの論理の一環として同じようなことを言っております。だから日米安保を堅持することは当然なんだけれども、それの補完材料として、わりと集団的な話し合いのメカニズムを我々も提案するべきだと思います。
一つ挑発的なことを申し上げます。古代を見ると唐の帝国が興ったころ、ちょうど日本が任那から唐と新羅の連合軍によって白村江で負けて追い出されたころ。あのころ、その直後に唐が高句麗を滅ぼしますけれども、高句麗は現在の北朝鮮のあたりにあった国です。高句麗の大臣たちがそのあと渤海国というのを同じようなところにつくっているわけです。渤海国はただちに日本に外交使節を送って外交を展開しました。ですから古代を見ますと、日本と唐と新羅、渤海国でバランスが成り立っていた時期があるではないかと。これを見ると、北朝鮮も日本の外交にとって使い手があるのではないかということを現在ちょっと考えているわけです。
後は、アジア版CSCE。CSCEというのは一九七四年にヘルシンキで行われたヨーロッパ全欧安全保障協力会議のことですけれども、ここでは国境は平和的な話し合い以外によっては変更しないんだということでヨーロッパのStatus quoを固定した会議であったわけです。それは実力によっては担保されてはおりませんでしたけれども、政治的には非常に大きなことでありました。ですからアジアでアジア版のCSCEをやって、台湾、それから朝鮮半島、ここはStatus quoでいくんだというようなことを合意すれば、それは一つの大きな材料になるんだと思います。ですから二〇〇八年、せっかく日本で先進国首脳会議をやるんですから、現在は惰性でもって環境問題が最大のイシューになるんだとか言っておりますけれども、もうちょっとアジア問題、日本でやるんだからアジア問題を前面に出したらいいんだというふうに僕は思います。
日本も中国と同じくもっと歴史を使ったらいいと思うんです。現在は西ヨーロッパによる植民地主義が最終的に崩壊しつつある時期。それをもたらしたのは、やはり日本であるわけです。日本自身が植民地主義勢力になってしまいましたから、ものの言い方には気をつけなければなりませんが。そして日本は、産業革命をほぼ独力で達成した唯一の非白人国でもあるわけです。産業革命は植民地主義とコインの表裏の関係にあり、両方を差配したのが「国民国家」です。国民国家は現在リストラの気運にあるわけですが、産業革命を独自に達成した日本は、国民国家リストラの方向についても独自のモデルを示すことができるでしょう。そういった歴史認識をもっと前面に出して、そういった方向で日本の独自性とか、もうちょっと広報上のセールスポイントにしたほうがいいと思うんです。以上で、大変独断と偏見で申しわけございませんでした。
―― 了 ――
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