2008年日本でのG8サミットで「アジア・ニューディール」を
(「東アジア共同体評議会」の掲示板「百家争鳴」に掲載) http://www.ceac.jp/cgi/m-bbs/
2007.2.9Japan-World Trends代表
河東哲夫
以前から指摘されていることだが、2008年は世界で重要なイベントが集中する。2007年12月には韓国で大統領選挙、ロシアで総選挙があり、2008年3月にはロシアで大統領選挙、台湾で総統選挙、8月には北京オリンピック、11月にはアメリカで大統領選挙が行われる。そしてそれらの真っ只中、6月か7月には日本でG8首脳会議が開かれる。日本にとって舵取りは難しいが、むしろアジアに世界の目を向けるチャンスととらえて大いに活用するべきだと思う。
その頃、世界はどんな感じになっているか? 米国がイラク撤兵を実現しているかどうかが焦点だが、いずれにしても退任を半年後に控えた米国大統領にとっては、後世に残る具体的成果をアジア方面で残せればそれに越したことはあるまい。ロシアの新大統領にとっては初めてのG8であり、随分神経質になって日本に来るだろう。その頃のロシアは恐らくインフレ圧力が今より更に高まり、政権交代直後の利権再配分の動きが頭をもたげる若干不安な状況になっているだろう。中国はサミット参加、不参加のいずれに関係なく、主要なプレーヤーだが、サミット直後に北京オリンピックが開かれることに鑑みれば、サミットがアジアについて大きな前向きイニシャティブを打ち出すことには大いに協力してくるだろう。EUはこれからフランス、英国の首脳が交代するので先行きが読みにくいが、米国と同様EUにとってもアジアは貿易相手No.1となったので(2006年)、アジア問題を話し合うことについて異存はなかろう。ロシアも、極東地方の安定と発展をはかるためには、アジアとの関係は喫緊の課題である。
現在のアジアはばらばらになっている。東アジアでは生活水準の上昇とともに国民の政治への関心が増大し、政府の戦後外交を自分達の目で再点検し始めている。東アジアの民主主義国はどれもポピュリズムの極致にあって、その中で過激な国家主義のカードが様々な勢力によって様々な思惑をもって使われている。過激な国家主義は社会の多数派ではないにもかかわらず、中国や韓国での一部の動きに日本の世論が反発し、それにまた中国や韓国の世論が反発するというように、危険なスパイラル状の相互刺激を始めている。日本が満州事変を始めた時のように、一部の者の思い込みで、アジア全部が本来は起こるはずのなかった悲劇に巻き込まれかねない。
アジア諸国民の間の相互猜疑心を少しでも減らすことが必要だ。北方領土問題のように戦後積み残しになっている問題を解決し、その上で1974年欧州がやった「全欧安全保障協力会議」のような発想の下に、アジアのStatus quoの維持、不戦、信頼醸成、軍備管理・軍縮について基本合意することから始めてはどうか? つまりアジア・ニューディールである。
「アジア諸国は発展の水準がまちまちで、歴史、価値観も異なるから、欧州のようには中々いかない」というのがこれまでの標準的説明だった。だが、東アジアはもはやそうでもない。都市の若者の風俗、振る舞い、意識は随分似てきた。生活水準も近似してきた。そして何よりも東アジア諸国を共通の死活的利益で結び付けているものがある。それは、自由貿易の原則だ。日本も中国も韓国も、自由貿易の原則が崩れ、経済関係の多くを政治力で解決しなければならなくなると、経済がもたなくなる。これまでは、アジアと言えば東アジア共同体のように、経済面の話しが先行してきたが、自由貿易のための安定した政治的枠組みを作る話も、強化せねばならない。
欧州列強の重商主義的な領土争い、植民地獲得競争の道具として生起してきた国民国家を、アジアがそのままなぞるのも芸のないことだ。EU諸国は既にその軍隊を、大規模正規戦より小規模地域紛争、対テロ戦闘に向いたものに再編成しつつある。国民国家もリストラしていいのであり、アジアはその先頭を切ればいい。
2008年サミットのテーマは、6月4日からのハイリゲンダム・サミットでもう明らかにしなければならない。日本は、今から検討し始めてももう遅いくらいだ。
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コメント
今回の河東様のご意見には全面的に賛成致します。 特にアジア・ニューディール構想、こういう事こそ、今、日本が先鞭にたって取って行う事で、アジアの信頼を勝ち得、アジアの中でInitiativeを取って行く事を可能とする、そのきっかけになると思います。
世界が尊敬の念をもって日本を見てくれるようになるとすれば、この辺りからでしょうねえ。
ODAのばら撒きで尊敬を勝ち得る時代ではないでしょう。