「世界に貢献する日本」はもう古い?
僕たち団塊世代周辺から上は、何かというとすぐ「世界に進出」し、「世界に対する戦略」を考えたがった。それは明治開国以来の惰性でもあったし、戦争に敗れたことから発するエネルギーでもあったろう。そして近くは、財政赤字に悩むレーガン時代のアメリカから、「今度はおまえの出番だ。少し俺の分も頑張ってくれ」と言われて真っ正直に「世界に貢献する日本」とか、ODA世界ナンバーワンとかボランティアとか一生懸命やってきたのだ。
その後クリントン時代のアメリカは日本叩きに転じたし、いつまでもODAナンバーワンを標榜するKYな日本を疎ましい目で見るようになっていたのだが、日本は例によって気がつかなかった。
今アメリカは、世界戦略を考えるどころではない。経済の回復とアフガニスタンからの名誉ある撤退を実現することだけで精いっぱいなのだ。日本が本当に出番を求められている場面は実は少なかろう。
折しも日本社会では、外国に対するコンプレックスのない若い世代が、もう少し自分達の足元を見つめてものごとを虚心坦懐に見直そうとし始めている。彼らは内向きと言われるが、自国内で十分暮らしていけるなら内向きで何が悪いのか?
内向きも悪いことばかりではない。「世界に貢献する」とか言っても、国内が伸びない経済の分捕りあいに終始しているようではどうしようもないのだから、一度つきつめて「世界」よりも日本自身の利益をじっくり考えるべきだろう。
日本の外交はそこから再出発する。「世界に貢献する(実は米国に貢献すること)」ことが最初にあるのではない。日本の利益実現のために世界でやるべきことをやる、これが日本外交の基礎にあるべきだろう。
自分自身から出発し、大風呂敷を広げる代わりに小さな包みを背負うことから始めるのだ。今の時代、どの国も実はそうした外交を展開している。壮大な外交より巧みな外交の時代なのだ。
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