2016年6月 4日
奈良盆地
この前天理大学で講演してきた。京都からの近鉄電車で窓の外を見ながらつくづく思った。この広大な大和盆地が生み出す富が大和朝廷の力の背景にあったのだろうと。そして奈良はまさにその中央に位置するのだが、数々の歴史ロマンを生んだ飛鳥は盆地の南端の山懐、そして京都は盆地の北端の山懐にある。それぞれ必然性のある立地なのだろうが、面白いことだ。
このうち京都については、大陸との物流が日本海の敦賀湾などを経由、琵琶湖を渡って、または迂回して入ってくるのに便利な地点にあったのだろう。しかし飛鳥の立地の理由はわからない。一部で推測されているように、神武天皇の一団は紀伊半島の熊野から上陸して山伝いに進軍、飛鳥のあたりで攻め下りたからなのか、その昔奈良周辺は大きな湖沼地帯で、大阪湾から外国の艦隊が内陸に入れたから、朝廷はできるだけ内陸に退いていたのか。
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