日本古来の価値観に戻ろう か
書店で新刊を見ていると、「日本古来の価値観に戻りたい」とかいう趣旨の表題が目に付いた。この数年、日本ではあらゆる「権威」が、実は不正にまみれていたとか、実力がなかったとかで否定され、残ったものは「日本古来の価値観」ということになったのだろうが、この「日本古来の価値観」とは何か? 要するに、外国語ができなくてもいい、日本は閉め切ってしまえ、という気持ちもこめられているようで、息がつまる。
または、社会保障費が足りないから、古来の助け合い、子が親の面倒を見る美徳を復活させようというのか? そう言う人たちは自分でそういうことをやっているのか? 結局女性にそのしわ寄せが行ってしまうのではないか? あの自己犠牲の世界。演歌の倒錯した世界。
日本古来の価値観というのは決して一つのものではないが、まあ言ってみれば「ちゃんとしていること」という一語に集約できるだろう。それはそれで、素晴らしい価値観だし、何も「戻りたい!」と叫ばなくても、現在の日本社会でも十分実行されていることだ。
だがそれも、衣食足りてのこと。「衣食足りて礼節を知る」のだから。ついこの間まで、近い仲間に属している者以外には、傍若無人な態度をとっていたではないか。通勤ラッシュでの電車の乗り方、公衆便所の汚れ方。
そして、「日本古来の価値観」を云々するのもいいが、明治以降の日本が表面だけまねて精神は置き忘れてきた西欧社会の価値観がどんなものなのか、ちゃんと踏まえてから議論をするべきだ。欧米の個人主義はエゴイズムにつながるから嫌だ、という人は、自由思想の父ジョン・ロックは「自分のための自由と同様、他人の自由も尊重する必要がある」ということを言っていること、そしてジェレミー・ベンサムが「最大多数のための最大幸福」を実現することが政治の目的なのだと言っていることを知っているのか? 政府がやりたい放題で、国民の権利を侵すのを防ぐためのアイデアが、欧米にどれだけ豊富にあることか。それはモンテスキューの三権分立思想だし、ルソーの社会契約論、そして経済面ではアダム・スミスの市場経済論なのだ。
日本は、近代工業を発達させ、幅の広い中産階級を創造した。これを江戸時代のしきたりで治めるのは無理である。ならば、西欧が育んできた近代工業社会のための諸価値観を、ちゃんと勉強してみる価値があるだろう。
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