Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界文明

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2011年9月 8日

自由 民主より 生き残りが問題の時代

いろいろな研究会に出ていると、この頃「価値観」という言葉がまたよく使われるようになったことに気がつく。「日本は中国にくらべて自由、民主・・・・・。だからこの価値観を・・・」という具合。

わかるし、僕も昔からリベラルなのが好きだ。

だが日本だって別に昔から自由、民主だったわけではない。そりゃ、江戸時代の都市社会はずいぶん開けていたし、大正デモクラシーという時代もあった。だがその大正デモクラシーがすぐ、今の日本のような政党間の泥試合になり、軍に権威主義を持ち込まれ、結局自由、民主が言葉としても定着したのは米軍による占領以来のことではないか?

だから今でも日本の外交官が開発途上国で自由、民主の重要性を説教すると、忍び笑いをかみ殺す連中がいるのだ。「こいつ、アメリカに飼いならされて、まだこんなこと言ってやがる」というわけだ。

われわれは戦争に負けて占領されたことを、事実として受け入れるべきだ。「占領された」という事実を正面から見ず、自由とか民主主義とかいう言葉で飾り立てるのは、おかしい。それでは結局、自由、民主主義を本当に我が物にすることはできないと思う。この二つは上から言われたとか、美しいから、とかいうことではなく、自分の人間として動物としての已むにやまれぬ欲求が基礎になっていないと、ウソんこで終わってしまうのだ。

それに自由、民主主義を生んだ西欧においても、前者は生活に満ち足りた貴族的なインテリの占有物(大衆は別に「自由」が欲しいなどとは思っていない。大衆はどの国でも自由に、勝手にものをしゃべっている。大衆が欲しがるのは良い生活だ)、後者は大衆に1票を与えることで不満のはけ口とするという面もあり、どこか胡散臭いところもある概念であることは、認識しておかないと。

それに今は、価値観のことを云々している余裕などもうない。日本語で仕事ができ、豊かな生活ができる、この日本という名前の付いた領域をちゃんと守ることが先決。そういう時代になってきた。ああ嫌だ。

――支離滅裂のことを書いたが、要するに「自由」とか「民主主義」とかいう言葉を、自分で咀嚼することなしに使うなかれということを言いたかったのだ。

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