2011年7月22日
ヨーロッパも謝罪の文化に
今、イギリスではメディア王マードックの率いる新聞社が市民の電話を盗聴してそれを記事にしていた件で大騒ぎ。しかも今渦中にいる記者を、キャメロン首相がメディア担当として雇っていたことがあるというのだ。
野党にとっては、格好のネタ。議会で攻められたキャメロン首相は言ったらしい。「彼が有罪ということになれば、私は彼を任用した不明を心から謝罪することとなるだろう」。
これは、法的な責任を生じさせない、巧妙な謝罪である。
それはそれとして、この謝罪apologyという言葉、「欧米では罪は世論ではなく法で裁く、それまではsorryとかapologizeとか言うな、言ったら自分に罪があることを自ら認めたことになるので、裁判でも不利になるから」――こういう風に教えられて育った僕らの世代にとっては、キャメロン首相がいとも簡単に発音したので「えっ!」と驚くほどの代物なのだ。
アジアでは村落共同体の習わしが強く残っているのか、悪いことをした者を公法(お上の決めた「彼らの」法)で裁くよりも、自分たちの習わしに従って罰しようとする。それが「謝らせる」ことなのだろう。日本の場合、謝れば水に流すことになるが、中国、韓国では謝るということは未来永劫、自分が相手よりも下の存在で、永遠に罪を償わなければならないことを誓わされるように思える。
では英国の場合、首相がapologizeするというのは、どういうことなのか? 多分、マスコミに対するパフォーマンスに近く、日本での「水に流す。但し頭を下げてもらう」というのに似ているのでは?
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