政争より政治システムの改革を
民主党内の積年の確執とか自民党や公明党の思惑で、果てしない政争が続く。民主党に対してなぜかオーナーとしての責任意識を持っているらしい政治家が出てきて、かきまわす。地震、津波、原発に次ぐ災難だ。
どの先進国も、政治システム(ガバナンス)が社会の実相に合わなくなって――つまり社会と政府の間のインターフェースがつまってしまって――往生しているが、日本は強いリーダーを生めない社会だから混乱が増幅されている。
日本の社会ではムラの共同体はとうに解体されて、市場経済――顔の見える相対取引よりも匿名の多数を相手とする経済――になって久しいと言うのに、そして国民の政治理解は向上したと言うのに、永田町の一部は相変わらずムラの論理、またはほとんどヤクザの論理(切った張った、そして盲目的な仁義)で動き、マスコミの一部はそれを煽っているようだ。
つまり法律でものごとを律するよりも、人と人の間の関係でものごとを決めようとする。何か悪いことが起こると、誰のせいでそうなったのかばかりを追求して果てしない足の引っ張り合いを繰り広げ、次に同じようなことが起こらないようシステムを変えて行くことには頭が回らない。
今の日本の問題は、国民一人一人が政治への関心を高め、権利意識を高めている中で、「誰かに投票して自分の意見と利益を代表してもらう」という代議制民主主義が目詰まりになっていることだろう。国会とか政党はまやかしではないかという疑問は、特に青年世代では強いし、今の体たらくを見ていると、そう思われても仕方あるまい。
そこで、「誰か立派な政治家がいれば」すべてはうまくいくだろう、という神話が登場する。だが、今の日本はムラではない。複雑な現代社会を、たった一人の人間が切り盛りできるはずがないではないか。それに運動会の徒競争でも順位をつけるのを止めようとした平等社会に、強いリーダーが出てくるはずもない。
代議制民主主義は目詰まり。今のような国会なら、無い方がいい。だが大統領制にすれば、選択を間違った場合、ひどいことになる。
では官僚? 一部マスコミは官僚の役割再評価を進めつつあるし、これはいいことだと思うが、これが以前の官僚国家への完全な逆戻りになっても、また間違いだろう。日米安保と大企業の成長に依存した以前の日本なら、官僚国家でやっていけたが、今の日本では社会と政府の間のインターフェース(社会の状況を吸い上げ、改善するための政策にし、それを社会に説明して大多数の納得を得るプロセス)が必要だ。
国民国家とか民主主義体制とかは、西欧、米国で人間が「作り」あげてきたものだ。特にアメリカの憲法は、喧々諤々の議論と机上のシミュレーションを経て、200年の使用に耐える政治システムを作り上げた。僕も名案はないけれど、みんなもっと主体的に政治システムを現代社会に見合ったものに作り替える議論を始めよう。
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コメント
河東さん
大変興味深いご意見です。僕は今の政治混乱の元凶は、鳩山・小沢ラインと、谷垣・山本・石原ラインと見ています。いま菅さんを取り換えるべきではありません。菅さんが震災対策、原発対策で成果があまり上げられないのは、(1)被害規模が前人未到の規模で意外な事象が次々に襲っているからです、(2)責任の一半は東電の対策不備にありますが、その分まで菅さんの責任にされています。(3)菅さんは災害当初からずっとこの問題の最終責任者としてやってきましたから、打つべき対策について他のだれより深い知識と経験を持っていますさらにやる意欲があるのですから、任せるべきです。(4)対外関係でも、原発の国際会議の中心になって活躍しています。亀井氏が言われるゆに、首相の首は軽いものではありません。いま引きずり降ろせば、日本への評価は大幅に低下します。(5)党利党略に走って混乱を助長し、対策実行の元凶になっている人々は、交代したいなら、積極的な自身のプランを掲げて国会審議にかけ、国民にアピールすべきです。
あなたが言われる政治システムの見直しは、中長期の課題です。当面は上述のような視点で菅内閣を支え、協力すべきで、日時を区切って退陣を表明せよ、という要求は、まったく間違っています。現在は退陣を口にすべきではありありませんが、もし言うなら、課題達成を退陣のメドにすべきでしょう。早期退陣論者は、総力を挙げて菅内閣に協力すれば、それだけ退陣が早まるのです。妨害すれば課題達成がそれだけ遅れます。この自己矛盾に気づくです。