2011年4月10日
謙譲の美徳はどこまで有効か?
今回地震で被害を受けた方々が静かに整然と避難生活を送っておられるように見えることが世界の称賛をよび、またわれわれも誇らしく思っているが、少しおかしい。脚色がある。
羅災された方々の中には心にたぎる思いの怒りや悲しみをこらえる人たちがいるはずだし、被災地では放置された金庫を持ちさる年少者の存在なども報道されている。
少しは安全な東京にいるわれわれも、とても謙譲の美徳だけで生きているわけではない。そもそも人間的な生活というのは、謙譲の美徳を発揮してじっと耐えていれば実現できるものではなく(そんなことしたら周囲からむしられてじり貧だ)、それなりの経済活動と、それなりの隣国(つまり安全保障)がないとできないものだ。
そして衣食住足りて礼節を知ったわれわれも、まだ傍若無人な振る舞いをすることが多いのだ。とても、世界に誇る礼節国だなどとは言えない。たとえば中年以上の男性のくしゃみ、鼻のかみ方はどうしてああも非文明的で傍若無人なのか? 謙譲かと思った人間が突然、くしゃみで自己顕示をし始める。
ついこの間まで日本人の男性は、酒をのむと抑えに抑えたたがが外れ、人が変わったように泣き出したり、怒り出したり、威張りだしたり――そういうのが多かったのだ。今は草食系とかが多いが、これは社会の圧力におしつぶされてしまったので、謙譲の美徳を実践しているわけではないだろう。
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