政治は空回りでも、暮らしは大丈夫――世界にその例多し
小泉政権が去って以来、日本の政治は空回りが著しい。それで閉塞感がみなぎってしまったが(いや、閉塞感が強いから、政治家がしょっちゅうブーイングを食らうのか?)、暮らしの方は何ということはない。「お前は死ぬ。あと5分で死ぬ」と言われ続け、すっかりその気になった男が、恐さのあまりにふさいでいた目を開けてみると、けっこう天気は良いし、鳥はさえずり、自分は以前と同じに生きている。生きているではないか!
というあたりが、現在多くの人たちが持っている実感ではないか? せめて予算案くらい国会を通してくれれば、あとは自分たちでやる――国民はこう思い始めている? (そうだったら素晴らしい)
これは日本だけに限った話ではない。政争が限りなく続く国でも、それはまるでどこか広場の見世物小屋の中だけの話ででもあるかのように、生活は粛々と進んでいく。17世紀のオランダがそうだった。当時のオランダ政治は様々の政治家や地方の利害が入り乱れ、読んでいるだけで眠気をもよおす。いちばん大事なことは、17世紀のオランダこそはその政治の乱れにもかかわらず、世界に冠たる海運大国、ヴェニスに代わる資本主義の大国となっていたことだ。
そして現在のベルギー。言語も民族も異なる地方を内部に抱えて、内閣不在はすでに半年以上に及ぶ。だがそれでベルギーの国債はデフォルトになったか? ブラッセルの公共交通機関は止まったか? 答えはいずれも否。政治が空白でも生きていけるのだ。
――まあ、ことはそう簡単ではないが、2~3年の政治空白なら大丈夫ということ。だが空白のままでいるには、日本には今決着をつけねばならない社会問題、政治問題が多すぎる。
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