Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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世界文明

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2010年7月28日

日本は上から下まで盛り上がらない

先週グロコムのセミナーでの質問時間、長年中国や韓国に行って社会を観察していた高原基彰東工大講師が面白いことを言った。
「日本は上も下も低調。盛り上がらないという印象があります」

まったくだ。上というのは(別に上でも下でも中でもいいが)「国家」とか「政府」とか「権力」とかいうシンボルをあやつる連中のことだろう。ナショナリズムとかなにか大きな理念を示すことができない、そして、社会の諸問題が芋づる式につながっていることを全然認識していないから、政策は思いつき的で場当たり、無責任、根本の問題は悪化するばかりで放置されることになる。

下というのは(別に上でも中でも内でもいいが)市民レベルの声とか運動とかを言うのだろう。1980年代と記憶するが、主婦層を中心にボランティアの政治運動が盛り上がった時があったし、90年代には国内・海外でのボランティア活動が盛んだった。それが低調になってしまった(と言うより枠が固まり、囲い込まれてしまったと言うべきか)。

「上」の有様については不勉強、不真面目としか言いようがないが(要するに年間100億円を超える政党助成金に群がるだけの、隠れ公務員と言われてもしょうがない)、社会の有様についてはこれを停滞と見るか、疲れと見るか、それとも飽食と見るか、いったい何なのだろう? 若い世代は、社会保障負担に辟易とする一方では、けっこう生き生きと過ごしている感じがするのだが。

まあ、そんなこんなで、日本というのはもともと自由とかイエス・キリストとかアラーとか絶対的な価値というのがない国で、いわゆるイデオロギーがない上に(1960年代までのマルクシズム運動はもう萎えている)、僕も含めていちど大学に入ると勉強しなかったから教養水準に問題がある。だから哲学的概念をあやつって議論するより、好き・嫌い、けしからん・立派という次元の感情論で議論が推移する。

日本は上から下まで感覚のままたゆたう、煙のような存在か?

コメント

投稿者: たろ | 2010年7月30日 02:20

煙のようなイデオロギーが、
膾炙してるのではないでしょうか。

キリスト教やイスラム教が絶対主義的なイデオロギーであるとすれば、日本は中間的なイデオロギーが蔓延してしまっているのでは。

私自身もはっきりと焦点が定まっているわけではないのですが、
学校教育の時点で極めて予定調和的なあり方が、ほぼ強制される。わけのわからないマスゲームのような踊りや、運動会、行進、法的秩序を無視する学校倫理(体罰や独自の高速)。

法の下に生きる市民ではなく、その場の雰囲気になあなあで世渡りする村社会的な倫理を学校は生活の中で発展させてしまう。学級委員や生徒会といって、全体主義的なシステムが、普通に日常空間を覆っています。。。

これだと、倫理や啓蒙といったクリアライズされた理念や思想が入り込む余地がない。常に人間関係が絶対項目として抜きん出てしまいます。

この中で育つと、「自由」のあり方という具体的な視野がみにつかない。「迷惑をかけない」、「人を嫌な気持ちにさせない」、「いつも仲良く」、「大人として」のような理念が、こどもの自由と、それだからこそ獲得できる多感性、多様性を圧殺していってしまいます。

順応的な労働者を育てるにはこれが良いのかもしれませんが、
反民主的労働者のメンタリティがどうしても学校教育・制度によって開花してしまう。労働者階級が反民主的な性格になりやすいのは、アドルノや大衆化研究では知られていることです。

日本人に特有のタフネスのメンタリティです。
耐える事、我慢すること、自己表現しないこと、仲良くすること。

そして、多くの場合、子供に「自由」を与えると、かつてあったような猟奇殺人でも起きるかのような感覚で強固な実感になっているのを感じます。

暴走族などが、そうした学校思想の里帰りともいうような軍国文化に向かうのは、ある種の膾炙するイデオロギーの道筋を示しているようにも思えます。

強くなること、負けないこと、その中でルサンチマンが苛烈な勢いで増大する構造を何十年もやっていれば、さすがに「元気」はなくなるかと・・・。

上記のタフネスの思想の洗礼をうけると、人道的であること、合理的であること、寛容、リベラルを考えるものは愚か者ということになってしまう。

そして、本来なら言葉を交わし、理解するという民主主義の大前提が、学校的なコミュニュケーションによってつぶされてしまっているのです・・・。信じられない巧妙さで、啓蒙的な自己開花の可能性が摘み取られてしまっている。

タフネスのスティグマは、日本人のこころに非常に深く刻み込まれているように思えます。

このせいで、もはや上も下も合理的な合意ができなくなってるのではないでしょうか。

このお話に関しては、はなはだここのコメント欄では舌足らずになるので、参考文献をあげておきます。

・群集と権力 エリアス・カネッティ
・いじめの構造 内藤朝雄 講談社現代新書
・公共性の喪失 リチャード・セネット
・日本とポストモダンファシスト 山本哲士

投稿者: たろ | 2010年7月30日 02:23

4冊目のタイトルがまちがっていました・・

「日本社会イズムとポストモダン・ファシスト」
山本哲士 文化科学高等研究院出版局

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