日本の現代を表象する新聞小説
(これは1月27日発行のメルマガ「文明の万華鏡第141号」の一部です)
日本経済新聞の夕刊(夕刊は駅売りしていないところも増えたし、100円もするので、ほとんど絶滅危惧種)に「イン・ザ・メガチャーチ」という小説が連載されている。日経の新聞小説はエロっぽいものが時々あって評判になるのだが、これはそういうところがない。文化、メディア界の群像とその付き合いぶり、働き方が会話を中心にして描かれている。
筆者も小説を書いたことがあって(ソ連崩壊をバックにした大河ロマン「遙かなる大地」熊野洋筆名)、一番難しいものの一つに会話があることを知っている。リアルな会話を書くには、日頃耳を澄ませて他人の会話を頭の中に蓄積していかないと、ものにならない。その点、この「イン・ザ・メガチャーチ」の登場人物の会話は、自然そのもの。すごいと思う。
問題は、彼等の会話、そしてそこで描かれる生活がいかに空虚なものかということだ。昆虫にヘッピリ虫だかカメ虫だか、草色で、一見殻でおおわれているのだが、つぶすとペタンコになって、中身がない(ように見える)のがいる。そういう感じ。作者の朝井リョウは、これを直截的に言うのではなく、会話を通じてじわじわと沁み出させている。
20世紀の初頭、ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」が、意識の流れをそのまま小説にしたものとして評判になり、20世紀の古典とされる。
その伝で行くと、この「イン・ザ・メガチャーチ」という小説は、現代日本人の根無し草の存在ぶり、その意識の流れを文学にしたものとして、古典になるかもしれない。作者の朝井リョウ(男性)は直木賞史上初の平成生まれの受賞者で、男性受賞者としては最年少者なのだそうだ。「桐島、部活やめるってよ」の作者だ、と言ったら、知っている人も多いかもしれない。
今の自民党(野党も似たり寄ったりだが)の体たらく。「象徴としての天皇」をめぐるフィクション性。社会にはびこる形式主義、建前主義を見ても、戦後日本は精神的に本当にカラだと思う。これは三島由紀夫などが声をからして言っていたことだが、彼らのように戦前の超国家主義ではなく、前向きの中身で日本社会を満たしていきたい。
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