Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
ChineseEnglishRussian

世界文明

Automatic Translation to English
Automatic Translation to English
2023年9月 1日

日米同盟稀薄化の危険性:日本はどうなる

(8月22日発売のNewsweekにも、同種の論評を投稿しています。またこの論評の英訳はこのブログの英文欄に掲載されています。
日米同盟が強化されているように見える今、下記のようなことを言うのは的外れに見えるでしょうが、あえて掲載しておきます)

米国がイラクに、「大量破壊兵器がある」と言って攻め込み、実際には「大量破壊兵器」などなかったことがわかった時、そして「民主主義を広めるのだ」と言って攻め込んだ米国が、イラクで拷問をしていることが発覚した時、日本人の米国に対する気持ちは随分冷めた。そして米国に対する失望感はトランプ政権で確かなものになった。同盟国を軽視し、国内では暴力で大統領選挙の結果を覆そうとしたからである。

そして今は台湾防衛が、日米同盟におけるmoment of truthになろうとしている。台湾有事の場合、日米が軍事でどう連携するか、シンクタンクでシミュレーションが行われている。これを見ると、日米双方とも腰が定まっておらず、互いに責務を押し付け合っている。例えば米国は、中国本土の基地は叩かないことを大前提としている。だから中国の軍艦・戦闘機は全力で米軍・台湾軍を攻撃して多大の損害を与える。一方日本は、台湾有事で自衛隊を出動させるには、これを日本の「存立危機事態」と認定した上で国会の承認を得なければならず、それは容易なことではない。

兵器の面でも、米国が内向きになって技術の開示・移転に消極的になっていることが、これからの関係に影を落としている。2019年4月青森県沖に墜落した戦闘機F-35Aの墜落原因は、今に至るも確定していない。それもあり、日本は主力戦闘機F-2の後継機開発を英国、イタリアと進めようとしている。

 経済でも、米国は内向きの政策を強めている。インフラ建設、半導体や電気自動車の生産に数百億ドル単位の補助金をつけるだけでなく、外国企業を排除する姿勢が時にちらつく。電気自動車への補助金は、結局米国三社の製品にしか交付されない。

 今すぐそうなるわけではないが、一旦起きれば米国の動きは速いだろう。日本は米国という後見人がいなくなる時のことを考えておかなければならない。日米同盟を失った日本は、明治の開国初期の国際環境に引き戻されたようなことになる

当時の日本は独立はしていても裸一貫。米国は南北戦争を終えたばかりで何もできなかったが、中国の清朝は近代的軍艦を購入して1886年には長崎に修理の名目で押し寄せると上陸して乱暴狼藉を働き、欧州列強は日本との不平等条約の利益を貪り続ける、という状況だった。

その時よりは、日本ははるかに強大化した。しかし周囲を大国、しかも核保有国に囲まれている状況は変わらない。情勢判断と外交を誤れば、1895年、独露仏の三国干渉で、日清戦争での獲得物の放棄を迫られたような屈辱を嘗めさせられるだろう。

日本は主権を使いあぐねるだろう

日本は明治以降、今に至るまで国民国家という強大なマシンをうまく操縦する技を身に着けることができずにいる。戦前は天皇を神輿に、薩摩・長州両藩の有力者達が、全国から徴募した官僚を使って君臨した。軍部がこの構造を簒奪して日本を敗戦に導いたあと、天皇はその権力を奪われ、権力の頭がなくなった日本では官僚が税金の配分を差配してきた。頭はワシントンにあった。外交・安保・金融政策の大元は、ワシントンで決められていたからである。筆者はこれを「仮の国家」と名づける。

感性だけでは荒くれ者ばかりの世界は渡れない

そしてもし、日本が主権を完全に取り戻しても、日本は「国民国家」という巨大マシンをうまく操縦できないかもしれない。国民国家という構造物は、米国、中国を初め、英仏独のような老舗でも扱いかねているのだ。日本はガバナンスを欠く点では欧米諸国と同じだが、その政治思想の根底に人間をものごとの中心に置く、リベラルな人間主義の哲学を欠いている点で、もっとハンディを負っている

人間主義=ヒューマニズムという背骨がない中で、国論は戦前への復古主義とマルクス主義的階級論に二分されてきた。今の日本には、現代社会に見合うような価値観、背骨となるべき基本的な価値観がないのだ。

政策を動かす官僚達は手続きを守ること、諸方に連絡して了承を取ることに忙殺されて、戦略・政策を作るマインドを欠く。戦略・情勢を見ている専門家達は実務経験に欠けるから、政策を動かすノウハウを欠く。

こうして、アタマと背骨がない存在が、マンガやアニメやJ-Popなど感性だけを売り物に、荒くれ国家たちの世界を泳いでいる

1969年、高度成長のたけなわ、日本の歌手カルメン・マキは歌った。「時には母のない子のように、ひとりで旅に出てみたい」・・・対米依存からの脱却。それは日本人の夢だ。どんなに沢山の有能な人たちが、対米依存の構造の中で苦しんできたことか。

だが望むと望まざるにかかわらず、日本は旅立ちを迫られるかもしれない。アタマと背骨のない存在は、それに耐えられるだろうか。やけのやんぱちの「ええじゃないか」踊りの中で、開国派と尊王攘夷派が問答無用の斬り合いを繰り広げた、160年前の幕末が思い起こされる。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/4277