デンマーク経済を参考に
(これは10年ほど前に、書いた論文。どこにも発表していないので、もったいないと思い、ここにアップしておく。北欧諸国の経済、経営、社会保障には参考になるものが多い)
日本経済――自縄自縛からの脱出
―――デンマークの場合によせて―――
2010,7.10
河東哲夫
1.はじめに――「もっといい生活」のモデルを持とう
(1)成長と分配の間を右往左往する、日本の経済政策
もうこの20年間、日本の名目GDPは増えていない。その間たとえば洋服とか肉の値段はずいぶん下がったので、それほど惨めな感じもしていないのだが、増えない税収をどう配分するかについて、社会各層の間での奪い合いは激しくなっている。老齢化が進行しており、若年世代は国民年金の負担に抗議の声をあげている。
小泉政権は構造改革、リストラ、円レートの低位維持によって経済の活力を回復させ、それによって税収も上げようとした。だが財政赤字削減のために同政権が道路族等の既得利権を崩そうとしたこと、また社会保障・医療補助の一部を削ったことへの反発が、自民党総理を一年ごとに代え、遂には2009年夏衆院選挙で与党交代まで実現するエネルギーを生み出した。
だが民主党がこども手当に見られるように、「成長よりも配分」に過度に傾いたことで、世論は財政赤字が心配になり、今度は増税だ、いやまだ増税は早すぎる、まず成長確保だ、あるいは増税を通して成長するのだと、極端論、あるいは謬論に惑わされている。
ここには、なぜ日本経済が今のような状況に陥っているのかについての根本的な理解が見られず、ただ右往左往している感がある。歴史認識が足りない。
単純化して言えば、日本は1985年プラザ合意(円の大幅切り上げを米にのまされた合意。日本が対米輸出に過度に依存し、米国の財政赤字・貿易赤字の際限なき拡大を生んだことが、その原因だった。現在の米中関係に酷似)の後始末に今でも悩んでいるのである。
つまり、プラザ合意で日本は、輸出よりも内需に依存して成長することを求められたのだったが、その「内需」が今にいたるも十分ではなく、成長を輸出に依存する体質は以前にも増して強くなってしまったのに、輸出産業が海外に流出してしまったり、海外の景気が落ちて輸出先がなくなったりしているから、にっちもさっちもいかなくなっているのである。
(2)作るだけで、需要面での政策が足りない
なぜ日本の内需は盛り上がらないのか? 2007年には家計貯蓄率が僅か2.2%にまで落ち、けっこうカネを使っているというのに。
ひとつには、日本政府の経済政策がいびつであることがある。つまり生産・供給面についての政策は経済・産業省が中心になって懸命にやるし、財政・金融面についての政策は財務省、日銀がしっかり支える。ところが需要面についてはどの役所も筋道立てては考えていないようだ。内需拡大と言っておきながら。
つまり生産・供給はきちんとしても、それを国内で消費しきれない。だから国債を発行して市場から余剰の資金(つまり消費や投資に向かいきれていない資金)を吸い上げては、予算として配分することで、貯蓄を強制的に消費・建設に回しているのだ。そしてそれでも余った分は輸出に向けられる。
確かに、輸出は必要だ。自分で輸入する分くらいの輸出はしていないと、経済が持たない。だが日本の輸出は輸入を賄って余りがある。その分はもっと輸入を増やすなり、収益を国内で投資・消費に向けるなりして、生活水準を上げていくことが、経済の目的ではないのか?
これからの生活モデル、社会整備のモデル・目標を社会が共有していないから、需要が盛り上がらない。供給増大、競争力向上、あるいは財政バランスの回復だけに努力が集中して自己目的化し、需給ギャップを生じさせてしまう。いつも家計の財布のひもをきつく絞り、働け、働けと尻をたたく一方では、小遣いはぜんぜんくれない女と結婚しているようなものだ。
(3)「生活レベル大国」を目指し、そのためにカネを使おう
(イ)日本の戦後には坂の上の雲に相当するような、モデルがあった。目標があった。それはまず第一に戦前の都市中産階級の生活レベルを回復すること、次にテレビ、電気冷蔵庫、電気掃除機、電子レンジ、クーラーを買って、「お隣さんと同じ」になり、ピアノと車を買って隣りを抜き去ることだった。だが住宅は高いし、それに退職後は田舎に帰るかもしれないから、うさぎ小屋のままだったのだ。
モデル、目標・・・。「需要面での政策がない」と書いたが、経済学上の需要政策のことを言っているのではない。社会心理学上のことを言っている。つまり、われわれ自身が生活水準向上における当面のモデル、目標を持つことを言っているのである。
そしてその場合ヨーロッパ諸国(すべてではないが)における住宅水準、田園・都市景観、社会保障の水準(つまり住みやすさ、住み心地)は、目標とするに最も適しているのではないか? 日本と所得水準がほぼ同じであるし、米国よりは格差の小さな(特に北欧)社会だからだ。
広いリビング、家族それぞれのための個室、客が家族で何日も泊って行ける部屋をそなえた家、アパート、そして交通を妨げ、景観を害し、カラスをはびこらせる電柱・電線のない落ち着いた景観、人口は少なくても十分ある経済の活気、人口が少ないゆえに生ずる住みやすさ(経済で過当競争が少なくなり住み分けができている、渋滞がすくない、交通機関がすいている、託児・介護サービスが充実している等)などをわれわれが目標として共有し、それを実現する方向で政府や個人のカネを使っていったら、これまでのようなバラマキではない、消費が更なる消費と投資を呼ぶ、意味のある需要喚起ができるだろう。家が大きくなれば、そこに置けるモノも増えるので、需要は恒常的に高いレベルに移行するだろう。
ここに述べた政策のうちいくつかは既に施工されている。例えば一定以上の面積を持つ家を建てると、税の優遇措置が受けられるなど。だがそれら措置のほとんどは知られていない。もっと発信が必要なのだ。たとえば総理が「みんなでもっと、いい家に住もうじゃないか」というスローガンを広く行き渡らせることが必要だ。
(ロ)国債についてはあとで議論するが、市場金利を過度に押し上げないかぎり、増税よりましなものだろう。増税は経済を縮小スパイラルに陥れるが、(適度の)国債は経済を拡大させるからだ。
今のように需要が足りないときは、国債で資金を吸い上げ、生活水準をいちだんと高いレベルに移行させたうえで、経済をまわしていけばいいだろう。具体策はあとで論ずる。
(4)デンマーク・モデル?
品のいいデザイン、世界一と言えるほどおいしい食材の数々。シャイで親切な国民性。だが、この国が日本に似ていると思ったら大間違い。デンマークは小国だから、外国との関係なしには生きていけない。外国に取り囲まれているとは露知らぬかのように、「善い国」とだけ時々付き合っていけばいいと思っている日本人とは違う。デンマーク人は昔から、他を侵略し(アングロ・サクソンと言われる英国も、実はデンマークに支配権を乗っ取られたのだ)、あるいは他から侵略されて(近くは第2次大戦中、ドイツに占領されていた)生きてきた。
国内では昔から、英語やドイツ語のテレビを受信できたし、英語もドイツ語もデンマーク語に近いので学校で少し習っただけでできてしまう。輸出はGDPの33%分に相当し、これはドイツの約40%には及ばずとも、日本の約16%をはるかに上回る。自分の言語、自分の文化、自分の社会に強烈な誇りを持ちつつも、デンマーク人が生きていく上で外国で働くこと、外国人と通婚することは常にごく当たり前のオプションとしてある。つまり日本語で言う「国際化」された国なのだ。
そして人口が550万人だから、社会にいつもゆとりがある。過当競争があまりない。それでいて、大都市の繁華街にはにぎわいもある。
そして、北欧人はもともとはヴァイキングなのだから、日本人よりよほど自立心がある。個人と政府との関係ももっと合理的で、ドライである。
北欧というと、われわれはスウェーデンの方を思い浮かべがちだ。確かにスウェーデンは世界的大企業も多く(随分少なくなったが)、社会保障も整っている。自分はスウェーデンに在勤もした。だが今回は家内の国デンマークのことを少し真面目に勉強したので、そちらの方を紹介したい。
(イ)デンマークは、大企業こそ少ないものの工業国だし、食品の質の高さと美味しさは世界最高だ。工業製品も高い文化水準に支えられているので、性能はもちろんデザインの面では世界をリードしている(家具、Bang and Olufsenのオーディオ機器、Georg Jensenの装飾品等)。
(ロ)そしてデンマーク人の生活水準は高い。それも成金的でなく、質素さを維持しながらごく自然に高い水準で住んでいる。それは社会常識になっている。小中校教師で月給平均約60万円(ただしそのうち半分くらいは税金で持っていかれる)だが、それでも5 LDKくらいの広々とした家に住んで当然と、彼らは思っている。
介護つき(但し軽度のもの)老人ホームは市営のものでも待つことなしに入ることができ、1人で80平米ほどの1LDKを使うことができる(但し入居者の切実度に逆比例する料金が年金から差し引かれ、貯金を持っていると料金はさらに高くなる)。
街には石造りで高さ、様式の揃った家がならび、電信柱や電線はあっても景観を妨げないように按配されている。
(ハ)1990年以降、労働時間は週37時間で、毎年5週間プラス3日間の有給休暇が取れる。欧州ではこのような長期休暇は常識であり、「同僚に迷惑をかけるから」といった意識は見られない。
おそらく欧州では競争より住み分けが経済の原則になっていて、担当者が休暇のときはその担当の案件は誰も知らなくて当然、進まなくて当然、というぐあいに許容度が大きいからであろう。
(ニ)そして何よりも、高度な社会保障が経済の重荷になっていないようで、経済は活気があり(世界金融恐慌までは)、外国企業もデンマークに立地(して、EU全体をねらう)することを好んでいることが、われわれの関心をひく。日本の場合、大企業は多数あっても、それがもう生産の半分は外国に移してしまったがために、税収や雇用で以前ほど大企業に頼ることはできなくなっている。
従ってこの小論では、次の2点を点検してみたい。
①デンマークはどうやって社会保障と経済成長を両立させているか?
社会保障の財源はなにか?
②もしかして、社会保障自体が社会全体の需要を高め、経済成長を実現する要因になっていないか?
(5)結論の先取り
忙しい方々のために、結論のいくつかを並べておく。詳しいことは末尾5の「結論」を読んでいただきたい。
(イ)デンマークが日本より経済成長できるのは・・・
①企業の低負担:企業は若干高めの賃金を払うが、法人税は日本より低く、さらに年金・医療など社会保障の一部を負担することもない。
②国民が貯蓄より消費に向かうよう、諸制度が作られている。
③企業が低負担であることから外国の直接投資が入ってくる。また通貨のクローネがユーロにペッグしていることも外資を入りやすくしている。従ってデンマークには大量の間接投資が流入して経済を刺激している。
④産油国であり、石油・天然ガス輸出国である。
この要因がなかった1970年代、デンマークは対外公的借り入れでその高福祉を賄っていた(当時国債累積額はGDPの約70%に達していた)。
(ロ)高福祉が可能なのは・・・
①個人所得税が高い累進課税であり、付加価値税は25%にもなること。
②人口規模が適正な地方自治体単位で社会保障を担当しているため、小回りがきくこ
と。
③社会福祉メニューの中で現役層向けのものが金額ベースで半分以上に及ぶため、「高福祉・高負担」への不満が出にくいこと。
④1970年代から国民総背番号制が導入されていることが、社会保障制度の運営を大きく助けていること。
(ハ)世界金融危機後の不調
上記モデルは盤石ではない。リーマン・ブラザーズ金融不況でデンマークはその輸出を大きく失い、GDPは減少した。2010年5月政府は、大幅な緊縮政策を発表するに至った(例えば失業保険支給期間を、これまでの4年間から2年間に短縮)。
(ニ)日本ができること、するべきこと
デンマークの高負担、高福祉の制度は、日本でそのままは使えない。当面日本がその経済再活性化、社会保障システム改革のためにできること、するべきことは、次の諸点ではなかろうか。
①需要面についての政策をしっかりしてほしい。
最近、何人かのエコノミストが指摘しているが、日本では生産については政策が揃っているが、需要についてはこれがない。
成長率を増幅させる効果の高い需要・消費(消費が投資・生産を誘起し、それが賃金増加を通じて更に消費を増やす良循環を生むようなもの)が増える方向で社会を誘導し、その条件整備のために予算を振り向ける。
②個々人が、「自分はこういう生活がしたい」という目標を持つ
日本人の戦後の生活では、当面のモデル、目標があった。今、多くの人が現在の生活に満足してしまっていることが、日本における需要不足の原因の一つになっている。広い家、落ち着いた景観、人口は少なくても維持される経済の活気などをわれわれが目標として共有し、それを実現する方向で政府や個人のカネを使っていったら、これまでのようなバラマキではない、意味のある需要喚起ができるだろう。
目標、モデルは、政府が上から与えるものであってはならない。商業主義が絡んでもかまわないので、「それがエチケットで、皆さんそうしています」という雰囲気が社会にみなぎった時に日本人は動き出す。
③「学校卒業後は自立」を徹底させる
平等性に重点を置くあまりに、「助けてもらうこと」、「平等性を確保してもらうこと」に馴れた人間を社会に送り出すのはやめるべきだ。「学校で学ぶのは、社会で生きていけるようになるためだ。学校は皆に平等に教える。だが学校を卒業したら、あとは自力でやる」のが社会のエチケットなのだということを、徹底してほしい。
④勤労意欲を持つ女性・高齢者を支援する体制を
少子化とか人口減で、将来への希望を失ったり、外国人労働力の移入の大幅緩和を主張したりすることは必要ない。女性、引退者を活用できる。
⑤労働分配率を上げる
法人税を下げる、下げないに関係なく、雇用者の賃金は上げ(労働分配率を上げる)てもらいたい。まず個人の取り分を大きくしないと日本では需要が十分生み出されず、従って投資をしてももうからないので、銀行から資金を借りる企業も少なく、銀行は徒に国債を買いこむしかないという、情けない現実が今でも日本を支配しているのである。
この20年間、日本の企業は賃金水準を上げないことで、中国などの低賃金に対抗してきたが、中国での賃金水準は昨今のストライキ続発に見られるように急速に上昇している。日本が賃金水準を上げても競争力を失わない時が来た(8月現在、円高の亢進でそれもまた危うくなってきたが)。労働分配率を上げて個人消費を拡大し、それによって投資増加も招く良循環を作り出すことが可能になった。
⑥高年層から現役層への貯蓄移転を促進する策
日本における個人の貯蓄は高年層に集中している。これを国債で吸い上げて消費に回すようなまわりくどいことをするよりも、高年層がこれを自ら使えば有利だ、と思うような環境を創れないものか? 子供の世代に家を贈った高年者には医療の自己負担分を大きく軽減するなど新しい措置を加えるなりして、「将来の世代に財産を譲るのが美徳だし、得なのだ」という雰囲気を社会に創っていくべきだ。
⑦地方経済の活性化
政権交代も終わったのだから、公共投資を少し復活させてはどうか。既存のインフラの修理、改善がこれから大変な需要になってくる。それに都市乱開発のあとを再開発し、住みよい環境を創るための投資も必要だ。
そしてこうしたことの多くには、地元住民の創意、知事・市長のマニフェストを重視することで、住民自身の意欲をかきたてるのだ。
農産品、地場産品の輸出は、ほとんど進んでいない。量が安定し、利益があがり、集金がしっかりしていないと、農民も業者もとても本腰を入れられないし、何よりも今のやり方で十分食べていけるので、面倒でしかもリスクのあることはやりたくない。ここに最近落ち目の農協の使命がある。農協が地元をまとめ、融資も行う。そして商社などと提携して、農協が慣れていない外国での仕事をやってもらう。商社も人手が足りないので、県などが商社のOBを嘱託として雇って、海外の商社事務所などにその県のことばかりやるスタッフとして出向させる体裁を取る。
⑧増税か国債か――日本人の「国民負担率」は本当に低いのか?
今年のような野放図な新規発行が積み増しされていくと、財政は崩壊し、高率のインフレが社会を襲う。しかし、「だから増税だ。日本人の国民負担率(税+社会保障負担分をGDP値で割ったもの)は他の先進国に比べて低いのだから、増税できるのだ」と言われると、ちょっと待ってくれ、と言いたくなる。それは、次の諸点に基づく。
★日本の国債が一度に「取り付け」に会うことはないだろう。
★「日本人の国民負担率が低い」(2008年度で40.6%)というのは言葉の魔術で、われわれの生活実感にまったくあわない。独立行政法人、特殊法人がわれわれに課している高速道路料金、視聴料、自動車免許関連の諸料金、そして日本に独特の高額の生命保険料を合わせると、オランダ、ドイツなみの60%にはなるのでないか(因みに世界一はデンマークの71.7%(2007年)。
つまりこれ以上の負担をすればわれわれは顎が上がる。既存の負担の枠内で付け替え、あるいは合理化をはかることが基本となるだろう。
★デンマークの場合、高税率などで国民の貯蓄を吸い上げ、それを社会保障に回している。日本の場合、国債で国民の貯蓄を吸い上げ、それを社会保障に回している。
社会保障は、税でやろうが国債でやろうがどちらでもいいのだが、景気維持、財政規模膨張への歯止めという観点からも、日本には今のモデルの方がいいだろう。
(ホ)「社会保障を充実させて内需を拡大」は可能か?
社会保障を充実させることで内需を拡大するのは、もちろん可能だ。しかし経済を拡大するためには、社会保障以上に効率的な公的投資の対象があるだろう。
(ヘ)社会保障体制の合理化
もし社会保障への支出増をどうしてもやるのなら、その前に次のことをやってほしい。
①現役世代への保障給付増大
現在の国民年金制度は、若年層に不当な負担がかかっており、改革が必須となっている。年金受給層のうち、一定水準以上の年収を有する者は、国民年金受給を一時停止する等の制度を設けるべきである。その場合、所得に対しては税率を下げてもらいたい。
②公的部門の労働組合の財務・活動の透明化
社会保障システムに勤務する公務員・半公務員には、きちんとした待遇が与えられるべきである。しかし、労組が前面に出てコンピューター画面に向かう時間を制限しようとしたり、中央の諸省庁の地方出先機関で働く膨大な数の国家公務員の削減に反対する等、民間企業にくらべて明らかに楽な待遇を求める場合には、人事院、国会、マスコミ等で議論されてしかるべきである。政治家、官僚にならって、組合幹部の収入もガラス張りにされるべきである。
③社会保障の一部を民営化
巨大な給付システムを、役人が業務として行うのはある意味では滑稽になってきている。税を国民にまた還元するくらいなら、最初から徴収しなければいいではないか。
自分で十分稼いでいる人間のために、政府が莫大な人員と費用をかけて国民皆保険、国民皆年金のようなことをやる必要はあるのか?
2.デンマークの経済構造(世界金融危機以前を中心に)
(1)主要数値
GDP(名目):1.69兆クローネ(約3100億ドル)(2007年)
名目GDP成長率:2007年、3.6%、2008年2.7%
(92~05年デンマークの名目GDPは年平均4.2%成長したが、このうち2.5%は輸出増、1.9%は民間消費増、1.1%は政府消費増によるものである。「デンマークと日本の経済循環構造の比較分析」本田豊。
なお2008年世界金融危機で輸出が激減したため、2009年第一四半期GDPは対前年比実質5.3%低下するに至っている)
消費者物価上昇率:1.7%(2007年)
人口:550万人
一人当たり名目GDP:約5.600ドル相当(2007年)
平均賃金:約48万円相当(手取りは27万円相当)
(2007年12月の「プレジデント」による。コペンハーゲンでの調査結果。
同時期東京では32万円で、手取り24万円。
この数字からも、デンマークでの労働分配率の高さ、その代わりとしての税負担の高さが読み取れる。この税負担が社会保障を賄う)
輸出: 1015億ドル相当(2007年)
(GDPの30%相当を超える。日本は20%以下)
(貿易黒字は3.7憶ドル相当、経常黒字は46億ドル相当。JETRO資料。
この経常黒字の不釣り合いな大きさは、大手Maerskを有する海運等の収入によるものか)。
国家予算(歳入):8037億クローネ
(GDPの49.07%相当。日本では国債発行分を加えてもGDPの約19%。
地方財政を加えても、デンマークほどの予算比重過多にはなっていない)
政府債務/GDP:33.5% (2008年, OECD資料)
財政赤字/GDP:2009年に3%を超える
(以上、JETRO、CIA、米国務省資料等)
(ついでに言うと、デンマークは徴兵制をとり、NATOの一員としてアフガニスタンにも派兵している[これは徴兵された兵士ではなく職業兵。最も危険なヘルマンドに派遣されており、人口一人あたりではISAFで最高の死傷者率を出している]。ODAはGDPの約1%を出しており、0.18%にしかならない日本よりはるかに努力している。また国民の政治参加意識は高く、選挙での投票率は常に85%周辺になる)
(2)デンマーク経済の成り立ち――「農業国」ではなく「工業国」
それも活気のある
(イ)デンマークのGDP(生産面、2005年)では、農業が2.9%、工業が23.8%(石油・天然ガスを差し引くと18%弱となり、日本とほぼ同じ)、サービスが72.7%を占める。
支出面では(2008年)、投資がGDPの21.6%を占める。
(以上、2008年のOECD資料 "Economic Survey of Denmark 2008", www.oecd.org/eco/surveys/denmark)。
(ロ)GDPを支出面から分析すると、2002年の政府消費がGDPの26.1%分に上り、
スウェーデンの28%には劣るものの、先進国の中で際立った政府消費への傾斜を示している。日本は17.9%、ドイツは19.1%、英国は20.1%、米国は18.9%である(国連資料http://unpan1.un.org/intradoc/groups/public/documents/un/unpan014043.pdf)。
北欧諸国における公的セクターの比重の大きさが、ここにも表れている。
日本では公的セクターの比重がこれほどではないことになっているが、特殊法人、独立行政法人や、放送、生命保険などのように公的・独占的性格の強い部門を含めると、デンマークとあまり変わらないはずである。
(ハ)輸出構造(2008年)
機械類:26.8%(うち一般機械が7.4%、電気・電子機器が3.5%、発電機が4.8%、道
路輸送用機器が2.6%)
化学品: 13.3%(うち半分強が医薬品)
食料品: 15.8%
雑製品: 15.0%(うち家具・同部品が2.4%)
(ニ)なお北海油田開発で、デンマークは産油国となっていることを忘れてはならない。
鉱物性燃料は輸出の11.5%を占め、うち8.5%分は原油・石油製品による。詳しくは後
出。
(3)デンマーク経済のいくつかの特徴
(イ)「デンマークは中小企業中心」と言われるが・・・
①スウェーデンに比べるとデンマークは多国籍の大企業が少なく、中小企業が中心であると言われる。だがOECD資料によれば、中小企業の比重はEU平均以下なのである。
②そしてスウェーデンのABBはスイスに移転し、ヴォルヴォは中国企業に買収され、エリクソンの携帯電話部門はソニーが買収していることなどを勘案すると、多国籍大企業はむしろデンマークの方に目立つようになっている。
③VESTAS社の風力発電機は世界市場の27%を征する(デンマーク国内では洋上大型発電で名高い)。海運大手のMaerskは外貨の稼ぎ手だし, 薬品大手のLundbeck、飲料大手のCarlsberg, 冷暖房設備大手のDanfoss、ブランドもの音響のBang&Olufsen,、児童玩具のLEGOがある他、Novozymes社は酵素製造部門で世界最大手、ジュネンコア社は同2位である。またボーンホルム島のEDISON電気自動車プロジェクトは将来性を有する。
(ロ)大きな公的セクター
北欧諸国の特徴だが、デンマークでも公的セクターが大きい。1998年、労働人口の36%は公的セクターで雇用されていた。
これはフルタイム労働者の30%に相当し、公的セクターが雇用面での大きな安定装置になっている。但しこれは、社会の活気を阻害しているだろう。
(ハ)石油・ガスの僥倖
1970年代までは「欧州の病人」と言われていたデンマーク経済が現在のレベルにまで復活した背景として、北海油田開発による原油・天然ガス生産を見逃すことはできない。
OECD資料によれば、原油生産は08年推計で28.9万バレル・日で世界38位(国内消費は18.1万バレル・日のみ)、天然ガス生産は101億立米(国内消費は46億立米)で世界42位なのである。
石油・ガス輸出はデンマークの総輸出の約11.5%を占め、世界で第26位の天然ガス輸出国となっている。
これは、適度なレベルだろう。ロシアのように資源輸出に過多に依存すると、自国通貨が際限なく上昇して国内産業を破壊するからである(デンマークの通貨クローネはユーロにペッグされている。このためデンマーク通貨当局も大量のクローネを売却してレートの維持をはかっている。2009年12月には、デンマークの外貨準備は約4000億クローネ分に積み上がった)
(ニ)高い労働力の質
デンマークの労働者も、かつては火酒をあおって怠惰な時代もあったそうだ。映画「病院」などを見ると、隠れた悪徳も随分ある。
それでも、デンマークの社会で現在支配的なモラルは勤倹・誠実・透明性であろう。しかも、後出のように失業保険と職業再訓練教育が整っているために、労働力の質が高い(まあ、それほど綺麗ごとばかりでもなかろうが)。
OECD資料はデンマーク経済を、「賃金は高いが、企業負担が小さいために、競争力がある。しかも労働者のモラルが高く、自立心、創造力に富む」と評価している。
雑誌"Economist"はデンマークを、「最も投資に向いた国」と評したそうである。
(ホ)活発な外国からの直接投資
①実際に、GDPで投資が占める分は21.6%で(2008年)、日本より多い。外資導入のための優遇策は特にないにもかかわらず、外国からの直接投資も非常に大きい。これがデンマーク経済好調の大きな要因となっていた(世界金融不況まで)。
②投資に向いている要因は、①企業にとっての社会保障負担が少ないこと、②失業手当と転職教育が完備しているため従業員の解雇が容易であるなど、労使関係が安定していること、③EUの一員でユーロに通貨をペッグしているためEU全体を市場としたビジネスがしやすいこと、④労働力の質と意欲が高いこと、などである。
2008年12月末、外国からの直接投資残高は1359億ドル(CIA"The World Factbook")であった。
③フロー・ベースで見ると、2007年には欧州から511億クローネ(約90億ドル。投資総額の約14%)の直接投資が行われている。
内訳はスウェーデンが266億クローネと約半分、ノルウェーが58億クローネ、同じく隣接のドイツが50億クローネ、歴史的に強い関係を持つ英国が32億クローネであった(JETRO資料)。
④外国からの直接投資の対象分野は2007年、金融及び関連分野が203億クローネ、運輸・通信が146億クローネ、製造業が33億クローネ、農業・水産業・鉱業が19億クローネ、食品が4億クローネであった。
⑤アジアからの直接投資はまだ少なく、むしろデンマーク企業がアジアに直接投資する方が大きい(この面での資本収支はマイナスで、7億クローネ)。
⑥デンマーク企業による対外直接投資にも盛んなものがあり、2009年末の海外投資残高は2045億ドルにのぼる。
つまり、これだけでもGDPの66%に相当する資産が海外にあることになる。
(ヘ)小さな公的債務
以上の特徴が帰結するところとして、デンマーク政府が抱える公的債務は小さい。
デンマーク政府が抱える債務はかつてGDPの68%相当にも上っていたが、2008年推計では33.5%に過ぎない(OECD資料)。右統計では地方債が含まれていないが、地方債累積額はおそらく小額なのではないか。
国債累積額だけでGDPの2倍に迫ろうとしている日本より、はるかに余裕があるのは確かである。その代わり、家計は赤字なのである。前記本田氏の論文によれば、2005年、政府は718.3億クローネの黒字、企業が563.42億クローネの黒字であるのに対して、家計は709.34億クローネの赤字になっている由。
(ト)大きな対外民間債務
デンマークの公的債務は小さいが、外国に対する民間債務は大きい。2008年12月末時点で5888億ドル、2009年6月末で6074億ドルに上る(CIA"The World Factbook")。
そのうち直接投資は約1400億ドルなので、足の速い間接投資は約4700億ドルということになる。これはGDPの約150%に相当し、異常に大きい。
デンマークでは住宅を抵当として多額のローンを借りることができるようで、家計債務の額が大きい。金融危機以前にはデンマーク・クローネが強かったので、外国の短期資金が大量に流入したのだろう。
これは、デンマークの経済のリスクであるが、日本の国債にも似て大崩れすることなく、うまくまわっている。日本の国債の場合、国内の資金でまかなっているが、デンマークの場合、その経済の足腰の強さを信用にして、EU全体の資金を使っているからだと言える。
(チ)ユーロとのペッグ
デンマーク政府は2000年、ユーロ加盟の是非について国民投票を行ったが、信任が得られなかったため、クローネを対ユーロ±2.25%の範囲でペッグした。それによって外国人による対デンマーク投資の安全をはかったのである。
近年のユーロ下落でクローネのレートが上がり気味になり、通貨当局は大量のクローネ売却介入を行ってきた。このため、外貨準備は2009年12月に3891億クローネ分に膨れ上がった。
3.整備された社会保障の諸相
この論考の目的はデンマークの社会保障制度の詳細を述べるところにあるのではないので、概要だけ記す。
但し日本の場合老齢者対策と医療にその大部分が集中しているのに対し、デンマークでは障害・労災・傷病対策、失業対策、家族政策など現役世代向けの支出が老齢者向けを上回っていることは特記しておく。65歳以上人口比率(2003年)が日本は20.2%、デンマークは15.1%だという事情があるにしても、現役向けの支出が多い点が、国民の多くの支持を得やすくしている(「社会保障財政の国際比較」を参照、片山信子、「レファレンス」 2008.10、http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200810_693/069304.pdf)
(1)医療
医療はほぼ無料である。但し公共病院はアポイントメント制であるため、診療を受けられるまで数週間待たされることもある(急病を除く)。
デンマークは1973年「医療保障法」で医療保険制度を廃止し、租税による医療保障に移行した。
(2)失業保険
北欧諸国では若年層も社会保障の恩恵を受けるところ大で、それが社会保障全体への国民の支持を獲得できている背景となっている。失業保険はその代表的なものである。
失業保険は4年間供与され、金額は解雇時賃金の90%である。
しかも失業期間中は地方自治体による手厚い職業転換用学習・訓練を受けることができる。これによって、企業は従業員を解雇しやすくなっている。
失業保険だけでGDPの4.4%相当が支払われている。日本では0.7%である。
体制が整備されているため失職、転職への抵抗が少ないようで、06年現在、就労者の3割が転職している。平均転職回数は生涯6回で、欧州1の由。
但しデンマークにおいては後出のように公的部門が大きく、ここにおいては転職率は低いはずである。
(3)転職支援体制
1994年「改正労働市場法」で、従来の失業保険+職業紹介制度に加えて、職業訓練等を追加、失業期間が3カ月を超える60歳未満の者は、職業紹介所のアドバイスを受けながら就職目標とその達成の手段についての「個別行動計画」を立てることを、失業保険支給の条件とされるようになった(これは綺麗ごとに聞こえる。どこまでごまかしなしに運営されているか、実地調査が必要だが)。
また、職業安定所に登録された失業者を雇用した場合、雇い主に対しては最長1年まで政府から補助金(1時間あたり67.27クローネ)が支給される(ただし、従業員数に差し引きで増員があった場合に限る)。障害者、移民、難民、新卒者にも同様の措置が及ぼされる。
同じく失業保証の整ったスウェーデンでは、職業再訓練においては大企業等生産性の高い部門へ労働者を導くことを旨としたが、それによって地方過疎化、ヴェンチャーの消滅を招いたとされる。
デンマークはスウェーデンにくらべれば中小企業が多いため、とにかく再就職することに重点を置き、これをflexicurityと名づけている。
(4)高齢者就労促進
デンマークも、労働人口が高齢化する問題を抱えている。これに対して政府は高齢者の雇用を促進する政策をとっている。
退職を62歳まで遅らせた者には税額控除などの特典が与えられているようだが、詳細は調べていない。
(5)年金
デンマークでの年金支給年齢は65歳。15歳になって以降デンマークに40年以上滞在した者はすべて、年金全額を支給される。但し年収約550万円以上になると、年金を削減される。「デンマークが超福祉大国になったこれだけの理由」(ケンジ・ステファン・スズキ、合同出版 206頁)によれば、2007年、65歳以上の高齢者83.5万人のうち、国民年金が減額されている者は4万500人(つまり全体の約5%)、まったく支給されない富裕者が6.483人いた由。
年金には以下の四種があるが、根幹は①で、右文献によれば09年現在で夫婦年間約311万円相当もらっている由。日本の厚生・共済年金とほぼ同額だろうが、他にも住宅手当が出る場合があること、固定資産税が減額されること、介護施設等が安価であることなどを勘案しなければならない。
①state pension
日本の国民年金に相当する。年金制度の根幹。65歳以上。
②Statutory pension schemes (ATP contribution,SP contribution)
(不明)
③Collective pensions
公的部門就業者向け。日本の共済年金に相当しよう。健康保険を含む場合もある由。
④Company pensions
日本の厚生年金に相当するが、日本とは逆に国民年金を補う程度のものでしかないようだ。賃金の約15%から天引きされる由だが、おそらく65歳の国民年金支給年齢以前に退職した者に対する短期間の年金のことではないか? (右文献204頁)
デンマークでは他に民営の年金基金がいくつかあり、世界でも大手である。PFA Pension社は資産361億ドルを有している由。
公的年金では足りないと考える裕福な国民が、私的に貯蓄しているのだろう。
(6)介護
デンマークでは、1960年代から高齢者福祉医療が急速に進んだ。女性が働くようになって、家庭の高齢者の世話ができなくなったことが原因である。1960年代には既婚女性の就労率は30%台だったが、1980年代には90%になっている。
1979~82年には24時間在宅ケアサービス(市の負担)が導入された。これは、老齢者を老人ホームに移すよりは思い出のつまった旧宅に居住させたまま、ヘルパーに毎日2回ほど訪問させ介護した方が人道的、かつ経済的という考慮に基づくものだった。
(7)生活保護
1976年「生活支援法」で、福祉対象を「高齢者、母子家庭、障害者」などに細分するのをやめた。「日常生活が困難になったすべての国民」を対象とすることとし、具体的なサービスの内容は市が決定することとした。
4.社会保障の資金源・及び社会保障を支える諸制度
(1)社会保障をめぐる財政構造
①年金、医療等、すべての社会保障が税金で賄われていること、しかも法人税負担は軽く付加価値税(25%)と個人所得税で多くを賄っていることが特徴である。
そもそも租税による高齢者年金支給を定めた法律を採択したのは、デンマークが1891年で世界最初なのだそうだ。もっともその法律は救貧法的性格を持っていて、年金を受給すると同時に市民権を失ったのだそうだが。
②2003年現在、デンマークにおける「社会支出」は一般政府歳出の50.3%で48.7%の日本より大きい。GDPに対してはデンマークが27.8%、日本が18.4%で、その差は大きい(「社会保障財政の国際比較」片山信子、「レファレンス」 2008.10)が、日本の場合生命保険の掛け金毎年約40兆円(「生命保険のカラクリ」岩瀬大輔、文春新書15頁)を合わせると、デンマークの数字とほぼ同じになる。
③中央では、狭義の社会保障の大半は「福祉省」、医療は「保険省」が担当している。他にも雇用省など、社会保障予算を扱う部署はある。
社会保障、医療関係事務の多くをになう地方自治体は(県予算はほぼすべてが社会保障と医療に、その下の市予算は社会保障・医療に加えて教育に多くが支出される)、独自の財源として地方税および固定資産税を有する。地方税の税率は2009年現在、所得の27.8~22.7%の間に分布している。
中央政府は地方自治体に対して数種類の補助金・交付金を算出して移転している。但しこれらは、使途が指定されていないもようである。(中央・地方の関係については、以下が詳しい。http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk079/zk079_09.pdf)
③年金の原資は税金であるが、実際は被雇用者の賃金であると言っていい。
賃金をもらうと、年金負担額の3分の2は企業がその賃金から自動的に差し引いて支払い、残りの3分の1は被雇用者が個人所得税の一部として支払う。
④他の先進国の企業は、利益のうちから社会保障税を支払わないといけないのだが、デンマークの場合従業員に若干高めの賃金を払う以外、社会保障の負担はない。
ジェトロの資料によれば、フランスの企業は社会保障費用の約55%、日本の企業は13%、北欧スウェーデンの企業でさえ32%、ノルウェーでも14%を賃金以外に負担しているのに、デンマークの企業はこの数値がゼロなのだ(2009年1~3月世界37都市調査結果)。
その上に法人税が25%と低めであるため、デンマークの投資環境は良好で、外国資本の直接投資も盛んとなる。
つまりデンマークではまず企業の活力を高めたうえで、従業員に他国より高めの賃金を払い(つまり若干高めの労働分配率)、そこから社会保障費のほぼすべてをまかなっていることになる。
(2)デンマーク税制の大要
2009年12月の政府歳入のうち、個人所得税は41%、付加価値税は19%、法人税は4.5%を占めた(デンマーク財務省データから算出)。日本は(2008年度)それぞれ19.6%、12.8%、20.1%である。
①2010年現在、所得税(国税+地方税+医療賦課課税)は地方税平均25%を加えて平均48%程度だが、08年には人口全体の約5分の1に相当する101万人の税負担が70.9%になってOECDから警告を受けたほどであった。なお所得の平均0.7%ほどが教会税として徴収されている。
②法人税率は2007年、景気刺激のためにそれまでの28%から25%に引き下げられた。
③付加価値税(消費税)は25%であり、もともとの高価格経済をますます高価格なものとしている。それでも食料品価格は日本とほぼ同等である。
(2)社会保障を支えるいくつかの制度的・社会的要因
(イ)最適規模の地方自治体
地方自治体は大きくなれば住民の参加実感が薄れ、小さすぎれば財務基盤が弱くなるというジレンマにある
だが、デンマークの地方自治体は住民の参加実感、財務基盤その双方を満たせる絶妙な規模に整理された、と評価されている。デンマークでは1970年に自治体改革が行われ、1388あった市町村は277に、25あった県は14に統合された。
そして福祉・初等教育は市、医療・障害者福祉・高校は金がかかるので県レベルが担当することとされた。
(ロ)国民総背番号制
この1970年自治体改革の際、国民総背番号制がさしたる抵抗もなく導入されたことが、現在のデンマークの社会保障・医療体制を大きく助けている。日本も総背番号制を導入すれば、年金額の計算違い等の問題は起こりにくくなる。
もっとも、総背番号制は当局による所得の把握を容易にし、徴税の強化につながる。デンマークでも、この1970年改革と同時に源泉徴収の税制が導入された由。
個人の権利を尊重する北欧市民に、国民総背番号制がよくすんなり受け入れられたものだと思うが、当時「なんとなく」受け入れられてしまったそうで、現在の担当者はこれを「幸運だった」と述懐している由(グロコム資料 猪狩典子 http://www.glocom.ac.jp/column/denmark/#start)。
背番号制のおかげで、行政におけるIT化が進んでいる。WEFによるIT国際競争力ランキングでは、2000年まで政府部門で3年連続世界一の座を占めた。
(ハ)労使協約の伝統
デンマークにおいては労組組織率が高く、賃金労働者の75%が労組に入っている。日本では22%に過ぎないことに鑑みると、非常に高い組織率である。これは、最低賃金、労働時間などは法律ではなく、労使間の協約で決める伝統が確立しているためだろう。
デンマークでは、1800年代後期から労働組合が強力であり、これが使用者団体(Dansk Arbejdsgiverforening デンマーク雇用者連盟)と中央、地方双方で話し合って、労使協約を結ぶようになった由。
現在でも、デンマーク産業連盟(DI:Dansk Industri)が担当する労使協約は労働者の50%をカバーしている。他のEU諸国では、国家レベルで制定された法律に準じて各業界で労使協定を締結するのが通例だそうだから、デンマークの慣例は際立っている。
そして、既述の完備された失業保険・転職支援制度に支えられて、デンマークにおける労使協約は従業員の生活水準向上と企業の投資能力保全の間のバランスをうまく確保している由。なお、労使協約は通常3~4年間で更新されるそうだ。
5. 結論
(1)デンマークで高福祉、高成長が可能(だった)なのはなぜか?
(イ)成長のための諸要因
①企業の低負担:企業は若干高めの賃金を払うが、法人税は日本より低く、さらに年金・医療など社会保障の一部を負担することもない。
②国民が貯蓄より消費に向かうよう、諸制度が作られている。
例えば住宅ローンを受けやすいため、その08年累積額はGDPの89.8%に及ぶ(CIA, "The World Factbook" EU平均を上回る。米国でも74.6%)ほどなので、日本のように住宅購入のために一生懸命貯蓄する必要がない。
また年金受給年齢に達すると、貯蓄がある者は介護が高料金になるなど、社会福祉が貯蓄額に反比例するようになっているので、公的介護施設に依存する者は貯蓄を吐き出そうとする、などである。
③企業が低負担であることから外国の直接投資が入ってくる。また通貨のクローネがユーロにペッグしていることも外資を入りやすくしている。従ってデンマークには大量の間接投資が流入し、おそらく住宅ローンなどにまわって建設(=投資)・消費を刺激しているのであろう。
④産油国であり、石油・天然ガス輸出国であることは、日本と大きく異なる。
この要因がなかった1970年代、デンマークは対外公的借り入れでその高福祉を賄っていた(当時国債累積額はGDPの約70%に達していた)ことを忘れてはならない。
また世界金融不況までデンマークは、EUの好景気に乗って輸出を増大させることができた。
(ロ)高福祉のための諸要因
①個人所得税率(平均約50%)がもともと高いうえに、累進課税であること(最高税率は70%を超える)。付加価値税は25%にもなること。
②人口規模が適正な地方自治体単位で社会保障を担当しているため、小回りがきくこ
と。
③社会福祉支出の中で現役層向けのものが金額ベースで半分以上に及ぶため、「高福祉・高負担」への不満が出にくいこと。
④住居環境がもともと高いため、介護施設などについてもその水準はごく自然に高いもの(贅沢という意味ではない。プライバシーと集団性の双方が確保され、一人に十分の居住空間が確保されること)になること。
(ハ)世界金融危機後の不調
上記モデルは盤石ではない。リーマン・ブラザーズ金融不況でデンマークはその輸出を大きく失い、かつ外資の流入も激減した。GDPは2009年第一4半期実質5.3%下落し、政府は2010年5月大幅な緊縮政策を提議するに至った。
(2)デンマークに学べること
(イ)デンマーク・モデルは盤石ではなく、究極唯一絶対のものではない。しかし日本が採用できる要素があるかもしれない。以下が日本でも有用かどうかをチェックしてみよう。
①企業の自己留保率を高めて、投資を促すこと
②企業が雇用者に割高な賃金を払い、雇用者はそれから高度の累進課税で個人所得税を払うこと(この税は社会保障費もまかなう)
③家計の貯蓄率を低める政策により、消費を促進すること
(ロ)チェックの結果
①法人税切り下げなど企業の内部留保率を高めてみても、企業はその資金を外国人株主に対する配当、あるいは外国での投資に充当し、日本国内経済の成長、雇用創出に向けないかもしれない。それに、企業の現金・預金残高は3月末で、過去最高の202兆円に達している(7月6日付け日経)。
しかし大企業の本社が日本に残ってくれることは、それなりの税収、雇用、関連産業の維持を意味するので、法人税切り下げも意味がないわけではない。
②企業の社会保障負担を止め、社会保障の財源のすべてを個人所得税、付加価値税等、租税に求めることはどうか?
おそらくそのような制度の大改変は不可能だろうし、敢えてやるだけの意味もないだろう。
③家計の貯蓄率を低める政策を取ることによって消費を無理に促進することは、日本では無理だろう。社会保障、住宅政策が充実してはじめて、日本人は安心して消費を始める。だからと言って、「増税によって社会保障を充実させ、日本人を安心させて消費を促す」のだと言われても、信用する気にはなれない。
但し今の時点でも相続税強化(但し住宅の相続が不可能になるほどの水準まで強化するのは、生活水準を下げることであり、やり過ぎとなる)、高額所得者への累進税強化などは検討する価値がある。
④外資の導入はどうか? これも日本の場合、難しい。いくら法人税を下げたり、企業の社会保障負担を減らしたりしてみても、同じ分野で同業者がひしめく日本の厳しい競争市場では高い利益率は生み出せないからだ。日本企業が投資を控えているのに、外国企業がどうして投資をしてくれると思うのだろう。
(3)日本独自の方策
というわけで、デンマークと日本では事情がかなり違うので、デンマークがやっているのと同じことを日本ができるわけでもなく、また同じ効果を生むわけでもないことをわかっていただけたと思う。デンマークのことも参考にしながら、結局は自分でできることをやっていくしかない、ということなのだ。そこで、いくつか試案を提示してみたい。
(イ)経済成長確保のために
①需要面での政策をしっかりしてほしい。
日本の経済が盛り上がらない第一の要因は、内需が増えないことである。これについては「人口が減るのだから仕方がない」ということで皆諦めている感があるが、本当に内需は増えないのか? 政府は生産と雇用を増やすことに重点を置いているようだが、内需をまず増やす算段をしておかないと、結局輸出頼み、円安頼みになってしまう。
もちろん需要=消費は個人の裁量権に属することなので政策であれこれ誘導するべきでないとも言えるが、成長率増幅効果の高い消費(消費が投資・生産を誘起し、それが賃金増加を通じて更に消費を増やす、良循環を生むようなもの)が増える方向で社会を誘導し、その条件整備のために予算を振り向けるのは、政府の役目だろう。
②個々人が、「自分はこういう生活がしたいのだ」というモデルを持つ
日本人の戦後の生活では、当面のモデル、目標があった。第一に戦前の都市中産階級の生活レベルを回復すること、次にテレビ、電気冷蔵庫、電気掃除機、電子レンジ、クーラーを買って、近所と同等になり、ピアノと車を買って隣を抜き去ることなど。
今、何のかのと言っても、多くの人が現在の生活に満足して(あるいは妥協して)しまっていることが、日本における需要不足の大きな原因になっている。ヨーロッパ諸国(すべてではないが)の住宅水準、田園・都市景観、社会保障の水準と比べてみると、差は歴然としているのに。日本は第2位の経済大国と言われながら、その中産階級の居住環境を世界でも低位の方から救い出せていない。
別の言葉で言えば、毎年作られる富のフロー、つまりGDPでは日本は世界2位の座を張ってきたのに、生活水準を演出する資産=蓄積がまだまだ足りないのだ。消防車もろくに入り込めない路地が入り組んだ乱開発住宅地、その上をクモの巣のようにはりめぐらした電線、味気のないコンクリートの電信柱―――日本人の住宅環境は多くの点で、韓国はおろか中国人のものにも劣るようになっている。西欧は産業革命が一段落して社会の水準が様変わりになった19世紀末、街の景観という大事業に取り組み、今の落ち着いた街並みを作り上げたのだが、日本はこれをあまりやっていない。
冒頭既に述べたが、広いリビング、家族成員のための個室、客室をそなえた住居、そして交通を妨げ、景観を害し、カラスをはびこらせる電柱・電線のない落ち着いた景観、人口は少なくても十分ある経済の活気、人口が少ないゆえに生ずる住みやすさ(渋滞がすくない、交通機関がすいている、託児・介護サービスが充実している等)などをわれわれが目標として共有し、それを実現する方向で政府や個人のカネを使っていったら、これまでのようなバラマキではない、消費が更なる消費と投資を呼ぶ、意味のある需要喚起ができるだろう。家が大きくなれば、そこに置けるモノも増えるので、需要は恒常的に高いレベルに移行するだろう。
このような目標、モデルは、政府が上から与えるものであってはならない。商業主義が絡んでもかまわないので、「それがエチケットで、皆さんそうしています」という雰囲気を社会にみなぎらせればいい。そうすれば日本人は動き出す。
③「卒業後は自立」を徹底させる
今の公立教育は、生徒を平等に引き上げることに主眼を置いているようだ。公立なのだから、これは当然のことだ。
だが平等性に重点を置くあまり、「助けてもらうこと」、「平等性を確保してもらうこと」に馴れた人間を社会に送り出すのはやめるべきだ。インターネットの投書など読んでいると、「みんなの所得水準が同じになるように、足りない人の所得を補充するのは政府の役目。それが民主主義なのだ」と言わんばかりのものがある。
「社会に出た時、自分で生きていけるように、学校は皆に教える。教えるのは平等にやる。だが学校を卒業したら、あとは自力でやる」のが社会のエチケットなのだということを、学校、マスコミで徹底してほしい。強権で平等を実現しようとすると、それはかつてのソ連のように不正と腐敗と無気力を社会にはびこらせ、全員の生活水準を低下させるだけのことになる。それを承知の上で、過度の平等を訴えては票をかせごうとする政党には、何らかの対抗措置を考えておかなければならない。
④勤労意欲を持つ女性・高齢者を支援する体制を
少子化とか人口減で、将来への希望を失ったり、外国人労働力の移入を大幅緩和したりすることは必要ない。日本では、人口が減ることに異常な恐怖感を持っているが、終戦直後の人口は7200万人だったことを忘れていないだろうか? 人口が減れば地価も下がる。大きな家を買えるし、通勤電車ももっと人間的なものになる。
製造業においてさえも、女性労働力をもっと導入するべきである。自分が会った東大阪の金型製造企業の社長は、昨今の若年男性が草食化していることに厭気をさし、金型製造に女子を終身雇用することを真剣に考えていた。
そして女性が勤務しやすいように、社会習慣化している残業を減らし、保育サービスを拡充するのである。保育サービスが決定的に不足しているのに、子供手当のばらまきでその予算を食ってしまうのは、選挙目当ての選挙民買収行為、女性を家にしばりつけたままで恥じない一時代前の思考の産物、と言われてもしかたないだろう。
今日、60代はまだ十分勤労可能である。この労働力を活用しない手はない。ただし官庁、企業においては、60代には幹部ポストから退いてもらい、若手のエネルギーをフルに発揮させるべきである。60代の人たちはラインではないスタッフ的な仕事、外務省だったら例えば情報の分析・評価、あるいは翻訳など――そういう仕事で大いに働いてもらうのだ。
⑤労働分配率を上げる
法人税を下げる、下げないに関係なく、雇用者の賃金は上げ(労働分配率を上げる)てもらいたい。まず個人の取り分を大きくしないと日本では需要が十分生み出されず、従って投資をしてももうからないので、銀行から資金を借りる企業も少なく、銀行は徒に国債を買いこむしかないという、情けない現実が今でも日本を支配しているのである。
日本では1994年以来、人件費総額が伸びていないのに対し(名目GDPが伸びていないのだから仕方ないが)、2000年代になると配当性向の上昇が目立つ。07年度における、金融・保険を除く全企業統計では、当期純利益が25兆3728億円で、うち配当に14兆390億円を支払っている(「円は沈むのか」中尾茂夫)。外国人は日本の株の約30%程を所有しているから、5兆円ほどの企業の利益が海外に流出している。
この20年間、日本の企業は賃金水準を上げないことで、中国などの低賃金に対抗してきたが、中国での賃金水準は昨今のストライキ続発に見られるように急速に上昇している。元が切り上がれば、その水準はますます高くなる。
これを書いている2010年8月現在は円高で大変になっているが、日本が賃金水準を上げても競争力を失わない時がまた近く来るだろう。その時には労働分配率を上げて個人消費を拡大し、それによって投資増加も招く良循環を作り出したい。
⑥高年層から現役層への貯蓄移転を促進する策
日本における個人の貯蓄は高年層に集中している。これを国債で吸い上げて消費に回すようなまわりくどいことをするよりも、高年層がこれを自ら使えば有利だ、と思うような環境を創れないものか? 今でも生きているうちに贈与しておけば相続税が割安になるとか、いろいろ手は打たれているが、国民の大多数は知らない。政府にしてみれば、減収につながるようなことをあえて知らせたくもないのだろうか?
そこは総理とか厚生労働大臣が自ら説明、あるいは子供の世代に家を贈った高年者には医療の自己負担分を大きく軽減するなど新しい措置を加えるなりして、「みんながそうしているのだ」という雰囲気を社会に創っていくべきだ。
⑦地方経済の活性化
中国の経済成長を今支える大きな要素に、インフラの建設がある。日本も「土建国家」と言われるほど公共投資に依存し、それが政治家の利権と票田になっていたから、小泉政権が鉈を振るったのだが、これで地方経済は大きく沈み、シャッターを下ろした商店が目立つ状況になってしまった。政権交代も終わったのだから、公共投資を少し復活させてはどうか。
不要な道路、ダムを作り、海岸線をコンクリートで固めるようなことをするより、既存のインフラの修理、改善がこれから大変な需要になってくる。それに都市乱開発のあとを再開発し、住みよい環境を創るための投資も必要だ。
そしてこうしたことの多くには、地元住民の創意、知事・市長のマニフェストを重視することで、地方レベルで自らやる意欲をかきたててもらうのだ。そのためには、中央諸官庁から地方への出先諸機関を県に移管することも必要だろう。
農産品、地場産品の輸出は、ほとんど進んでいない。輸出しろと言われても、量が安定し、利益があがり、集金がしっかりしていないと、農民も業者もとても本腰を入れられないし、何よりも今のやり方で十分食べていけるので、面倒でしかもリスクのあることはやりたくない。後継の世代もない。
従って、農産品輸出を最近落ち目の農協が支えることをやってはどうか? 農協が地元をまとめ、融資も行う。そして商社などと提携して、農協が慣れていない外国での仕事をやってもらう(商社は外国だけでなく、日本の地方でも活動しているから、両者を結び付けられる)。商社も人手は足りないので、県などが金を出して商社のOBなどを嘱託とし、海外の商社事務所などに出向させる体裁を取る。
⑧増税か国債か――日本人の「国民負担率」は本当に低いのか?
日本の国債の殆どは国内で消化されているので、ギリシャの場合ほど心配の種にならないことは、世界中で認識されている。しかも日本国債の半分くらいは政府系機関が保有しているので、やたら投げ売りなどしないだろう。
もっとも1985年の特例法で、赤字国債にも「60年償還ルール」(一度発行した国債を完全に償還するまでには60年かけていいということ。例えば10年もの国債は償還期限が来ても、償還額の6分の5相当について借換債が発行される)が適用されることになっているので、今年のような野放図な新規発行が積み増しされていくと、財政は崩壊し、高率のインフレが社会を襲う。外国資本は日本国債の先物を大量に売り抜け、暴落のあと買い直してそのサヤを稼ごうとするだろう。
しかし、「だから増税だ。日本人の国民負担率(税+社会保障負担分をGDP値で割ったもの)は他の先進国に比べて低いのだから、増税できるのだ」と言われると、ちょっと待ってくれ、と言いたくなる。それは、次の諸点に基づく。
❶日本の国債が一度に「取り付け」に会うことはないだろう。持っているのは個人より、政府系機関、銀行、生保などだから、彼らは国債を投げ売りしようとはしないだろう。売り始めれば値が下がるので、まだ手持ちの国債の値打ちをどんどん下げてしまうことになるからだ。たとえ市場金利が上がっても、銀行・生保などの大口需要家が国債を投げ売りしない限り、国債が不良資産化することはあるまい。
❷現在、国債の累積額が家計の金融資産総額を超えると破局が来るかのように喧伝されている。だが企業の内部留保も銀行を通じて国債に回っているので、家計の金融資産総額相当がそれほど絶対の危険水域になるわけではあるまい。
❸「日本人の国民負担率が低い」(2008年度で40.6%)というのは言葉の魔術で、われわれの生活実感にまったくあわない。自分も引退してみると、税金や健康保険料を払うために稼ぎ、稼ぐとまたそれに課税される、健康保険料、住民税がはね上がるという羽目に数年はまり、余裕はまったくなかった。なぜそうなるかというと、外国なら税金や社会保険料の中に入っているだろう分を、われわれは別の形で十分すぎるほど払っているからだ。
たとえば特別会計を構成している独立行政法人、特殊法人がわれわれに課している高速道路料金、視聴料、自動車免許関連の諸料金は、外国ならば(多くの場合)税金で賄われているものだ。特別会計による純支出は毎年100兆円以上にものぼるが、そのうちかなりは国民から料金を徴収した分だろう。税収、国債発行分と合わせてこれだけでGDPの40%に相当する。これに年金・健康保険料金を合わせると、GDPの約60%となって、ドイツ、オランダなどの水準(50%強)を抜くのだ。
われわれは意識しないが、実はこれに生命保険料を加えるべきだ。日本の生命保険は、家庭での働き手が夫一人だけだった時代、夫が若くして死亡した場合の家族の生活を維持するためのもので、社会保障を肩代わりしていたようなものだ。「他の先進国」なら妻も良い収入を得ているか、十分な生活保護が出るかするので、生保加入率はそれほど高くない。日本の生保は世界でも飛びぬけた加入率となっている。それは多数の生保外交員によって支えられているので、彼らの雇用を確保するためにも生保は高収益の商品を開発してきた。そのために、日本の生保の保険料は非常に高い。
一部文献では、日本の生保は毎年約40兆円もの保険料を集めているとされるが(「生命保険のカラクリ」岩瀬大輔 文藝新書)、これは政府の税収にほぼ等しく、これも「国民負担」の中に加えれば、日本人の国民負担率はGDPの70%弱%にも及ぶこととなる。これは「他の先進国より低い」どころか、世界一のデンマークの71.7%(2007年)と並ぶほど高いのだ。
ただ筆者が自分で大手生保、そして簡保の保険料を足してみたが、さすが40兆円には及ばなかった。上位3社と簡保を合わせて約13兆円ほどである。だがそれでも、これ以上の負担をすればわれわれは顎が上がる。既存の負担の枠内で付け替え、あるいは合理化をはかってもらいたい。
財務省は増税した方が今後の国会審議が楽になるのだろうが、国民にしてみれば予算が足りない分はその都度国会で審議をして決めてくれた方が、全体の財政規模が際限なく膨張していく歯止めになる。増税をしても、政治家から歳出増への圧力がかかって、財政はあっという間に再び赤字となり、臨時の支出増のためには国債発行がすぐ必要となるだろう。
❹デンマークの場合、高税率などで国民の貯蓄を吸い上げ、それを社会保障に回している。日本の場合、国債で国民の貯蓄を吸い上げ、それを社会保障に回している。国債で「借りた」金は、60年間でやっと完済されるので、実質的には税金と変わらない。その間にも銀行から貯蓄は引き出されているが、その程度の支払い能力は十分ある。そして既に述べたように、溜まった国債が一度に取り付け騒ぎに会うこともない。
つまり社会保障は、税でやろうが国債でやろうがどちらでもいいのだが、景気維持、財政規模膨張への歯止めという観点からも、日本には今のモデルの方がいいだろう。
(ロ)「社会保障を充実させて内需を拡大」は可能か?
社会保障を充実させることで内需を拡大するのは、もちろん可能だ。介護などは大いに雇用を創出する(青年たちが介護職につくのを好まない場合には、外国人の出稼ぎばかり増えて所得は国外に漏出する)。
だがこうしたサービスだけで経済を拡大するには、限界がある。サービス部門が膨張し過ぎた経済は貿易赤字に陥りやすい。サービス部門の雇用者が得た所得が消費にまわると、国内でのモノの生産が追い付かない分、輸入が増えるからだ。それは円のレートを下げ、インフレ要因になるだろう。インフレになれば、サービスでいくら所得を得ても、その価値はどんどん下落していくことになる。
それに(既に述べたが)経済を拡大するためには、社会保障以上に効率的な公的投資の対象があるだろう。たとえば戦後営々として構築されてきた社会インフラはこれから修理・更新の時期を迎える。小泉政権以来敵視されてきた不要不急の公共投資とは異なって、これは待ったなしの対応を必要とする。そして建設というものはやはり多くの雇用、そして資材への需要を生み出し、それを通じて投資・消費の双方を盛り上げる。地方においては、与党への票集めもしてくれるだろう。
他にも、社会保障以外で効率性・乗数効果の大きな投資対象はいくつかあるだろう。
(ハ)社会保障体制の合理化
ここまで述べたことを一言でまとめると、「社会保障体制整備のために増税」という、経済を縮小させてしまうような政策を取るより前にまず、国債を使ってでも「生活水準・住み心地の向上による経済成長⇒ 税増収による社会保障体制の整備」を考えてほしい、ということだ。
もし社会保障への支出増をどうしてもやるのなら、その前に次のことをやってほしい。
①現役世代への保障強化
現在の国民年金制度は、若年層に不当な負担がかかっており、改革が必須となっている。年金受給層のうち、一定水準以上の年収を有する者は、国民年金受給を一時停止する等の制度を設けるべきである。その場合、所得に対しては税率を下げてもらいたい。
②公的部門の労働組合の財務・活動の透明化
社会保障システムに勤務する公務員・半公務員には、きちんとした待遇が与えられるべきである。しかし数年前に表面化したように、労組が前面に出てコンピューター画面に向かう時間を制限しようとしたり、民間企業にくらべて明らかに楽な待遇を求める場合には、人事院、国会、マスコミ等で議論されてしかるべきである。政治家、官僚にならって、組合幹部の収入もガラス張りにされるべきである。
③社会保障の一部を民営化
日本の社会保障は、金額ベースではおそらく世界一か、少なくとも3位以内にはあるだろう。人口がわりと多く、所得水準は高いからである。
そしてそのような巨大な給付システムを、役人が業務として行うのはある意味では滑稽になってきている。
なぜなら英国が17世紀後半から急速に国民国家としての体裁を整えた時、何がその過程の本質だったかというと、それは欧州でも一番高率の物品税を丹念に徴収しては数え上げる官僚体制を作り上げ(官僚の数は飛躍的に増大した。そのあたり、「財政・軍事国家の衝撃」ジョン・ブリュア 名古屋大学出版会 大久保桂子訳に詳しい)、その金で世界一の海軍を作って植民地を広げるということにあったからである。つまり国民国家とその司祭としての官僚機構は、戦争のための徴税・徴兵機構としての側面を強く持っていたのである。
戦争をやる必要がなくなった現在の先進国家は、当時からの惰性で徴税を続けているが、その多くは社会保障として国民に再び戻している。産業革命の結果、社会が中産階級化して民主主義が広まったことで、政治家は選挙で勝つため社会保障を次から次へと拡充するようになったからである。だが税を国民にまた還元するくらいなら、最初から徴収しなければいいではないか、今の時代なら「政府」と称するメカニズムの殆どは民間企業に任せてしまえばいいではないか――このような議論が出て不思議でない。
もちろん身障者のような人々のためには、政府が金持ちや企業から徴収した資金を回す必要があるのだが、自分で十分稼いでいる人間のために、政府が莫大な人員と費用をかけて国民皆保険、国民皆年金のようなことをやる必要はあるのか?
既に医療・介護の現場はほとんど民営化されている。あとは年金事務・失業保険等の現場を民営化するのが適当かどうか、ということだ。生命保険各社は、利益率の高い生命保険ばかりでなく、年金・失業保険もやったらいい。
(4)デンマーク・モデルの曲がり角?
(イ)デンマーク経済は特に、2004年から07年が好調だった。04年の実質GDP成長率は2.3%にのぼっている。
欧州景気の好調で輸出が増えたほか、低金利、所得税減税、住宅ローン制度変更によって国民の可処分所得が増加し、民間設備投資、住宅投資が好調に推移したのである。
だが世界金融危機をきっかけにデンマーク経済も苦境に陥り、曲がり角にさしかかっているのかもしれない。今年5月、デンマーク政府は中流以上には年間800ドル相当の増税、失業保険給付期間をこれまでの4年から2年に半減するなど、一連の緊縮政策を打ち出した。労組を含め反発が強いことから、これが議会を通るかどうかはわからないが、デンマークの社会保障も今曲がり角にあることは確実である。
(ロ)経済だけでなく、移民の増加とそれがもたらす社会問題が、以前は調和に満ちていたかに見えたデンマークの社会を次第にぎすぎすしたものに変貌させつつある。コペンハーゲンでは失業したデンマークの青年たちが移民の青年たちと喧嘩をする例が増えている。
デンマークが70年代頃から始めた外国人労働者受け入れは、1980年代の年間5万人の水準から2006年の27万人(つまり1年間だけで全人口の5%に相当する移民・難民がはいってきたことになる。日本なら年間600万の移民が流入することに相当する)に達するにいたり、次第に社会問題を先鋭化させた。
デンマークは既に述べたように、西欧的価値観――個人主義・合理主義・人道主義・透明性――を最高度に具現した社会なのであるが、移民の多くはそれに同化せず、しかもデンマーク人の雇用機会を奪う。
(ハ)更には2007年までの経済好調も、基本的にはEU、特にEU拡大を受けてのドイツ経済好調の余波を受けたものだったのかもしれない。92~05年デンマークの名目GDPは年平均4.2%成長したが、このうち輸出増分が2.5%と最大の要因となっている(個人消費増は1.9%分)のがその証左である。
もともと、70~80年代のデンマークは「ヨーロッパの病人」と呼ばれ、70年代前半まで1%程度であった失業率は75年に5.1%に急上昇、1993年には12.4%に至っていたのである。エネルギー危機のあおりも受けて、物価と賃金がスパイラル的に上昇する悪性のインフレが70年代から80年代にかけて続いた。当時、社会保障の財源は、外国で国債を発行することによって補われていた。
失業率はその後低下して2000年には5.3%になったが、特に本質的な改革が行われたためでもない。北海油田の権益を一部持っていることによる効果も大きい。
「デンマーク・モデル」の表面にだけ酔い、その腰の強さを分析しないのでは、日本にそのまま持ち込むことはできない。持ち込もうと思っても、政治的・財政的に実行できないものもあるだろう。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/4207