ポピュリズムは日本が本家
米国とか欧州の政治を見て、「ポピュリズム」という言葉がやっと日本でも広まってきた。世論の大勢に無反省に流される、いやそれどころか極端な意見を煽って支持をかき集める政治家―ーそれがポピュリズムの政治家=ポピュリストだ。これは、悪いことだ。欧州の反移民とか、米国の保護主義がそうなんだ、というわけである。
しかしポピュリズムは民主党政権初期の時代、日本でも猛威をふるっていたことに、みんな気が付いているのだろうか? あの頃は官僚叩き、自民党叩きの時代、そして「政高官低」の錦の御旗の下に、まるで今のトランプ政権のような政府空洞現象が現出した。民主党の大臣、副大臣、政務官が1週間に数度集まって「会議」。「あれが問題だね。そうだね。こうやらなきゃね。そうだね」で終わってしまう。官僚を敵視して、その会議への同席を認めないから、会議で話したことが省内に伝わらない。省内に伝わらなければ、会議での結論を法案にすることもできないし、細かい政令や実施要領を作って日本全国に徹底することもできない。予算案にも載らない。
要するにおしゃべりだけで、何も実際には進まなかった。大臣たち3人だけで、細かい事務のすべてはとてもできないし、社会の中で何が問題なのかについても、その知識と情報は偏っている。かと言って、官僚が詳しい情報を上げても見ないのだ。「官僚達は自分たち政治家を操縦しようとしている」とか言って。
つまり、ポピュリズムは日本でもあったし、今でもあるのだ。そのことを世論が自覚していないのは、ポピュリズムに乗り、それを煽って部数を伸ばし、視聴率を稼いでいるマスコミが黙っているせいでもある。安倍政権の次は、またポピュリズムで大混乱になるだろう。
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