経済学の終わり? ケインズの予言
(これは、8月9日付Newsweek誌に掲載された私の記事の原稿です)
1930年、英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズはその随筆「孫たちの世代の経済はどうなっているか("Economic Possibilities for our Grandchildren")」の中で、面白いことを言っている。100年後の世界では生産性が極度に上がるので、人間の大半は稼がなくてよくなる。モノやカネを誰にどのくらい分配するかという、経済上の問題は存在しなくなる──というのである。
ケインズと言えば、1929年大恐慌後の不況から脱出するため、政府が支出を増やして景気を刺激する手法を確立した人物。彼の時代は、大量生産方式が生産性を大幅に引き上げたのに需要が足りないという時代、そして今は、ロボットやAIの発達で、生産性が更に大幅に上がるのに需要が足りない点は同じ。経済政策はまだ必要だ。そしてそれは、経済の新しい現実を見極めつつ、常に変えていかねばならない。
アベノミクスはその点、どうか?これまでのアベノミクスの不調についてはいろいろ言われるが、要は需要が盛り上がらない、膨大な貯金(個人金融資産は1700兆円 、企業の内部留保は300兆円強 )が消費や投資に回っていないということだ。無理に経済成長をはかる必要はないという人もいるが、社会保障や国防に必要なカネは増える一方なので、成長とそれによる税収増は不可欠だ。これまでは、国債を発行して貯蓄の一部を借り上げ、公共投資や消費に回して成長を図って来たのだが、今はこのやり方がもう限界。銀行たちは、これ以上国債を買うのには慎重になっている。
そこで今回にぎやかに議論され始めたのが「ヘリコプター・マネー」。要するに国民一人一人に政府が直接カネを渡す、するとそのカネは消費に回って景気を刺激する──というやり方である。これは米国の元財務長官ローレンス・サマーズや元連銀総裁ベン・バーナンキ等が提唱するに至っている。奇想天外に見えるが、技術的には可能だ。年金やこども手当が既にあるし、マイナンバー制が普及し、ブロックチェーン技術の普及で国民の口座管理が容易になれば、ここに毎月政府が数万円ずつ配布するのは簡単なことだ。
ヘリマネには反対が強い。「効果があるだろうことは認めるが、歯止めが利かなくなる。政治家がヘリマネを無暗に増やし、ハイパー・インフレを起こす」というのである。その通り。しかしこの考えには、少々硬直したところがある。と言うのは、モノの生産がしっかりしているところでは、通貨流通量が増えても全般的なインフレは起きにくいからだ。ハイパー・インフレは、第1次大戦後のドイツ、戦後の日本、そしてソ連崩壊直後のロシアなどで起きているが、これはいずれも生産基盤が崩壊した時代のことである。政治家がヘリマネを無暗に増やすのを止める歯止め装置は絶対必要だが、ヘリマネ自身を100%排撃するのは適当でない。
冒頭ケインズの予言から既に85年。世界は「経済学を必要としない」時代には、未だ至っていない。そして経済の新しい現実は、経済学や統計手法の修正を常に求めている。例えば業種の分類は崩れてきた。ソフトバンクは通信業なのか投資銀行なのか、自前の工場も持っていない米国のアップルやクアルコムは製造業なのかサービス業なのか。サービス、つまり頭脳労働があらゆるものに入り込んでいる今、一次、二次、三次産業といった分類は時代遅れになっているのである。そして親のために介護サービスを使って痛感しているのだが、ヘルパーを頼むということは、これまで主婦が無料でしていた作業にカネを払う、つまりGDP統計に反映させるということなので、日本の高齢者は一大産業を生んでいるのだ。他方若者達は、所得は低くても、カーシェアを使ったり、新生児用品などをリースですませて、生活水準を維持している。こうなると新品への需要は減るのだが、一つのモノがリース料という付加価値を長期にわたって生み続けるという意味では、GDPにむしろプラスなのである。
ケインズはその随筆で懸念を表明している。働かなくても食える時代が来る。そうしたら特にやりたいことも持たない部類の人たちはどうしたらいいのだろう、と。だが、そのような「経済の終わり」は、まだ先のこと。生産性は上がっているで、国と国の間の格差、そして国内の持てる者と持たざる者との間の格差は広がるばかりで、経済学どころかポピュリズムという原始的な政治手法がこれから益々幅を利かせることだろう。
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