見えない日本
新年おめでとうございます。
新年早々、景気の悪い記事ですみませんが、これは昨年末発行したメール・マガジン「文明の万華鏡」第44号の掲載したものの一部です。まあ、日本が外国で「見えなく」ても、我々の生活にはあまり響きませんのでどうでもいいようなものですが、やはり見えていないと、日本が言うことはどの国にも取り合ってもらえなくなるでしょう。頑張らないと。
見えない日本
バブル崩壊以後徐々に進行し、民主党政権の外交不在の時代に決定的になったことですが、世界の中の日本の存在感がとみに低下しています。安倍総理はあれだけ時間を割いて世界の津々浦々に出かけていますが、これが選挙運動だとすると、本当に日本に投票してくれるかどうか、心もとないところがあります。それは安倍総理のせいではなく、戦後日本の姿がなせる業です。戦前、中国での利権をめぐって米国と決定的な対立に至り、完膚なきまでに打ち負かされた後、ソ連及び共産化した中国に対する当て馬として米国に利用され、自らは米軍をソ連、中国に対する抑止力として利用して成り立ってきた、こういう微妙な日本の基盤を外国は見抜いているからです。そしてそれに中国の台頭が重なり、外国にとってみればアジアでは中国しか見えない、中国のことだけ考えていればいい、という状況になっているからです。
日本には経済力の魅力がまだ少しは残っていますが、現在のように軍事力がすぐ使われる世界になってきますと、これもお呼びでなくなってきます。Irrelevantということで、最初から勘定の中に入らない。以前ならば、日本の資金に期待して、いろいろな紛争解決の輪に入れてもらえたものですが、カネもろくに出さない日本は出がらしの茶と同じ、今ではイランとかシリアについての話し合いでは日本は蚊帳の外です。
こういうことでは、安倍総理が文化外交に力を入れているのはいいとしても、いったい日本の何をどうやってアピールしていけばいいのか、暖簾に腕押しのような無力感を最近は持っています。とにかく歌舞伎とかJ-Pop、アニメやマンガを「広めろ」という文化外交、慰安婦問題や尖閣諸島についての日本の立場を「広めろ」という広報、いずれも何か時代から少しずれ、後れてきているのでないかという気がします。
多分それは、面白い文化は政府や役人が「広め」なくても広まるものだ、そして外国人は、慰安婦や尖閣諸島についての細かい説明などにまるで関心を持たない、ということを看過しているからでしょう。では何をどうすればいいのか、それは模索中で、そのうち米国に行って「日本が米国人にとって持っている意味――戦後日本の棚卸し」とでも銘打った講演をしてきたいと思っていますが、まだ企画中。
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