2015年1月11日
東京もワシントンも、飯食うために、言うべきことを言えない人たちだらけ
この頃の安倍政権をみていると、その力に気兼ねして、言いたいこと、言うべきことを言わないでいる人が増えてきたようだ。経済問題でも、安保問題でも、何についても、物言えば唇寒しで、黙って腹膨るる心地している人たちが多い。
同じような現象はワシントンでも起きている。民主党、共和党の対立が激しくなって、民主党系団体・研究所で「飯を食う」専門家たちは、オバマ批判につながるようなことは言わなくなった。共和党系の者も、自党の言い分を崩すようなことは、たとえ真実であっても言わない。「プーチンは独裁者」ということで党論が定まると、それしか言わなくなる。
「米国では、政策は率直なDebateによって決まる」というのが通り相場だったが、それはもう過去のこと。みんな何をどこまで言っていいのか、書いていいのか、場の空気を読みながら、小出しにしている。いや、もうものごとの真相を深堀りしても意味がない。飯を食うためには、政党の応援団に入ったかのように、笛に合わせて叫ぶだけ(アメリカの野球では、そういう応援団はないが)。
「飯を食わなければならぬ」という事情が、日本でも米国でも、ものを自分で考え、表現することを妨げているのだ。僕はその点、誰も資金を出してくれないので、気兼ねすることもない。気の向くまま、風の吹くまま。
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