異次元の成長戦略
異次元の成長戦略
安倍総理の「成長戦略」、一番大事なことなのに、官僚の作文みたいなので終わってしまった。日銀総裁の首をすげ替えればできた金融緩和と違って、成長戦略とか規制緩和は既得権益層からの抵抗が強いし、野にあった時代の安倍総理も十分想を練っていなかったのだろう。
現在の「日本経済の停滞」をめぐっては、議論が収れんしていない。つまり経済は果たして停滞しているのかどうか、停滞しているとするならその原因は何なのか、そもそも日本はこれ以上成長する必要があるのかどうか、あるとすればどのくらいなのか、そしてどうやって成長をはかるのか――こういった点について世論がまとまっていない中では、「成長戦略」も盛り上がらない。そこで、ちょっとその手の議論をしてみたい。
日本経済は本当に停滞しているのか?
「日本経済は本当に停滞しているのか?」などと聞くと、何人かの人からは「お前、何を言うんだ!」と張り倒されてしまうかもしれない。基本給が12万円しかない会社員とか、ぜんぜん客が増えないタクシーの運転手とか、住宅ローンやサラリーマン・ローンが払えず池袋駅の地下で路上生活をしている人とか、そして他ならぬこの著者も、下がる一方の印税や講演料に閉口しているのだ。
それでも、食品の価格はじりじりと安くなっていく(つい最近までは)。牛肉100グラム100円ちょっとというのさえあって、これは日本経済華やかなりし頃の3分の1なのだ。東京の街は年々きれいになっている。不況のはずなのに、高層ビルが次々にでき、東京の夜景は今やおそらく世界一の豪勢さだろう。宝石箱をぶちまけたような、とはこのことだ。居酒屋も、けっこう人が入っている。飲食店チェーンの経営者たちは、「デフレ」でもけっこう利益をあげてきたし、投資もしてきた。
(一人当たり実質GDPでは、日本は悪くない)
まあ、印象論はそのくらいにして、統計を見てみよう。まず、国力の代表的な指標としての名目GDP。確かに1995年以降、日本の名目GDPはドル・ベースで僅かに減少し(1995年に1ドルあたり80円を割って円高がピークになった後、次第に円安になったことが影響している)、その後緩やかな回復に転じている。それでも、1995年の水準に戻った程度に過ぎない。
(「世界経済のネタ帳」)(単位10億ドル)
但し1995年以降は、米国で金融サービスが異常とも言えるほど増殖した時代で、マネー・サプライが急増した。それを受けてインフレ率も高く、それが米国の名目GDPを押し上げている。1995年~2010年の米国では消費者物価指数が37.8%上昇しているので、この期間の米国のGDPは実質的には55.2%の伸びにとどまっているのだ(名目では実に93%の増大だ)。
日本ではインフレより、むしろデフレだったので、1995~2010年のGDPは実質的には12.5%程度増大している。これでも、米国の55.2%の実質増よりはるかに低い。但しこの間米国では人口が16%強増えたが、日本の人口増は2%に止まっている。従って、一人当たりのGDPでは、その実質的な伸び方の差は更に縮まる。米国では1995~2010年に一人当たりGDPは実質で約24%増えたが、日本でも約10%強増えてはいる。名目GDPだと、米国が約2倍になったのに対して日本は伸びていないが、一人あたりの実質ベースだと米国の上昇度は2割に過ぎず、この間日本も1割の上昇を見ている、ということである。
(「プラザ合意で日本はダメになった」のか?)
「1985年のプラザ合意で円が対ドルで2倍にも跳ね上がり、それ以後輸出が伸びなくなったことが日本停滞の原因だ」と、僕も一時思っていた。だが、輸出統計を見てみると、それは事実に反する。
上のグラフが示すように、日本の輸出はプラザ合意後、約10年間、全くと言っていいほど、伸びを止める(円ベースで)。だがその後は、プラザ合意以前ほどではないにしても伸びを再開し、1995~2007年の間に倍増しているのである。これは、1994年には1ドル80円以下にまで上がった円が1995年以降は1ドル・120円程度の「円安」を続けたことによる。BISの統計を見ても、2004年頃の「実質実効為替レート」はプラザ合意直前の頃の水準まで落ちており、当時の日本からの輸出の大幅増と、大企業が記録的収益を毎年塗り替えたことを説明する。つまり、「プラザ合意はもはや過去のもの」だと言っていい。
(「日本の製造業は空洞化した」か?)
我々は「日本の製造業は空洞化した」と思い込まされていて、毎日うなだれて歩いているわけだが、買うものの多くは、相変わらずmade in Japanだし、統計を見ると日本の製造業の生産高は減少していない。米国も今では、「製造業など何も残っていない」ということになっているが、どっこい、米国は中国と並んで製造業生産高世界トップなのである。米国の製造業では軍需が占める部分が多いだろうと思って計算してみると、せいぜい製造業生産高の4%で、米国は技術的水準でも生産高でも世界の製造業のトップを維持してきたのである。
だから、製造業の海外流出が日本経済の成長率を下押ししていることは事実だろうが、米国の例に見ても、日本経済が自力で存続していく基盤を失ったということでは毛頭ない。
(「消費が伸びないことが悪の根源」?)
「民間消費は伸びず、政府公共事業費は削られた(政府公共事業費は1998年ピークの14.9兆円に達したが、2011年には6.2兆円になっている)。そうなれば輸出しか成長要因はなくなる」という見方がある。確かに消費の減退は、統計によっても裏付けられる。下図の赤線が示すように、1990年以降、日本の民間消費の伸び率は下がる一方で、リーマン・ショック以後は減少を始めてさえいるのである(2000年代前半は、小泉内閣の下で金融緩和と「平成の大介入」による円安が実現して、輸出が伸び、消費も僅かながら上昇を始めていた)。
(では、民間消費下押し要因は何だったのか?)
日本では、国内消費が増えれば、それは国内生産の増加や輸入で簡単に満たすことができる。つまり、生産能力が低いからとか外貨が足りないからとかいう理由で消費が増えないわけではない。だから、消費を増やすことこそが、日本経済を大きくし得る最大の要因だろう(なぜ大きくならなければならないか、という議論は後でする)。消費が増えれば、それを満たすための投資も増えて、成長率は益々高くなるだろう。
では、日本の民間消費を下押ししてきた要因は何だったのだろう? 1991年のバブル崩壊とともに始まった不況、その後始まったリストラの波、中国などとの競争に耐えるための賃金抑制(一時盛んだった「年俸制」の導入などもその一環だろう)などがそれなのだろうが、僕はここで一つ、あまり議論されないポイントを指摘しておきたい。
それは、1990年代以降、日本の企業間での株持ち合いが急激に減少し、それを外国人が買い上げていったこと、彼らは配当の多い株を選好するので、日本企業は賃金を抑えて配当を増加したこと、この点である。中尾茂夫氏は「円は沈むのか」(春秋社)の中で、こう書いている(一部編集)。
「90年代半ば以降、劇的に、対日投資は増大した。――日本企業の株式のうち(多分、一部上場企業のことだろうが、原本が見つからないので確認できない)外国人所有分は、1999年の18.6%から2006年の28%にまで上昇した。――そして日本の企業では21世紀に入ると、俄然、配当性向が高まった。07年度における、金融・保険を除く全企業統計では、当期純利益が25兆3728億円で、そこから配当に14兆390億円を支払い、内部留保として11兆3338億円。株主に対する厚遇ぶりは明白。外国人株主や外資系ファンドの参入増大によって、高率配当への要求が強まったから。――従来、日本企業は株主への配当性向が低く、したがって、外国人投資家の参入が少ないと言われてきた。――労働分配率は急速に低下した。それは欧米に比べても、とりわけ顕著。外国人投資家は、株主への支払い増大を要求した。もしもそうした声に対応できなければ、株式を売却され、株価下落の引き金になりかねない。そうなれば、自己資本比率の低下を余儀なくされ、資本増強や利益の積み増しに精を出さなければならない企業側としては、増配をし、外国人投資家の要求を受け入れる必要があった。」
(世界経済のネタ帳より。国税庁 平成23年 民間給与実態統計調査結果)
このグラフが示すように、サラリーマンの平均年収は1995年以降ほぼ一貫して下げてきているのである。だが、こうなったのは、「外国人の陰謀のせい」ではない。日本の株を日本人自身が買わないので、外国人に買ってもらうことで株価を支えざるを得ないということなのだ。そして配当が高くないと外国人には買ってもらえない。別に、外国人に脅されて高い配当を払っているわけではない。日本人がもっと株を買えば、賃金は上がらずとも、配当が日本国内で循環して消費を高めるだろう。賃上げの代わりに自社株で払う、終戦直後の習わしを復活させてはどうか?
(「労働可能人口の減少が経済停滞の原因」なのか?)
藻谷浩介氏はベストセラー「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」で、日本経済停滞の主要因は生産年齢人口の減少と、これがもたらす消費需要の減少にあると述べた。そして解決策として、団塊世代が大量に退職したことで浮いた人件費を青年層に回し、生前贈与促進により高齢富裕層から若い年代への所得移転をはかり、女性の就労や経営への参加を促進することを提唱している。
その解決策についてはまったく賛成だが、「生産年齢人口の減少が消費需要の減少をもたらす」かどうかについては、疑問がある。「労働力人口」統計で見ると、1985年12月の5958万人から2007年6月の6694万人までほぼ一貫して増加しており、本年3月でも6562万人である。これに外国人労働者を加えれば、労働力人口はもっと多くなる。それに、仮に労働力が減少したとしても、平均賃金が上昇すれば、消費は減らないはずであるからである。
人口増は農業社会においては、貧困化の原因となる。工業社会においてはそのような「マルサスの原理」はあてはまらず、人口増は経済成長の要因となる。実際、戦後の日本の高度成長は、人口が約7200万人から1億2800万人に、77%も増加したことを背景に実現されたものなのである。しかし現在の日本では、実働人員はそれほど減っておらず、一人あたりの生産性も上昇する一方なので、藻谷氏の説の前半に賛成はできない。
(リーマン・ショック後は確かに円高不況だろう)
リーマン・ショックがなければ、日本は輸出増を機関車として次第に賃金も上昇し、消費も拡大して、内需主導の成長が実現されていたことだろう。リーマン・ショック前の円水準が続いていれば、パナソニックなど電機大手の大規模投資も失敗に終わることはなかっただろう。大規模投資の結果の製品が、韓国製に比べて価格競争力を大きく失うことにはならなかったであろうから。しかし、リーマン・ショックは起きるべくして起き、その後の対処で日本は欧米とは異なることをやって異常な円高を招いた。
つまり日本の銀行は欧米の銀行と違って投機に手を出していなかったから、リーマン・ショックで被害は受けず、政府による救済措置も必要としていなかった。日銀は銀行救済ではなく景気下支えのために国債買い入れ枠を増額したが、それは例えば米国のFRBが不良債権を買いまくって資産を3倍にも膨らませたのに比べると小規模で、デフレ傾向は収まらず、それに伴って円の実質価値は増大したから、世界中から「避難所」として買われ、1ドル80円を割る異常な円高を示現した。
しかし、すべてを日銀の臆病のせいだとするのは、アンフェアである。日銀法に書いてあることは、第一条が「銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする」、第二条が「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」とあって、物価の安定を前面に出している。
米国連銀法はその第2条で、"The Board of Governors of the Federal Reserve System and the Federal Open Market Committee shall maintain long run growth of the monetary and credit aggregates commensurate with the economy's long run potential to increase production, so as to promote effectively the goals of maximum employment, stable prices, and moderate long-term interest rates"、つまり雇用を最大化し、物価を安定させ、長期金利を穏当な水準で維持するべしと、あれもこれもと相矛盾するような要求を並べている。日銀に景気への配慮を求めるならば、日銀法を米連銀並みの(支離滅裂の)表現に変えなければならない。
小泉政権時代の2001年から06年までの日銀の量的緩和政策とゼロ金利政策は、米国に低利資金を流入させて米経済を助ける一方、円高を抑制して日本からの輸出も促進した。そして低金利は、日本の銀行の財務状況も改善したのである。超低金利政策で4年間に日本が海外に供給した資金は66兆円と言われ、米欧の中央銀行がこの間に供給した通貨(マネタリーベース)の合計にほぼ匹敵する。
さらに2002年からは、「平成の大介入」と呼ばれる35兆円強のドル買いが行われた。これは円安をはかるのと市中の円資金を増やすのと、双方からのデフレ対策で、これだけの介入を米国が黙認したのは、日本政府が購入したドルで米国債を大量に買い付け、実質的にイラク戦費を肩代わりしたからだろう。
今回、なぜ財務省が「平成の大介入・2」をやらなかったかと言うと、多分今回は欧米から強い反発を受けたであろうことと並んで、国債が累積してこれ以上、介入のための国債を発行するのが適当でなかったことがあるのではないだろうか。だから、今回はすべてのツケが日銀に回り、日銀は総裁を財務省出身者に替えてまで、詰め腹を切らされたのだ。
成長しなければいけないのか?
正社員になれない若者は増えたし、ニートや路上生活者も多い。だがそれでも、現在の日本の経済・生活の水準は、(住宅の広さや都市の景観を除いて)欧米諸国の大半よりましなのである。だから、外務省や商社でさえ、外国勤務志望者が減っているのだ。そしてモノの値段は年々下がっていく。100円ショップでも、小奇麗なものを売っている。今は中国やインドに合わせて世界の価格が下落する(中国やインドでは上昇中)という、パラダイムの転換点に当たるのだろう。
そういう中で、何をあくせく名目GDPを増やさないといけないのか? 企業や政府に言わせると、ゼロ成長の世界はちょっと困るもののようだ。企業にしてみれば、ゼロ成長ということは利益も伸びないということなので、投資をするならもっと伸びている国に向けてしまう。そうなると、ゼロ成長では次第にジリ貧になっていく、日本は技術的にも後れていくだろうということだ。それにあの「分かち合い」とかで、なけなしの年金からまでむしられるような圧迫感のあった民主党政権時代に比べて、成長を前提とした安倍内閣は解放感が格段にある(経済面では)。
政府にとってゼロ成長とは、税収が増えない世界を意味する。ところが現在の日本のように老年世代が増えていくと、予算支出がどんどん増えていく。ゼロ成長では政府はやっていけなくなるのである。ある専門家が言っていたが、今の日本でもせめて年間1%くらいの成長が欲しいということで、これなら十分可能だろう。ただ人口が減っていくので、1%の成長も簡単には実現できない。一人あたりの稼ぎを増やし(生産性を高め)、女性や元気な老齢者がもっと働ける条件を作っていかないといけない。
成長戦略追加
では、1%の成長をどうやって実現するか? 生産余力はあるのに消費が増えないことが停滞の最大の要因なのだろうから、解決策としては、足りない消費を国債発行(財政支出拡大)で補うか、賃金増で消費を増やすか、それが王道だろう。
国債の発行額は今やGDPの2年分、約1000兆円にもなってしまった。だが、ギリシャやスペインとは違って国内の資金を回しているだけなので、外国から急に資金を引き上げられて金利が急騰することは起こらない。それに消費税増税法案が通ったので、政府の信用力も強化された。
もともと個人の金融資産は約1500兆円もあり、ここから住宅ローンの負債や個人業主の運転資金を引いても、600兆円くらいある。ふつう、銀行が1億円の預金を保有しているとすると、それをベースにして10億円くらいまで貸し出しても安全だということになっている。600兆円も預金があるなら6000兆円くらい国に貸す、つまり国債を発行しても大丈夫なのかもしれない。
もっとも、資金をこれだけ国が吸い取ってしまうと金利が上がってしまうので、国債の利子返済分だけでも大変なことになる。だから、国債はできるだけ絞り気味にし、その売却代金はできるだけ投資効果の高いものに支出するのがいい。
日本の道路やトンネルなどのインフラはもう更新期に来ていて、年間改修費は8兆円だという見積もりもあるが、国債を使うにせよ、使わないにせよ、たとえ3兆円を毎年改修していくだけでも、建材、材料など大きな需要を生むし、労務者への賃金で消費も拡大する。
広い住宅、電柱や電線が見えない小ざっぱりした都市景観、そして広くて安い介護施設を建設していくことも経済成長を促進する。日本の大都市にひろがる、消防車も入れないような乱開発宅地を整理していくだけでも、莫大な需要を生み出すだろう。中古住宅の転売を増やすだけでも、20兆円の市場を生み出すと言われる。介護や社会保障に直接支出するよりも、経済成長を促進して税収を増やし、それで介護や社会保障を充実させていくべきだ。
予算の使い方をめぐっては、国会議員やその地元からありとあらゆる圧力がかかってくる。それは各省の大臣に集約し、財務大臣との最終折衝で色を付けて、大筋の方向は守らないといけない。
最後に、デノミも考えてもらいたい。1ドルが100円もする通貨を持っている国は、世界ではそれだけで地位が低くなる。もともと円はドルと等価で発足したのだし、戦前も1ドル=2円程度で推移していたものだ。1ドル=100円の単位に下落したのは、敗戦の結果である。そしてデノミは、一時的ではあるが内需を拡大する。駅の改札口から始まって煙草の自動販売機に至るまで、ソフトと部品の交換が必要になるからだ。もちろん今日の明日のというわけではなく、例えば2015年4月の新年度を期して新円に移行、というような目標期日を設定するのだ。100円=1ドルを1円=1ドルに切り替えるのが一番計算しやすい。そうすると、市場が何となく「それまでは1ドル=100円が相場だな」と思って行動するだろう。これは、今いちばん諸方のおさまりがいいレートでもある。
「新しい産業革命」の波に乗る
日本でも右肩上がりの市場はある。それは3000万匹にものぼると言われるペット、犬猫の皆さんの消費だ。この頃家の近所はペット・ショップ、そして獣医がやたらに増えて、ペット・ショップに入ってみると、御伽の国のよう。ワンちゃんのためのバースデーケーキから防寒用のセーターまで、美麗なケースにおさまって、高値で売っている(人間は100円ショップに行く)。
そしてペット用の健康保険(法的には損保)まであるのだから。1匹あたりに月5000円出費すると、3000万匹だから年間1.8兆円になる。付加価値で言うとその10分の1くらいだから、GDPへの貢献ではまだまだか。
そこで、「新しい産業革命」を見てみる。モノづくりにしても何にしても、今は何か根本的な変化が起きている時代なのに、過去の延長上でばかり騒いでいても仕方がない。何が根本的かと言うと――
(1)一つは「人間が神になったかのように、宇宙・物理の法則を今までよりもっと自在、もっと効率的に活用する」ということ。
(2)そしてもう一つは(1)とは逆で、「人間がモノになってしまったかのように、政府とか企業とかスーパー・コンピューターとかにその行動と思考を把握され、操られやすくなった時代」ということだ。
まあ、(1)と(2)は同じことの両面で、(1)を司るごく少数の超エリートが、あたかも神になったかの如く、(2)で仲間をモノとして扱うことになりかねない、ということである。
そして前者の例としては、常温核融合(まだ遠い先の話しだが)、量子コンピューター、脳波の活用(脳波をキャッチして動く人工筋肉など)、あらゆる種類のロボットの登場(軍隊はロボットで代用されていくだろう。ロボットをどう操縦するか、操縦要員をどこに配置して、どうやってその安全を守るかが重要になる)、燃料電池で動く電気自動車などがある。
そして後者の例としては、あらゆるものにセンサーがつき、そのセンサーが発信する情報をビッグ・データ処理技術で処理して、人間一人一人の行動を中央でキャッチできるようにすること、脳の仕組みが解明されるに従って、外部から人間の脳に働きかけて、好ましい行動を取らせること、などがある。
これらのいくつかは倫理的な問題を生じさせる。それは皆で議論して、悪用や行き過ぎが起きないよう手立てを講ずる必要があるが、経済の観点からいくと、これらは巨大な需要を生む可能性があるし、また人間の勤務スタイル、社会のあり方を大きく変えてしまうものであるかもしれない。電話をすると、無人電気自動車がやってきて自宅の前に止まったり、介護ロボット、料理ロボット、掃除ロボットなどを「派遣」してくることも可能になる。
日本はこれらの技術のうちいくつかでは進んでいるが、いくつかの分野では後れを取り始めている。進んでいると思っていたロボットでも、ボストンのi-Robot社の「ルンバ」に先を越されたし、こんなものはロー・テクで、i-Robot等の米国メーカーは軍用(アフガニスタンで荷物をかついで山道を歩くロバ・ロボットまで)のものも含め、自由な発想で奇想天外な方向に事業を展開している。
「成長戦略」と言う時、選挙を考えると、どうしても今までを延長した考え方になってしまうが、経済産業省は戦後、多くの夢を提示し、実現を促進してきてくれた官庁だ。「新しい産業革命の波」委員会でも作って大風呂敷を広げること、これが社会を明るくするし、こういうことを発信するのがこれからの世界での日本の立ち位置でもあるだろう。そして、成長戦略にもなる。
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コメント
「日本経済の停滞」をめぐる議論が収れんすることなど、そしてまた世論がまとまることなど、はたしてあるのでしょうか。
全てが「相対的なもの」であり、何を、何と比べるかによって、あらゆる捉え方ができてしまうのが、いまの経済の構造であり、社会の構造なのだろうと感じます。
これまで続いてきた(いまだ続いている)厳しい市場環境は、「工夫や創造(成長戦略)なき企業」の撤退を促し、競争力を持ったものだけが舞台に
あがれる環境をつくりだしました。
たとえ全体の景気が上向いていくとしても、「みんなが等しく恩恵を受けられる」世界など実現するはずもなく、勝ち負けはより明確に分かれていくのだと思います。
正規分布を前提として語れない「二極化の世界」において、「ひとりあたり」だとか「平均」だとかで比べることが、ますます無意味になっていくような気がします。
政府の成長戦略がどうであろうが、競争力のある企業はきちんと自立した成長を遂げ、競争力を持てない企業がますます「国家(政府!?)」への依存を高めていく、そんな歪みが増していくようにも感じております。