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世界文明

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2022年7月23日

新人間主義 New Humanism 宣言

(これは英語でアップしたものの原文です)

 今の世界は混乱していて、近代の価値観「自由と民主主義」は力を失ったものとみなされている。途上国では権威主義が支配的であり、先進国ではポピュリズムが幅を利かして、自由と民主主義を圧迫しているからである。

 しかし世界は相変わらず、19世紀西欧で起きた産業革命、つまり工業化による経済の向上が途上国にも及んでいく過程にある。西欧、米国、日本、韓国、台湾などでは、工業化による経済の拡大が多数の中産階級を生み、彼らは選挙で、一人一票の平等な投票権を得た。これは人間の権利(自由)を保証するものだし、権利を持つ人間が集まってものごとを平和裏に決める民主主義の基盤ともなった。先進国の人々は、中世とは比べ物にならない生活水準と権利を得たのである。

 この「自由と繁栄」の状況は、1960年代の米国の白人社会で頂点を築いた。いわゆるビートニク世代で、当時の青年たちは「自己実現」を人生の目標としていた。現在、途上国も含めて多くの国の青年世代の間では、この1960年代の米国の価値観が米国のポップ・カルチャーとともに大きな支持を受けている

 しかし今日、「自由と民主主義」は旧社会主義諸国、そして途上国の支配階層からは目の敵にされている。「自由と民主主義」は、権威主義諸国においては、まず家庭を破壊するものと見なされている。「子が親の言うことをきかなくなる」からである。また権威主義諸国の指導者たちは、民主主義を本気で導入したら、自分が権力を失うことをよく知っている。

これら諸国の野党は、大衆のためではなく、現在の与党が独占している利権を自分たちが簒奪するために、権力を手に入れようとしている。西側のNPOはこうした野党を支援して政権を取らせているが(regime change)、それは民主主義を生んでいない。利権の持ち主が交替するだけで、人々の暮らしは何も変わらないのである。そして利権の奪い合いは内戦を生み、普通の人々は苦しむだけとなる。シリアなどは、何百万人もの難民を出している。このような混乱を生んだ西側のNPO、あるいは米国のネオコンの連中は、この悲劇に対して何の責任も取らない。

こうしたことのせいで、旧社会主義諸国、途上国の指導層の多くは米国を怖れ、米国を嫌い、「自由と民主主義」、あるいは「グローバリゼーション」という言葉は米国による支配と同義だと見なして、これを排斥するようになった。今回のロシア軍のウクライナ侵略を糾弾する国連総会での決議に、旧社会主義諸国、途上国の多くが賛成票を投じていないが、これは反米・親ロシアと言うより、米国を怖れているからなのだ。米国が姿勢を変えれば、彼らの多くを「親米」に変えることができるだろう。

米国は「自由と民主主義」を維持できるのか?

 自由と民主主義という原則を譲り、経済援助を強化してまで、これら途上国の歓心を買う価値はないかもしれない。先進諸国にとって心配なのはそれよりも、米国が今後も自由と民主主義を維持できるのか、ということである

 米国は民主・共和両党の対立激化でガバナンスを失いつつあり、政権が変わるたびにその外交路線も180度変わる時がある。次の大統領選挙でトランプが復活すれば、NATO、日米同盟などは軽視され、米国は世界に責任ある関与をすることはなくなるだろう。西欧諸国も、ポピュリズム全盛で、国内のガバナンスを失っている。外部に対して一貫性と責任感のある関与をすることもできない

 このような世界の中で、日本は来年G7議長国となる。日本はこのような場合、価値観とか、世界の大きな枠組みに触れることなく、環境問題や科学技術といったばらばらの問題に集中しがちであった。今回は、それではいけない。自由と民主主義は、日本人自身にとっても必要なものだ。

米国がこれからどうなるかわからない状況で、G7の基礎は自由と民主主義であることを確認しておくことは、G7議長国・日本の責務である。日本の政権は、先進国の中では珍しく、今安定している。野党が分裂して力を失っているし、大きな選挙はこれから3年間にわたってないからである。

 日本は、工業化や経済の向上で人間の権利を増進させる「近代」の継続、深化、途上国への普及の旗を掲げよう。約150年前に経済のグローバリゼーションと価値観の近代化に乗り出し、苦闘の末に現在の高い生活水準と民主主義社会を築いた日本は、そうする資格を持っている。年間100億ドルに及ぶODAを途上国に供与していることも、日本の発言に重みを加える。

「新・人間主義」宣言

 以上の全てを、自分は「新・人間主義」という言葉でくくりたい。西欧は、中世のルネサンスで今の自由と民主主義の基礎を築いた。これにならって、「新・人間主義」は、人間をマルクス主義やネオコンの哲学への束縛から解放し、人間の権利と生活の向上をすべての基礎に置く。これは、17世紀近代西欧のロック、ベンサム等の思想を踏襲したものである。

 「新・人間主義」という言葉は、漠然としている。しかし漠然としているだけに、諸方の支持を得やすい。「自由・民主主義」という言葉は、旧社会主義諸国、途上国では、discreditされている。先進諸国は上から目線で途上国を説教しようとするのでなく、途上国の大衆の目線で彼ら自身の為になることを説かなければいけない。

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