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経済学

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2013年8月16日

初歩の経済学2 ソ連型計画経済でなぜダメだったのか

今は、安倍政権が参院で大勝し、世論は政治も経済も安倍総理に丸投げ、これまで口に泡を飛ばして政治参加と言っていたのはどこかへ消えてしまった風情。
でも安倍政治もいつかは必ずほころびが来る(多分、党内、そして自民党の支持基盤自身から)。その時またゼロから政治参加の議論を始めて、かつての民主党のマニフェストみたいなものに騙されてしまわないように、政治・経済についていくつかの基本点を提示しておきたい。

ここでは、ソ連型の経済経済がなぜダメだったのかを説明する。僕が大学生の時はマルクス主義が盛んで、ソ連を理想化する人たちも多かった。だから僕は経済体制を比較することを始め、外交官としてモスクワに勤務した82~85年にはまさに経済を担当して、計画経済の裏表を子細に見たし、1990~94年にはそれが崩壊した様もつぶさに見た。観察した結果は、「ソ連の試練」(嵯峨冽のペンネーム)、小説「遥かなる大地」(熊野洋のペンネーム)で公開してある。

今の日本でアベノミックスがうまくいかなかった場合、たぶんファシズム的な独裁者待望、計画経済待望論が台頭する。それに対して、市場経済がどうして必要なのかをみんなが心の底から確信していないと、ファシズムにやられてしまうだろう。計画経済は、日本の経済を完全に駄目にしてしまう。


ソ連経済が駄目だったわけ――その1

 市場経済が大事だ、ということは、つぶれてしまったソ連のことを調べるとよくわかる。僕は2,3年前、学生の就職が厳しかったころ、ある大学で教えていてびっくりした。

「皆さんの就職を政府が面倒見るべきだと思う人、手を挙げてください」と言ったところ、学生の3分の1以上が手を挙げたからだ。まあ金利を下げるとかして景気を良くするのは政府(日銀)の権限の範囲内だが、この時の学生は「政府がトヨタとかソニーの大企業に命令して、自分たちを雇うようにしてほしい」ということだった。

そんなことをする権限は、政府にない。権限を与えたら、企業の採算が悪化して倒産するか外国に流出してしまい、職はどのみち失われるだろう。そういう簡単な真実を家庭でも学校でも教えていないから、みんな政府に丸投げして、最後はファシズムの出現を許してしまうのだ。

政府にすべてを期待することは、自分の自由を売り渡すことだ。ソ連の例はこうだ。ソ連政府は確かに学生の就職先を決めていた。大学も終わりのころになると、当局から「あなたは政府の奨学金で、5年間も無料で勉強しましたね。ついてはその恩を国民に返すため、これから3年間カムチャツカ半島の〇〇町で教師をやってください」と言われたりするのだ。そんな遠い寒いところは勘弁してくれと言うと今度は、中央アジアの僻地の学校を指定され、今度は断れなくなる。「3年たったら、またモスクワに職をみつけて帰ってくることできますからね。じゃ、頑張って。さよなら」。

そして中央アジアの××町で苦労して3年、モスクワに帰りたいと思っても、そこはもう政府は面倒を見てくれない。「転職は自由」になっているからだ。よほど良いコネでもなければモスクワの職は見つからない。というわけで、今でもロシアの地方とか中央アジアに行けば、大学を卒業したあと「配属されて」やってきたまま、そこに落ち着いてしまった教師とかエンジニアがゴマンといる。つまり政府に丸投げすると、国民は自分の望まないことを画一的に押し付けられてしまうのだ。

そして政府が企業を国営化し「計画経済」を始めると、もう悪夢の世界(それはそれなりに面白かったが)が出現する。1973年、外務省に派遣されてモスクワに留学した僕は、小さなアパートで自炊することになったので、電気洗濯機を買いにいった。電話して運転手つきのトラックを雇ってアパートに持ち帰り(店が届けてくれないからだ)、ここまでできる俺のロシア語もちょっとしたものだと悦に入ったのも束の間、水を張りスイッチをいれたその洗濯機は床の上を大声ではねまわり、のたうちまわり、水をはねあげ、そのあげく出てきたシャツは袖と襟がぼろぼろになるほど「洗われて」いたのだ。僕の買ったソ連製テレビは問題がなかったが、そのころのソ連国産テレビには「火を噴く」ものがあったという。

どうしてこういうことになるかというと、企業は「洗濯機」に見えるものを年間百万台なら百万台、お上の「計画」に従って作っているだけだからだ。市場のニーズを見こし、市場のニーズをみずから創出して利益をあげ、企業を大きくしていく必要がない。「何をいくつ、何を使って作り、いくらでどこで何台販売するか。どの銀行からいくらの融資をいつ受けるか。誰を次期社長、専務にするか」といったことを全部、「自動車省」とか「軽工業省」の役人達が決めるのだ。企業は自分のあげた利益を自分で投資にまわすことは許されず、いったんすべて「自動車省」とか「軽工業省」に上納するのだ。こうやって、計画どおりにやっていれば社長はボーナスをもらえるし、昇進できる。いい製品を開発しようとか、競争しなければ、という気持ちは全然起きない。

というわけでこの時代、ソ連の人間は、「西側の人間」(ソ連のマスコミでは「西側」を、いつも批判していたが)と何とか友達になって、ぴかぴかの西側の製品を融通してもらおうとしていた。ロシア人は、自分で自分を笑い飛ばすユーモアのセンスが抜群だ。「ソ連ではなんでも世界一大きい。ソ連が作る半導体も」とか、「ソ連の工業製品は駄目でも、子供は素晴らしい。なぜ? それは手先で作るものではないから」とか極めつけのアネクドートが沢山あった。それだけ、批判の種があった、ということでもある。

それでもいいではないか、企業から利潤を吸い上げ、社会保障で分配していれば、生活水準を維持できるはずだ――そう思う人がいるだろう。ソ連はまさにそのようにした。企業間の取り引きから税金を徴収する一方、それを使って牛乳やパンにも補助金をつけて安くし、住宅は全員もらうも同然(ただし順番が来るまで何年も何年も待たされた)、毎月の家賃はただも同然だった。そして年金制度も整っていて、金額は小さくとも生活費が安いからやっていけた。どこかの企業か農園に属していれば、働かなくても、呑んだくれても給料がもらえる、それは全体主義とは言いながら、かなり温かい――しかしロシア人自身が「愚者の楽園」と名付ける――社会だった。

だが、それはソ連が石油大国で、しかも1974年の石油危機以降、原油価格が高騰したからできた芸当だったのである。1985年世界の原油価格が暴落すると、原油輸出で大きな歳入をあげていたソ連の財政は窮迫する。そして、巨大になった財政赤字を減らすため、牛乳などの補助金を止める姿勢を示した途端、大衆は共産党に不満の声を上げ(「共産党のお偉方だけが甘い汁を吸っている」というわけだ)、その不満をエリツィンが煽って共産党とソ連を解体してしまったのだ。

ソ連の計画経済は、特権と腐敗を生んだ。なぜなら、企業をすべて国有化しそれを計画経済で運営するということは、国家の富の差配を少数の党官僚、政府官僚に委ねることを意味するからだ。資材も資金も、何から何まで役人の手に集中していて、その配分を役人が決める。

そしてどこの国でもそうだが、役人にはいい人と悪い人がいる。国や社会を良くしたいと思っている良心的な官僚ももちろんいたが、ソ連の場合は官僚になっていい目を見てやろうとする者の方が多かった。彼らは資材を横領して自分の家を作ったり、ひどいのになると、企業の海の家に行く順番を決めるのに社員から賄賂をとる労組幹部がいたりしたのだ。

どれも、今のロシアや中国社会での天文学的な格差にくらべれば大したことはないのだが、それでもお偉方が表では共産主義の理想をお説教する裏で、不正をやっているという偽善性――これがソ連社会を底から腐らせた。つまりソ連や中国では、「労働者のために」とか言って権力を奪取した共産党員たちが、私利をはかるのに夢中になったために、国民の信を失ったのである。

ならば良心的な国民がボランタリーで経済を管理すればいいと思う人がいるかもしれないが、経済の運営や企業経営というものは、忘年会の幹事と違う。誰でもできるものではない。ボランタリーでそんなことを四六時中やろうとする奇特な人は、いないだろう。では給料を払って管理させる、ということになると、結局は役人と同じことになってしまう。政府になんでもやらせると、結局は自分達の生活が悪くなるのだ。

市場経済の基本は、「何を、いくつ、いつ」作り、「原材料をどこから、いつ、いくつ、いくらで仕入れるか」、「製品を誰に、いくらで」売るかという決定を、経済主体が自分で行うということにある。経済活動は競争に委ねられるので、売れないものは無駄になり、負けた企業は社員をリストラせざるを得ない。しかし、売れないものは安売りされるし、リストラされた社員は、失業保険をもらいながら研修を受けて能力を高め、別の職を探す―――こうしたやり方の方が、社会全体では豊かになっていく。

リーマン・ブラザーズ金融不況の後、「資本主義の終焉」とか「市場経済の黄昏」とかが言われるが、それは無責任な言い方で、「稼いだものを何かに投資して膨らませる」という原始からのやり方=資本主義は、これからも続くのだ。

何かが曲がり角になったのかと言ったら、それは1971年の「ニクソン・ショック」でドルが金価格から切り離されて増刷の一方となり、それを投機に回して大儲け(大損も)をするようになった、米国、そしてロンドン金融市場での過度の「金融バブル経済」のことだ。

日本は1980年代後半の金融バブルで懲りて、今は堅実なモノづくりが基本の経済だ。このモノづくりは市場経済、資本主義があってこそ、実力を発揮する。欧米の金融バブル経済は、規制する必要がある(難しいが)。しかし日本の資本主義、市場経済は、規制するどころか、むしろ余計な規制は緩和して、ますます活性化していかないといけない。

学生は大学でバイトや遊びだけでなく、ものの見方を身につけ、留学して語学を身につけ、本当に使える戦力として、中国人留学生などと対等に競争できる人材として、自分を企業に売り込めるようにならないと。

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コメント

投稿者: 中沢賢治 | 2013年8月26日 07:44

河東先生のご指摘のとおりソ連の計画経済は「特権と腐敗を生む」点において市場経済と構造的に異なっていたのだと考えます。西側の指導者や経営者にしたところで「特権と腐敗」の誘惑にさらされるのは同じだとしても、競争で生き残るためには、効率と利潤の状態を的確に把握するための経営情報システム(MIS)が不可欠です。都合の悪い経営情報を握りつぶそうとしても、システムを無視して「無かったことにする」のは容易なことではありません。一方で旧ソ連の上層部にとっては各期の目標を達成するために一番都合が良いのは客観的な経営情報が存在しないことです。また中間層以下にとっては配送中のミルク、肉、部品などのもともとの数量を曖昧にして家に持ち帰ることができれば、給料は低くても豊かな生活が実現できる。全体として透明性の欠如を歓迎するシステムが成立するわけです。そういう経験談(主として「昔は良かった」の文脈で)をタシケントでもビシュケクでも聞きました。このような状態を何年続けたら一国の経済全体が破綻するのか、それとも何とかなるのかについて壮大な実験がなされたような気がします。

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