2011年1月12日
衆議一決――鳩山さんには尖閣に住んでもらおう、福島さんと
今日は、「年金をもらっても現役」の世代で集まり、新年飲み会ということでおおいに盛り上がった。その中のハイライトは――
「おい、尖閣列島、日本人の誰かが所有しているらしいけど、誰も住んでないというのはまずいぞ」
「じゃあ、そう言うあんたが住めばいいじゃないか」
「・・・。いや待て。適任者がいる。鳩山さんならあそこに家を建てて、島守をしてもらうだけの資金をもっているだろう」
「That's a good idea! 固定資産税、免除でいこう」
「いつも国民のことを真剣に考えてくれている、社会民主党の福島党首にも鳩山さんの家の隣に住んでもらおう」
「でも、それでは有事に米軍が守ってくれないんじゃないの?」
――日本人の多くは、一時は期待した「政治家」なるものにすっかり愛想をつかしている。「もういい。自分たちでやるから」というのが、現在の国民のムードではないか?
国民から見放された政治家の使い道はどこにあるか? そういうことを真剣に考えた末の提案が、上記のものだ。
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コメント
彼らに島守をしてもらう際には、どこの国の
島を守るのか、赴任前に再確認しておく
必要がありそうですね。
そうしないと、気が付いたら、軍事費はます
ます拡大、空母までつくっている国の島守を
やってる危険性がありますので。
かといって、口では勇ましいことを言ってる
保守系の政治家の多くも、本当にその言葉
どおりの覚悟があるかどうかというと疑わしい
ところですし、いまの政治の病巣は深い気が
します。
志を持ち、覚悟を持ち、身を削って仕事を
している一部の政治家の努力を無駄にする
行為という意味でも、「仕事をしない政治家」
の罪は重いと思います。
高野山の参道には、日本史上の有名人の多くが墓石を並べていますが、尖閣諸島には現代の有名政治家たちが別荘を並べるようにすればいいのです。
そもそも、政治家の問題以前の構造上の問題が全てを阻んでしまってるのではないでしょうか。司法にしろ、教育にしろ、予算がまったく割かれていないのはOECDのデータを見ても自明なことで、コレで何をしろといわれても精神論の無謀な万歳突撃にしかなりません。まるで兵站を欠いた挙句の末端の日本軍を感じさせる自暴自棄感が国民に膾炙してしまっているのではないでしょうか。そして、こうした精神論は中高年以上のメディアでことさら目を引くものになっています。
行政のあまりの権力拡大の前に、立法府がなすすべが無いのは構造上の問題で政治家個人の問題では無いと思えます。政治家に資質の問題があるとすれば、それは選挙民と政党システム、チェック機関としての司法のあり方の問題。
行政の失敗が政治家のそれとして叩かれるというマスメディアの批判の構造は海外のメディアと日本のそれを比べていれば如実に現れています。これでは、どんな政治家も育つことは無い。
政治家が無力なのは今に始まった事ではなく、もう何世代にもわたる恒常的な状態。メディアにのせられて叩く事より、それを生み出していってしまう政治と国民のそれぞれの意思の接点が機能しないことを世代を通して問題にしたいものです。
遅きに逸したという観は否めませんが、投げやりにならずに地道に掘り起こしていくしかないと思っています。