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政治学

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2011年3月21日

現場の政治学1

(東日本地震の行方不明者がまだ多数おられる状況の中でこんな閑なことを書いていて申し訳ないが、一日中家にいるので、たまったメモを片づけている)

大学で教えていると、政治や行政の実際について情報が不足しているがために、過度の期待とかいわれのない批判があることに気がつく。だからここで、大学での「政治学」の授業で習うことと、政治や行政の実際の間の乖離について書いていく。思い出したなりに書いていくので、系統的な順番にはならない。

法則1:政治においては、リソースは限られている
政治は組織で何かをやるものだが、政策を決定し責任を取るトップは一人しかいない。役所は多数の役人を抱えているが、彼らはそれぞれ担当を抱えており、緊急時が起きた時に別の担当の手伝いをさせても、その対応能力は限られる。
だから「政治においては、リソースは限られている」。総理は一人しかおらず、彼あるいは彼女は一日に多くても20時間しか使えないということである。会議を一つやれば30分から1時間はかかり、人と会えば短くても15分はかかる。外国人の客には1時間は会うだろう。

法則2:物事の決定・執行権は、通常3~4名に集中する
専制主義のようだが、これは民主主義体制においても見られる現象だ。この3~4名とは、責任者(総理とか官房長官とか)、執行者(多くの場合、次官とか審議官とか)とその部下1~2名(局長とか課長とか)である。これ以上の数を決定過程に入れると、決定のスピードが落ちるし、マスコミに漏れる可能性も増える。マスコミに漏れると反対者(それも、政治的な思惑に基づく反対)が増えて、ものごとを動かせなくなってしまう。
だから、重要なことがらであればあるほど、これを知る者の数を限ろうとする。それは殆ど独裁的と言ってもいいほどである。

法則3:ものごとの決定過程、そして決定する者は毎回様々であり、一概には言えない
憲法や法律で定める建前と、実権が存在するところが違うことがある。政党の幹事長が大きな力を持っていると、ものごとの決定はどうしてもその幹事長が仕切ることになる。

法則4:政治で重要なのは、頭より力
「優れた政治家が総理をやれば、日本はうまくいく」と信じて疑わない人がいるが、その「優れた」という言葉の中身が問題だ。単に頭がよくて良い政策を考え出すことができるだけでは、政治家として不合格。ものごとをよく調べて政策のプラス・マイナスを勘案したうえでいくつかのオプションを出すのは、官僚の仕事ででもある。
政治家は、そのオプションの中でどれが最も効果を持ち、かつ政治的に実現性があるかどうかを瞬時に見極める経験と勘を持っていること、そしてそのオプション実現のために国民を説得し、利害関係者を宥め、補償を財務省から引き出していく――つまり調整力、批判に耐えられるだけの権威と党内における地位、まあ、つまり積もりに積もった人脈を持っていないと良い政治家ではない。
そしてそのような資質を備えた政治家であっても、一度に沢山のことは手掛けられない。時間が足りないからである。

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