2011年3月20日
米国との窓口
米国の連中と話していてふと思うことがある。日米関係を演出・運営している人たちの数は限られているのだが、彼らを通して国務長官や大統領に日本の立場を伝えたいとき、どうしてもフィルターにかけられてしまうから、日本側にとってはしんどいところがあるだろうと。
そして日本は長い間、政治家が外交の前面に出ることなしに外交官などの官僚に外交折衝を任せるところがあったから、米側の相手も官僚にとどまり、なかなか政治家のランクにまで行かない。日本では試験で選ばれる官僚、米国では選挙で選ばれる政治家が政策の中枢をになっているという、「ねじれ」の結果だ。これは日本の官僚が悪かったのではなく、政治家にそれをやる気がなかっただけのことだ。
さらにこのような構造にあるのなら、東南アジアとか南アジアとか中央アジアなど、極東以遠の地域についての日本の政策は、米国の政治家レベルになかなかインプットされないだろうなということ。
米国の力が一時的にもせよ下がっている現在、日米は極東以外の地域についても政策をすりあわせて双方の利益になるようにもっていかなければならないのだが、両国の間の体制はそうしたことを総合的に調整・演出できるのだろうか?
個々の地域については、日米の担当者の間で情報交換が行われている。だがそれらを一つの大きな政策に練り上げるだけの体制が双方にあるのかということ。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/1460