日本が盛り上がらない千の理由
(僕が書いた「日本は上から下まで盛り上がらない」に、ベルリン在住の「たろ」さんがものすごく面白いコメントをくれたので、彼の許可を得てここに目立つ形で転載しておく。
彼の言い分には賛成だ。日本の公立校でなぜ集団主義的価値観が根強いのか、それは日教組のせいなのか、文科省・教育委員会のせいなのか、それとも社会全体がそうなっているからそうなのか、僕にはよくわからない。
どっちにしても、これでは世界を渡って行けない。多国籍企業を身ぐるみ剥いで、寄生していく生き方しかできない。まず、ものごとを変えられるべき立場にいる人たちが、そのことを自覚して、子供たちが自分とは違ったものになっていくことを容認し、その方向での改革を止めないことだ。河東)
(河東さんは、日本の社会にはイデオロギーがないとおっしゃいますが)煙のようなイデオロギーがですが、強固に膾炙してるのではないでしょうか。
キリスト教やイスラム教が絶対主義的なイデオロギーであるとすれば、日本は大衆的なイデオロギーが蔓延してしまっているのでは。
私自身もはっきりと焦点が定まっているわけではないのですが、
学校教育の時点で極めて予定調和的なあり方が、ほぼ強制される。わけのわからないマスゲームのような踊りや、運動会、行進、法的秩序、憲法を無視する学校倫理(体罰や独自の拘束)。
法の下に生きる市民としてではなく、その場の雰囲気になあなあで世渡りする村社会的な倫理を学校は生活の中で発展させてしまう。
学級委員や生徒会といって、全体主義的なシステムが、普通に日常空間を覆っています。。。
これだと、倫理や啓蒙といったクリアライズされた理念や思想が入り込む余地がない。常に人間関係が絶対項目として抜きん出てしまいます。
この中で育つと、「自由」のあり方という具体的な視野が身につかない。「迷惑をかけない」、「人を嫌な気持ちにさせない」、「いつも仲良く」、「大人として」のような理念が、こどもの自由と、それだからこそ獲得できる多感性、多様性を圧殺していってしまいます。
特に政治的な影響力に乏しかった「日教組」が、学校を荒らしてた印象を多くの人が持ってしまうのも、こうした強固な制度に挟まれての発狂的な状況ゆえかもしれません。
強引なやり方に生徒が目の前の教師に反発を感じ、これが逆に右派を増やすことにはなっても、左派を増やすことにはなってはいない。おそらく言論内容ではなく、やり方が極めて乱暴だったことが問題なのかと・・・。
これは、日本の右派、左派どころか社会倫理に共通する問題点に思えます。
人格やプロセスを無視して観念的に押し付けようとしてしまう。
80年代臨教審のメンバーを見ても、一様に保守派、転向組みで固められていますし、安部内閣時には、ネオリベ勢力が加わった程度で、正直、官僚にとって都合がよい政治的に無知で無力な著名人といったところ。
順応的な労働者を育てるにはこれが良いのかもしれませんが、反民主的労働者のメンタリティがどうしても学校教育・制度によって開花してしまう。
労働者階級が反民主的な性格になりやすいのは、アドルノや大衆化研究では知られていることです。
学校という法秩序なき閉鎖空間でおきる特有のタフネスのメンタリティです。
耐える事、我慢すること、自己表現しないこと、仲良くすること。
そして、多くの場合、子供に「自由」を与えると、かつてあったような猟奇殺人でも起きるかのような感覚で強固な実感になっているのを感じます。
ヒール役、日教組に対する反発と同質のものではないでしょうか。
暴走族などが、そうした学校思想の里帰りともいうような軍国文化に向かうのは、
ある種の膾炙するイデオロギーの道筋を示しているようにも思えます。
強くなること、負けないこと、その中でルサンチマンが苛烈な勢いで増大する構造を何十年もやっていれば、さすがに「元気」はなくなるかと・・・。
上記のタフネスの思想の洗礼をうけると、人道的であること、合理的であること、寛容、リベラルを考えるものは甘ちゃんということになってしまう。
そして、本来なら言葉を交わし、理解するという民主主義の大前提が、学校的なコミュニュケーションによってつぶされてしまっている。
信じられない巧妙さで、啓蒙的な自己開花の可能性が摘み取られてしまっている。
タフネスのスティグマは、日本人のこころに非常に深く刻み込まれているように思えます。
このせいで、もはや上も下も合理的な合意ができなくなってるのではないでしょうか。
このお話に関しては、はなはだここのコメント欄では舌足らずになるので、参考文献をあげておきます。
・いじめの構造 内藤朝雄 講談社現代新書 上記の話の多くは、この本の「いじめの分析」の部分を参考にしてます
・日本社会イズムとポストモダンファシスト 文化科学高等研究院出版局 山本哲士
・公共性の喪失 リチャード・セネット 晶文社
・群集と権力 エリアス・カネッティ 法政大学出版局
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/1111