選挙前 今の時代をどう認識するか Ⅰ 権威の崩壊
選挙が近づいてきた。アンのないアンパンみたいな政党たちが相争う、この選挙。
誰に投票するか考える前に、今という時代の意味についてちょっと考えてみたい。出し損ねた本の廃品利用だ。ちょっと長いけれど。
「権威」破壊の時代
「そして誰もいなくなった」という推理小説がある。いあわせた全員が殺され、犯人がだれかわからないという筋書き。今の日本、今の世界を見ていると、まるでこのアガサ・クリスティーが描いた小説の世界だ。「権威」、「価値観」が殺されて、われわれは霧のなかを右往左往している。
地に墜ちた権威たち
僕たち団塊世代がまだ学生だったころは、「反帝国主義」、「革命」といった勇ましいスローガンがキャンパスにあふれていた。学生運動の闘士たちは、語尾を伸ばす独特の日本語をハンドマイクでがなりたてる。「自民党政権はあ、自らをお、米帝にい、売渡い、今またあ、安保条約改定でえ、米国のお、世界陰謀にい、積極的に加担しようとしているう」 それはまだ、多くのことがこれからの時代だった。新宿駅で過激派の若者たちが暴動を起こしたのもその時代だが、今そんなことを言っても信じてもらえないだろう。
草食と言われる現代の学生とちがって、団塊世代は上にいる者たちに反抗し、社会のシステムを変えようとする気概があった。イデオロギーの時代、同じマルクス主義でも分派が違えばゲバ棒(釘を打ちこんで殺傷能力を高めたこんぼう)で撲り合いをする時代だった。
だがマルクス主義、共産主義は、ソ連崩壊で信を失った。大学時代に言葉だけで共産主義、計画経済を勉強した僕は、ソ連、ロシアに在勤して、その長所、短所、そして終焉をつぶさに見ることになった。イデオロギー闘争の時代は終わり、これからは資本主義の下で金をかせぐ時代だとなった矢先、それも二〇〇八年の世界金融不況で不信任をつきつけられてしまった(僕はそれは間違いだと思っているが)。
明治から、日本人はヨーロッパにあこがれ、追いつこうとしてきたが、そのヨーロッパは多くの面で以前のヨーロッパらしさを失った。ロンドンもパリも、どこかがさつでざらざらという感じ。ヨーロッパこそはリベラリズムや民主主義など、「市民社会」を支える価値観が発祥した地なのだが、経済状態が悪く失業率が高いので、そうした上品な価値観を支えきれない。そして大量にやってきた移民たちは、出身地域の異質の文化、異質の価値観をヨーロッパに持ち込んでいる。
アメリカでは、民主党と共和党の二大政党だけでは拾いきれない選挙民が増え、それは今では四十%弱にも達した。その一方で、ブッシュ政権が自由と民主主義を広めるためと称してイラク戦争を始めたことで、イスラム圏、旧ソ連諸国の多くの人間は、「自由」、「民主主義」を嘲笑うようになっている。アメリカの拡張主義を正当化するための看板に過ぎない、というわけだ。
そして日本はもうこの五年間、一年のうち三か月は新しい総理を囃し立て、次の半年は総理をたたき、最後の三か月は「次の総理は誰か」を論ずることを繰り返している。衆議院と参議院で多数党が違うという「ねじれ」がなくならないかぎり、政権は代わりやすいのだが、マスコミは問題を総理個人の資質にすりかえてドラマを作る。マスコミにとっては、毎年販売促進キャンペーンができるようなもので、こたえられない商売だ。
明治以後、日本の統治をささえてきた官僚は(江戸時代は、侍が官僚[ただし世襲]の役割を果たしていた)、かつては清貧に甘んじているはずだった。ところが、バブル崩壊後は特権層、自分たちが存続するためにだけ仕事をしている既得権益層とみなされるようになった。大蔵省、外務省、通産省、防衛庁と次から次にたたかれて、それら省庁は機能が一時マヒした。こうして腰が定まらなくなった日本は、一九九〇年代後半から国際舞台で存在感を大きく低下させる。
「冷戦の敗戦国はソ連、そして日本」
冷戦のあいだは欧米も、ソ連に対抗するため日本をちやほやしてくれていた。日本人はカネを持っているので、言葉ができなくても、空港の売店ではていねいに接客してもらえた。そして日本人は「名誉白人」という言葉を、自分でうれしそうに使って恥じなかったのだ。
だが一九九一年そのソ連が崩壊すると、日本の利用価値は下落した。その頃スウェーデンの知人は僕に冷たく言ったものだ。「冷戦後の世界では日本の居場所が見えない」と。また、「アジアでは日本が大きな顔をしているが、アジアの本当の代表は中国なのだ」と言う人もいた。世界には、平和路線でODAもしっかりやる日本を愛し、尊敬してくれる人もたくさんいた。でも一方では、「戦争で日本をたたいた当の相手のアメリカに依存し、だれでも作れそうな電気製品や自動車を超過勤務の連続で安売りしてはおおきな顔をしている」日本をにがにがしく思い、韓国や中国との経済競争にそのうち負けるだろうという、意地悪な期待感を口にする者もおおぜいいたのだ。
そうした連中は一九九〇年代後半になると、中国経済の将来性を盛んに持ち上げる一方では日本の行き詰まりを喧伝し始めた。中国をはじめ、東アジア諸国、そしてASEAN諸国の発展のうらには、まさに日本の資本と技術が存在している(日本だけではない。アメリカ、EUの役割もおなじく重要だった)ことは無視してである。彼らは中国企業の株価をつりあげては儲け、日本企業の株を売り払ってはまた儲けた。
こういう時に日本はバブル経済崩壊後の困難で、その犯人さがしに血道をあげ、ありとあらゆる権威を地に引きずりおろし、国内の統治をメルト・ダウンさせてしまったのである。日本はカネがあるため、面と向かって侮辱してくる者はいなかったが、世界で存在感を強めなければいけない正にそのときに、日本は自分で国内にひきこもってしまったのである。いや、冷戦が終わり、アメリカが日本たたきを始めたことが(一九九四年の円高)、日本経済をますますひどくして、国内の足の引っ張り合いを激しくさせたのかもしれない。世界では、「冷戦の敗戦国はソ連と日本である」ということを言う人がいるが、まあ、日本はソ連が敗北したあおりを食った、ということは言えるだろう。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/2347