2011年3月のアメリカ――印象記10(「ともだち作戦」は日米を近づける?)
アメリカ政府、そしてアメリカ軍は、今回の地震・津波・原発事故に対して、本当に日本を助けてくれた。日本では今、昔の社会党の流れでアメリカを斜めに見る向きが多いから、今回の支援をことさら見て見ぬふりをするのだが、それはフェアな態度じゃあるまい。日本がこれまで築いてきた自由な社会は、アメリカとの提携なくしては維持できない。
アメリカに強制されて同盟しているのではなく、自分の利益のために同盟しているのだから、アメリカをいつまでも三白眼で見ていないで、一緒に力仕事をやればいいではないか。そうして初めて、対等な関係に近づくことができる。そこのところを抑えずに、なにか抽象的に日米関係を議論するから、いつまでも埒が明かないのだ。
アメリカは、もはやアングロサクソン系の白人が牛耳る国ではない。世界中の諸民族が乗り合い、アメリカのルールとモラルに則って豊かな生活を築いていくための一つの装置だ。日本人もその中で大いに発言していけばいいのである。
というのは前置きで、今回ワシントンに行ってみると、地震・津波・原発事故についての日米協力に、関係者が忙殺されていることが痛いほどわかった。東北地方の運輸網が壊滅したなかで、米空母は自衛隊機などの運輸のハブになってくれたようだし、原発関係については日本が持っていない機材を次から次へと無料で貸してくれた。特に、原発についてはこれが米国の原子力政策にも響きかねない問題であるために、強い関与の姿勢を取っているらしい。
こうなると、今回の事態は日米関係緊密化のための大きな契機になり得るものである反面、また大きなリスクも抱えたものであることがわかる。それはアメリカ軍の能力、資材が圧倒的なものであればあるほど、日本人には占領時代の記憶が蘇るということが一点、もう一点はアメリカ側の意気込みが大きければ大きいほど、日本側の対応へのフラストレーションが高まる可能性が大きくなるということである。
日本人はものごとを決める時、徹底的に根回しをしてコンセンサスを取り付けてから発表しようとする。これは民主党の上層部においては見られなくなったが、各省、東電においては強く残る伝統だろう。このような組織に生きる者たちは、「無責任なことは言わない」ことを旨とする。
ところがアメリカ人は、個人々々の思いつき、アイデアを大声で発表し、叩きあう「ディベート」でものごとを決める(それほど単純でもなく、ウラもけっこうあるのだが)。そこでは想像力、仮説提示が大きな役割を果たす。これは、日本の組織のやり方とは正反対であり、アメリカ人にとっては日本の組織は秘密じみており、物事を隠し、ものごとを把握する能力に欠け、責任回避を目的としているように見える(実際にその通りである時もある)。アメリカ人にとっては、全てのことを教えてくれない相手は、自分を友人と思っていない者、つまり敵に近い存在である。
だから、今回の日米協力はよほどうまくハンドルしないといけない。因果な話だ。
今回の国際報道を見ていると、CNNは日本政府・東電の対応に対する批判を抑制しているように見える。ロシアでは国民レベルで大変な同情と、被災された人々が秩序をもって行動していることへの深い尊敬が見られる一方(僕に心配してメールを寄こし、日本が危なくなったら自分の家に一室を提供すると言ってくれたのは、ロシアの友人が最も多かった)、マスコミの方は日本全体が駄目になってしまったような方向へ振っていた。
原発事故について一番危機意識をあおり、日本の対応を批判したのはドイツのマスコミだというのは、ドイツ在住の日本人が発信していることだが、これには「ものごとは・・・であらねばならぬ(sollen)。その真理に従っていない者は無能、または邪悪なのである」というドイツ的な信念の他に、ドイツ国内で原発の是非が与野党の間でのイシューになっていることが背景にあるだろう。特に最近では社民党を抜きかねない勢いを見せる「緑の党」が、原発批判に力を入れていることが大きな要因なのだろう。
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