2011年6月 8日
世界で尊敬される日本になるためには と言うけれど
いろいろなセミナーに出ていると、講師がよく「世界で尊敬される日本になるためには」とか、「日本は世界でもっとイニシャチブを取れるように」と言う。違和感を感ずる。こういう言葉の裏に何かコンプレックスを感ずるから。自分でやるのではなく、誰か他の人たちに日本が尊敬されるようにしてもらって、自分もその余得で、何も言わなくても世界で一級の市民として下にも置かない扱いをしてもらえる――こういうことを望んでいるように感じられるからだ。
国がまるで人間であるかのように尊敬されたり、軽蔑されたりするというのはよほどのことだ。普通は、ある人間が尊敬されるか、軽視されるかだけなので、ある国全体が軽視されるというのは、そういう人間に出会う機会がかなり多いということだろう。
外国に行ってもろくに発言もしない。言葉ができないだけでなく、自分の意見も持たない。商談をしても、すぐ本社と相談すると言って、自分では決めない。スポーツをやらせても、おおむね弱い。そして何よりも、米国に安全保障を依存し、外交を牛耳られながら、自分では高潔な顔をして他国を高い目線で見やる。
世界で、生れた国の名を言っただけでそれなりの待遇をしてもらえる者は、それほど多くない。そして日本は、そのような国のブランド・イメージだけでかなり尊敬してもらえる国だ。十分に重んじられている。だがこれ以上尊敬されたいと思ったら、なにより個人が外国に出たときの競争力・表現力をもっと身につけないとだめだ。外国では、日本での格付けは通用しない。
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