2009年6月 8日
勤勉に働いても豊かになれない人たち
日本人のわれわれが当然であるかのように考えていて、実は当然ではないことがこの世界にはいくつもある。その一つ、「勤勉に働けば豊かになる」という錯覚について。
たとえばインドのデリーで人力車に乗ったとする。あのどこにでも行ける便利で、そして安い乗り物。もう値段は覚えていないが、10円単位だったろう。あの暑いなか、ハエが飛び交うなかを黙々とペダルをこいでいく。不思議に、車夫のシャツの背中が汗でぬれているのを見たことがない。
彼らも家に帰ると妻子がいる。一日中、重労働でペダルをこいで、でもその稼ぎはいかほどのものか? いったい、彼の家庭が豊かになれる日など来るのだろうか?
してみると、「勤勉に働けば豊かになる」というのはウソなのだ。どこかが狂っている。そしてそれには多分、植民地主義、産業革命、交易条件といったものがからんでいる。たとえて言えば、アフリカの酋長がイギリス人の差し出すガラス玉1個と奴隷1人を交換して以来、働けば豊かになる国とそうでない国が分かれてしまったのだ。
高い付加価値を生み出す生産手段を所有する者は、働けば働くほど豊かになれる。そうでない者は、「働けど働けどわが暮らし楽にならざり、じっと手を見る」ということになる。
もっとも日本の税金もけっこう高くて、稼げば稼ぐだけ目の飛び出るような住民税を払わされるから、もういやになってしまう。 河東哲夫
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