2016年7月19日
俗である幸せ そして優れた芸術家であることの不幸
6月初め、この欄で「夜泣きそば詩人」青木辰男氏のことを書いた。
もともと裕福な家に生まれたのが零落したので、その鋭敏な神経に研ぎ澄まされた言の葉からは、血が迸る。
「春夜屋台車が軋むキリストを轢きマルクスを轢き」とか、「夕暮れの回廊のやわらかな下闇を 頭のない犬が通りすぎ やがて静寂のふかい夜がくる」とか、「眼のなかへ隕石がふりそそぐ」などなど――
しかし・・・陽光がさんさんと降り注ぐ、ひばりヶ丘駅前のベンチに座り、サーティワンのアイスクリームを貪りつつ思う。
――自分は、これでしごく満足だ。たった350円の満足。詩人も、もしこんな境遇にいたら、あんな悲しい詩を書いただろうか。芸術と俗。芸術の根は欠乏にある。そんなことなら、自分は俗の世界で構わない。
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