日本人――ハイカラも、ついこの20年だけ
今、日本での生活は世界でもトップクラスのハイカラぶりだ。新築の住宅やレストランのインテリアとか、洒落た店の数々とか、丁寧きわまりないサービスとか。それが当たり前のようになって、われわれは中国やアジアの国は日本よりずいぶん後発だと思っているのだが・・・・・・・・
そんなに違うのかね?
そこで思いだすのは「コッペパン」。武蔵野市は関前小学校に行く四つ角の高橋商店に入っていくと、少し意地悪そうなおばさんかその跡取りのお兄さんが番台の床板を上げる。そこには40センチ角のブリキ缶にいっぱい、黄金色のマーガリン、隣の缶は着色料でひどく赤いジャム。それをへらで「コッペパン」になみなみとなすりつけ、もういくらだか忘れたが法外な安値で売ってくれた。
コッペパン――懐かしい。でもなんでコッペと言うのか今更ながら不思議に思ってウィキペディアを引いてみたら、多分フランス語のcoupeから来たのだろうと書いてあった。つまらない。
僕にとってコッペパンとは、つましいけれど夢のあった時代の象徴。安くてたっぷり、そしてどこか下世話なおいしさの象徴なのだ。
ああ、それが今ではチーズはナチュラルでなければチーズではないと言い、清酒の銘柄をさしおいてワインのブランドをあげつらい、もうそういうことを150年もやっているような顔をして。微温、偽善――なんと言ったらいいのだろう?
戦後生きてきた歴史は味覚とともに存在する。コッペパンの次は「チキン・ラーメン」。今で言うインスタント・ラーメンのはしり。あれ、生でぽりぽり食べてもおいしかったよな。
それがいつか、「金曜はワインの日」とか、「違いのわかる男」とかのコピーに踊らされて(1980年代だったよな)、だんだん家の中でもステテコ姿でくつろげなくなったのだ。
この変化――封建時代に毛の生えたような生活からヨーロッパの先端にまで――が僅か1世代の間に起きたなんて。もっとも、われわれの両親の世代も、戦前既にハイカラな生活の一端を味わっていたのだが。
1世代の間にこれだけの変化が起きるなら、中国であらゆることが目の前で変わってきても、それを幻のごとくあり得ないものと決めつけるのもまた、適当ではないだろう。
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