「国際化」論議再び――何が欠けている?
大学で講義を始め、ブログを更新する時間も少なくなったので、学生(中堅ビジネスマン)の皆さんとの問答を紹介していくことにした。
学生からの質問:
日本企業のグローバル化に関する話題が尽きません。
NECでは、入社2年目の社員向けに海外派遣制度を行い、パナソニックは、来年の社員採用の海外の比率を4倍高め、日本板硝子では、米国デュポンの社長が登用されます。
このような日々の変化から、10年後の2020年、日本、日本企業は大きく変貌すると思っています。
そのような中、終身雇用を保障する企業がほとんどない状況で、社会人が65才までの定年とされる年齢まで働くことは、今まで以上にとても厳しくなると思っています。
これから、どのような考え方、発想、スキルがグローバル化社会で働くために、一般的に求められるか、ぜひアドバイスをお願いいたします。
また、子供たちへの教育についても、将来を意識したプログラムが必要だとおもいますが、日本の教育システムは先進国の中で、競争力が高いものなのでしょうか?
*IMDの発表によれば、日本の競争力の順位は、58ヶ国中 27位とのことです。1位は、シンガポール、2位は、香港 3位は、米国。
僕の回答:
これ、一番重要な問題意識ですよね。海外への展開が商社から他の業種に広まるにつれて起きてきた問題です。
世界で働くうえでなにが重要かと言ったら、まず①「意識」(いつも世界を意識して戦略をたてられること。日本が異質であることを肌で知っていること。日本のやり方を押しつけず、かといって相手に流されもせず、それでいて信頼されること)、そして②言語力でしょう。
言語力は、社員全員がぺらぺらでなければならないわけでもなく、またそんなことができるわけもない。でも、社内の外国人と話もできないようでは話にならない。
但し語学は決定的な要素ではなく、意識の方が重要。言語は通訳、これからの機械通訳で少しカバーできます。但し国際面を担当するのであれば、ごまかしなしの最高レベルの言語能力が必要です。
高度の言語能力を身につけるには、日本にいては「絶対」だめです。外国語を使わないと生きていけないという環境がないからです。
既にいる人員は、2年は留学に出す必要があります。1年では意識、言語能力とも不十分なまま終わるでしょう。
そしてこれから採用する人員の一部には、留学経験ないし語学能力を条件とする枠を設けておけば、自然とそういう人材が増えてくるでしょう。皆終身雇用の「正社員」になりたがっていますから。
教育は大問題。ほとんど絶望。小中学校では社会科を教える教師が実際には社会を知らないまま、大学卒ですぐ教師になる問題を直さないといけないし(社会の実態を知らないから、政府に対して過度に猜疑心が強かったり、あるいは逆に優れた政治家が一人いれば全てを変えられると思い込んでしまったり、または企業たたきをしたりするのです)、大学では学生が本気で勉強するようにならないと(今のはお遊び)本当の意味での競争力はつきません。
評判の高い大学は、授業料をあげてもいいのでは(但し所得の低い人には奨学金制度を充実させて)? そうすれば「自分に投資している」のだという実感がわかって、もう少し勉強するようになるでしょう。
御指摘の大学「競争力」は何を指標にするかで変わってくるし、だいたいこういう調査は欧米に有利な指標を採用していること(たとえば大学の教師が欧米の学術雑誌に論文を発表している回数など)が多いので、あまり気にしてはいません。
それでも一言で言えば、日本の大学に集まる人材は素材としては一流ですが、全然全く努力してませんし、能力もついていません。小生もそうでしたが、たった数ページの英文課題を読まされるだけで、1週間分の作業になってしまうのですから、これはもうどうしようもないのです。
アジアの大学生を集めて弁論コンテストなどやると、日本の学生はよくビリになります。言葉ができないだけでなく、問題意識、論理を組み立てる能力に欠けてます。
これは、これまでは日本の中だけでもうけることができ、生きていくことができ、外国生活は経歴にプラスにならなかったことが響いているのでしょう。
学生コメント:
ありがとうございます。
欧米以上のサバイバルマッチ的な競争社会の到来に危機感をいただいております。
しっかりと問題意識をもって日々過ごしていきたいと考えております。
再度答え;
小生、団塊世代ですから、小学校のころから激越な競争、競争ばかりだったのです。今の状態は日本人が低賃金で働いて米国の産業を空洞化させ、その結果彼らをしゃかりきにさせてしまったのが、日本にはねかえってきているという状況でしょう。身から出たさびでもあるのです。
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コメント
久しぶりにサイトを訪問しました。刺激的なQAではありますが、内容や指摘事項にはまったく同感です。
近頃、第2次大戦の敗戦から復興した原動力の源は「貧困」の要素が一番大きかったのではないかと思います。
豊かさの中で「意識」をどの様にして「鋭く鍛えるか?」が本文を拝見しての疑問として感じています。
その答が「教育」であれば、もうなにおかいわんやという気持ちとなります。
意識を教えるというより、意識が自然に形成されるようにシステムを作るという意味です。
>浅川様
復興の原動力が、貧困というお話は心情的に理解はできるのですが、それのみで動いていたわけでは無いと思います。貧困はもちろんでしょう。しかし、それ以上に家族も親戚づきあいも、近所関係にいたるまで、今とは比較にならない形で世間での相互扶助があったのも確かだと思います。その中で、多かれ少なかれ同じ理想を共有できたり、そのために助け合えたりと、これが日本の政府ではなく、世間が可能にした日本の戦後復興を支えた中核的な力といえるのではないでしょうか。
当時は「激越な競争」をやるだけの「理想」や「意味」が共有されていたといえるのかもしれません。
しかし、その「理想」が、その後の世代が納得できる類のものではなかったのではないのか?そして、その理想そのものが、その理想を支えた家族や世間というものを破壊していってしまうものであったことが、今の日本の不幸と思えてなりません。
それを教育という形で、人と人の間の理解を深めるのが本来のところが、学歴社会に舵をきってしまい、こちらでも一気に「世間」をそしてそれに連なった「世間的な人の価値」を破壊する方向にいってしまった・・・。
卑俗な例ですが、「渡る世間に鬼は無し」の楽観主義から「渡る世間は鬼ばかり」の悲観主義への移行です。いまや、パロディである言葉の方が知られていて、本来の言葉を知る人の方が少ないのではないでしょうか・・・。
この時点で個人は、極端に個人主義的な井の中の蛙にならざるえないのではないでしょうか?国際化以前に、個人が世間というレベルから孤立してしまっていることが、日本人の語学的貧弱さの課題のひとつであるとも思えます。
特に成人後に相手社会に入る場合は、どうしてもある程度知的であることが必須条件になってきます。子供時代をそこですごしてない以上、ベタな共感はしにくいので、どうしてもある程度抽象的なものを媒介にコミュニュケーションしていかざる得なりますし、そこを通して友人を得ることにもなるからです。
日本人の場合、まず世間的なレベルのコミュニュケーションが弱体化してしまっているのと、さらに知的なものが発展させられない社会環境が二重苦になってのしかかってしまっているように感じます。そして、上から与えられるだけの語学教育がことをもっと悪くしてしまっている・・・と上げればキリがありません。
例えば、後進国の移民がさっさと日常会話をクリアーしていくのは、貧しさではなく、その世間的なコミュニュケーション能力が日本人よりはるかに高いというのはあります。
世間という複雑きわまる教育機会がなくなって、人と人との距離感や感知能力、警戒心、共感が育たなくなっている。
人との共感が無いところに、繊細な意見や思考は育たたないのであろうと・・・。
そういった実感ある文化がやせ細りすぎてるのが日本の姿であって、世で言われる「豊かさ」は、単なる生存のための生物的条件にすぎないところに、若者の生き難さのひとつがあるのではないと。何かをいえばどうしてもわがままとして扱われてしまう、感覚としての世代断絶が慢性化してしまっている。その中で、言葉や感覚を伸ばせなければ、当然、語学はついてこない。語学の上達はその人の人間性を如実に語ります。
アメ(理想)とムチ(貧困)では人は育たないどころか、社会や感覚まで破壊していってしまうのかもしれません。
個人的に沢山の留学生を見てきた感想でもあります。
日本からの留学生が、他の国の留学生と比べて年々、文化難民化が顕著に思えて仕方ありません。
むしろ、「豊かさ」を巡る議論をもう一度仕切りなおした方が、いいかと思われます。ある意味で、そんな議論を切羽詰った形でできる国を他に知りません。場合によってはチャンスでもあるのではないでしょうか?
河東さんのおっしゃる意識が自然に形成できるシステム作りは、そんな豊かさと、かつてあった豊かさを再検討する良い機会になるのではないでしょうか?何かを追っかける社会から、作っていく社会への質的な転換が、必須な時期でもあると思います。
いつもながら、やぶ蛇だらけの長い拙文、、、本当にすみません・・・。
たろ様
本格的なコメントありがとうございます。全面的に賛成です。こちらは日本に数年いて、溶け込みすぎて、違和感がなくなってくるのです。鋭いご指摘、本当にありがとうございます。