こんな日本でもできる外交政策
戦後の日本というのは、本当の意味でのダイナミックな外交がやりにくい。ひどい戦争に国民をひきずりこんだことで、日本政府は国民から一種の禁治産者とみなされている感がある。国民としては、米国に安全保障を丸投げし、米国から過大な要求もされず、日本政府には経済成長の果実の配分役でもさせていれば、それでいいのだ。
対米従属はいやだと言っても、それから逃れる道は①自主防衛、②対米貢献の強化、この二つぐらいしかない。自主防衛は中国、ロシアばかりでなく、他ならぬ米国からも日本を守らなければならないだろう、大変な道だ。それに誰が兵隊になる? 余分な公務員にでも前線に行ってもらうつもりなら、それは敗北への道だ。年金も数えられない公務員に、銃が扱えるだろうか?
では対米貢献の強化。これはできる。対米貢献というよりも世界平和への貢献強化で、PKOへのもっと積極的な参加などを意味する。死者が出るかもしれない。だが北欧のあの平和なデンマークでも、アフガニスタンで何人もの兵士がなくなっている。それは、他ならぬ祖国の立場防衛のために死んだのであり、最高度の感謝と名誉、そして保障をもって遇するしかない。
海兵隊が沖縄で悪さをする。地位協定改正を求めるのは言うは易し、実際の交渉は難し。その前に、アメリカ一国だけでできることをやってもらっては?
基地の地元住民の共感を得ることは、どの国の軍隊にとっても鉄則のはず。米国の兵士は、除隊のあと大学入学の優先枠とか種々の優遇措置が得られることを非常に大事に思っているのだから、地元民に犯罪を働いた兵士からはその優遇措置を受ける権利を剥奪してしまえば効くだろう。
まあ、いずれにしても安全保障の問題についての日本国民の拒否反応、そして近年の内向き現象もあって(世界とか外国など無きがごとしだ)、日本政府ができる外交の幅は限られている。でも、若手の外交官と話してみると、こうした中でもやる気は失っていない。新たに試験を受けて外務省に入ってくる若手も、質は落ちていないそうだ。
彼らは経済外交などでいくつかアイデアを磨いていて、現在の政治的な制約のなかでも生きがいを求めようとしている。そうは言っても、外交は外交官の専売特許ではないので、政治家、学者、マスコミ、社会全体との風通し、議論をよくしながら、「日本でもできる外交」を追求していくしかない。
それでもつまらない人は外国に行って、安全保障とか国際的な枠組みの変革の話をしていればいいだろう。
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