2010年4月28日
「分かち合い」もいいけれど
この頃経済が行き詰まりだと言われているので――その実、製造業の生産・投資は上がってきているようなので、あと2か月もするとマスコミの論調も様変わりになっているかもしれないが――「もっと分かち合おう」という趣旨の本が巷にあふれだしている。
いいけど・・・なにか僕の懐にその本の著者の手が突っ込まれた感じがして、あるいは周りを閉め切られたうえで一文なしの裸にされるような感じがして、本能的に後ずさりするんですけど。どこか「今の世界はあんまり大変だから、国をもう閉め切って、残ったものをみんなで仲良くわけて食べましょう」と言われたような感じがするのだ。ファッショの臭い。
僕だって、子供たちの世代に何かもっと譲りたい。たとえば共済年金(まだその半額)をもらっている僕は、国民年金の貰い分を減らしてもいい(まだ支給は始まっていないが)。国民年金の現在のシステムは、数の少ない若者たちが団塊の親たちの年金を負担しなければならないという、非常に不合理なものになっていて、それは彼らの気分を重苦しいものにしているからだ。
つまり、もちろん「分かち合う」のはいい。いつまでもバブル時代の特権を貪っているわけにはいかないのだ。だが分かち合うのも「ダイナミックに」、つまり経済活動や消費が刺激され、みんなが益を得るようにやりたい。経済を伸ばす連中を助けて、経済を大きくし、それによってもっと大きな数の人間が救われるようにしたい。
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