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街角での雑想

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2009年12月27日

2010年に向けて――生きる意味、世界の意味を回復しよう

この頃は、中国の台頭とか米国の没落とかが喧伝されているが、いずれも大げさだと思う。中国の発展も輸出に多くを負っているのだから、先進国からの富が移転されてくるテンポ以上の成長を長く続けることはできない(しようとすればインフレになる)。そして米国も、大戦争でもないかぎり超大国の地位から転げ落ちることはない。

だから世界の基調は相変わらず、英国が始めた産業革命、つまり生産力の飛躍的拡大というプロセスが生産費の安いところを探して地球をぐるぐる回りながら次第に、全世界を豊かにしていくというところにあるのだ。その過程で、伸びる国と「旧」先進国との間で力くらべ、昔の支配・被支配関係の意趣晴らしが起きているが、いつまでも「国」をベースに相争うのは、誰の利益にもならない。「国民国家」という、ある意味では戦争マシーンを作り上げ、税と兵を集めて植民地=独占的海外市場の獲得に血眼をあげた19世紀の帝国主義時代と異なって、自由貿易が一応保証されている戦後の世界では、国の役割は戦争よりも国民福祉の面に大きく傾いているからである。

近代社会の3つの原則
この数年、民主主義を力づくで広めようとする試みが続いたために、後発諸国は欧米の干渉を嫌ってそれぞれの「伝統的価値観」の殻に閉じこもってしまった。彼らに対して人間の権利、人間の自由が大事なのだと言っても、冷笑を浴びせてくるだけになった。そして世界が不況に沈んでいる今、市場経済の効用を説いてもまた迫力がない。

だが自由、民主主義、市場経済、この3つの原則は、17世紀以降の英国で経済・生活水準が上がって、人々が地縁・血縁への過度の依存・服従から解放されたときに、個々の人間の権利と福祉を最大限に保証するものとして確立してきたものなのだ。
ロックは「自分の自由、そして他者の自由の擁護」、ベンサムは「最大多数の最大幸福」、アダム・スミスは「相対取引ではない無人称の市場でも、『神の手』によって需要・供給がバランスする」近代市場経済の原則をそれぞれ説き、それが近代市民・経済社会のベースを成している。そこには確かに偽善もあるが、独立した個人の権利は保証されている。富を生み出す工場、銀行などの財産は確かに寡占資本の手中にあるが、彼ら同士は競争しなければならず、また政府は寡占資本の持つ富を税金で吸い取って、投票権を持つ国民に再配分する。

中国台頭の意味
中国の台頭は、今年もまた世界の話題をさらい続けるだろう。中国、インドは19世紀前半までは世界経済の主要プレイヤーであり、植民地主義時代が終わった今、当時の姿が戻ってきて一向におかしくない。それに中国、インドの国民が長年の苦労をやっと脱しつつあることは、心から祝うべきことでもある。両国の国内市場が大きくなれば、世界全体が利益を受けるだろう。

だが世界が中国を見る目は少し期待が強すぎて、過度の役割を中国に押し付けているのではないか? サブプライム債券があれだけのバブルを生みだしたメカニズムの中では、格付け会社がこれにお墨付き(格付け)を与えることが不可欠な環になっていた。中国経済についても、世界中の金融・調査機関が中国経済を過度に囃したてることによって株式や証券の値を吊り上げ、これに世界中からの投資を誘ってまた値を吊り上げては儲ける、こういうことをやってきたのでないか? 最近の調査では、米国国民の40%近くが「中国経済は既に世界一だ」と思っているらしいが、彼らもプロパガンダを信じ込んでしまったのだ。

そして世界のマスコミや識者層も、中国についての大げさなイメージを検証もせず、それらを元にいろいろ書き、提言をするから、変なことが起きてくる。米国と中国の2国「G2」だけで世界のことを決められるとか、アジアは中国に任せようとか(ヨーロッパのことをロシアやドイツに任せようとしたら、他の国からどんな反発が起こるか考えてみてほしい)、欧州の一部に既に見られるように中国に媚びてでも経済的利益が得られればそれでよしとする態度とかの現象だ。

昨年11月温家宝首相がオバマ大統領に述べたように、「中国は、まだ発展途上で自分の国内に多数の問題を抱えているのだから、米国とともに世界でリーダーシップを取ることには限界がある」のだが、中国内部にも「中国as number one」の合唱に乗せられて、大国主義的態度を取っては外国人を不要に傷つける者が増えている。

世界の意味を復活させよう
価値観を他国に押し付けることは良くない。米国オバマ政権も、そのようなことはもうしないと言っている。
だが、経済発展の究極的目標は指導層とか寡占資本家の利益確保ではなく、個々人の権利と福祉の実現であることは、世界全体で再確認しておくべきだろう。そしてグローバルな経済発展がもたらす資源・水不足問題、環境汚染問題は、共同して解決していく。

各民族の文化は平等で相対的だ。だが個人の権利・福祉は、相対的な問題ではない。2010年は、シニシズムと自信喪失を乗り越えて、経済発展の意味、近代の原点となっている価値観を再確認する年になってほしい。

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