グルジア戦争と当面の対露ビジネス
(これは、TMU Consultingという、日ロ経済関係に特化したコンサル会社に頼まれて、そのサイトhttp://www.tmu.co.jp/用に書いたのを、若干手直ししたもの。)
グルジア紛争が起きたのは何故だとか、誰が悪いのかなどの問題は話すと長くなるので、ここではやらない。ただ基本的なことは、国が崩壊して弱っているロシアを、西側が圧迫し過ぎてきたということだ。バルト三国へのNATO拡大、コソヴォの独立、東欧へのMD配備、グルジア、ウクライナのNATO加盟推進などはロシアにとって、面子をつぶされるだけでなく安全保障に関わるものと見えていたことだろう。ここで、グルジアの領内で独立を唱えている少数民族がいるのを利用して、西側に警告ショットを放ってやろう、メドベジェフ大統領にも骨があることをロシア国民、そして世界に示してやろう――そう、ロシアの指導部は考えたに違いない。
だが、ロシアはグルジアを支援してきたアメリカの面子をつぶしすぎた。南オセチア、アプハジアからはみ出したところに兵力を進出させた。メドベジェフ大統領は「ロシア人の生命を守ったのだ」と言っているが、国外の自国民(ロシア旅券を持っているオセット人のこと)を軍隊を派遣して守るというのは、同じくメドベジェフ大統領の言う「国際法の原則を守ること」に反するだろう。
それに、ロシアがこれら地域の「独立」を承認したことは、今後の西側との話し合いを益々難しくする。独立承認を撤回することはロシアの面子の問題となる。そして独立したアプハジア、南オセチアは経済・軍事両面で大きな負担となってのしかかる。たとえこれら両地域の希望によるものだとしても、これをロシアに併合したりすれば、国際法的には武力による他国領土の併合となり、西側は強い制裁措置を取ることになる。
ただ本来は、ここまでロシアと西側が対立する必然性はないのだ。西側がロシアを軽視しすぎてきたこと、そして今回はNATOの拡大というロシアにとっての切実な安全保障上の問題がある。ロシア社会は異質だが、イスラム原理主義よりは西側文明に近い。特に若い世代は、西側の若者達と変わらない。
今、ロシアが西側との決定的な対立に踏み切れば、1985年からソ連の崩壊に至るプロセスが再現される可能性すらある。このときは原油価格が暴落した上、軍事費負担の重みに耐えかね、構造改革に失敗して、国の瓦解を招いたのだ。ロシアは原油価格ブームですっかり復活した気分になっているが、旧ソ連地域は原油価格が低落すれば、現在成長を開始したアフリカ大陸にGDPの規模で簡単に抜かれてしまう状況にある。
「冷戦復活」と言われるようになった。冷戦はソ連陣営と西側陣営の間で戦われたものだ。だが今回は、ロシアにいくつの国がついていくことか? 8月末に上海協力機構首脳会議があったが、この席でロシアはグルジア戦争への明確な支持を得ることができなかった。ロシアがいつも「米国の一極支配」に対抗するためにもちだす「中国との提携」も、胡錦涛主席が「グルジアについては当事者諸国が平和的に解決するように」と述べたことで、その限界が露になった。
おそらく事態は、米国の新大統領が明らかになる頃までは膠着状態を続けるのではないか。その後、この件は解決しておかないと、ロシア自身にとっても大変なことになるだろう。
僕も含めて全ての人が、「冷戦の復活などありえない」とこれまで言ってきたが、それはロシア、西側双方が合理的選択をすることを前提としていたので、今回のようにいずれかが感情に傾いたり、やり過ぎたりすると、それはどうなるかわからない。マケイン大統領候補の外交問題アドバイザー、シェーネマンが長年サーカシヴィリ・グルジア政府のロビーストとしてワシントンで動いていたことは、大きな要素となるだろう。
長くなった。グルジア紛争がビジネスにどう響くかという話にやっと移ろう。まず心得ておく必要があるのは、東西冷戦華やかなりし頃も、日本や西側はソ連とビジネスをやっていたということだ。日本は輸出入銀行(現在のJBIC)の大型融資もつけて、シベリアの森林資源開発や港整備、あるいはサハリン石油ガス開発など、大規模のプロジェクトも手がけていた。当時、ソ連側の商売相手は「~~公団」と称する独占国営商社だけだったから商談の規模は大きく、モスクワに置かれた日本の大手商社は事務所の単位面積あたり世界最高の実績を上げていたという。
ということは、グルジア紛争のためにロシアをめぐる国際関係が悪化しても、経済関係が全くなくなるということはない、ということだ。ただ、石油マネーを手にしたロシアが軍事力復興の構えを見せていることから、アメリカはロシアへの技術輸出―-民用技術を含めてだ――に神経質になってくるだろう。ソ連崩壊後15年以上経ち、その間ロシアの軍事予算はソ連時代の10分の1程度で推移してきたため、軍事技術の低下が目立っている。ガードの甘い日本などは、さしずめロシアが真っ先に目をつけてくるだろう。
今回、グルジア紛争などのために、ロシア株式相場が下落して海外からの短期資金が大量に引き上げられたし、ルーブルのレートも数年ぶりに下落した。ただ、ロシアの株式市場に向けられた海外資金は製造業の投資資金として利用されているわけではない。ロシア人自身が海外に逃避させた資金も還流させての、マネー・ゲームの性格が強いものだ。だから短期資金が引き上げると、ロシアの経済が直ちに悪化するというものではあるまい。
1998年のロシアのバブル破裂は米国のヘッジ・ファンドLTCMの破綻を引き起こしたが、今回世界の金融機関は当時ほどの比重を対ロ投資にかけてはいないだろう。ルーブルのレートも、石油の輸出収入がハイ・レベルで推移していく限り、それほど下落はせず、長期上昇傾向を止めないことだろう。つまり、グルジア紛争はロシアの対外経済関係に、まだ大きな影響を及ぼしていないということだ。
ただ、米ロ関係が更に悪化した場合、米国は西側の対ロ経済関係を絞ってこようとするだろう。その時米国が掲げる原則というのは多分、①ロシアの軍事力を高めるもの、②ロシアを大きく利するもの、③ロシアに対するこちら側の依存度を高めるものは駄目だ、ということになるだろう。
③について言うと、米ロの間というのは悲しいほど経済的な相互依存関係がないのだ。ロシアが石油を輸出すれば良さそうなものだが、国内の製油所を長年新設していない米国には、ロシア原油を輸入する需要がない。だから米国は、他の国の対ロ経済関係に対して平気で、依存関係を断て、と言える立場にある。
日本の対ロ直接投資はロシアにとって、非常に重要である。ロシアは市場経済化に踏み切ったと言っても、その重厚長大、国家独占中心の経済構造は変わっていない。石油輸出収入がルーブルのレートや賃金を高みに押し上げたので、いまや国内での自前の製造業振興は不可能に近い。欧米の対ロ投資の大部分はエネルギー、流通部門に向かっている。自動車などの製造業の分野で直接投資をしてくれる日本は、ロシアにとって重要な存在なのだ。だから日本からの直接投資がロシアを益しているとは言えても、右の③に該当するような、日本の対ロ依存が高まるような直接投資案件は、製造業の分野では見当たらない。
もっとも、米ロ関係が極度に悪化して相互の在外資産凍結というような事態になれば、日本企業の作った工場もそのあおりを食うかもしれないが、そこまで対立が進む可能性は今のところない。資産凍結というのは、戦争一歩手前の措置である。
グルジア戦争の以前からあった問題だが、ロシアの経済が中央集権、政府主導の色彩を益々強めていることは、日本企業の在ロシア工場がこれから操業していく上で、一つの障害となってくるかもしれない。鉄板とか重油を自由市場で購入することが難しくなり、政府の担当大臣に頼まないと資材が入手できない事態が品目によっては生じてくる可能性がある。 ©河東哲夫
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