日本社会活性化へ
(これは、4月3日付日本版Newsweek誌に掲載された記事の原稿です)
このところ、東京の街の交通量、スーパーの客の数を見ると、景気は過熱気味。アベノミクスも遂に効いてきたかと思っていたが、円高で雲行きが怪しくなってきた。アベノミクスは結局のところ、円安と輸出増で演出した幻だったのか? 日本経済に長期持続的に効く薬は日本経済・社会の活性化なのだが、この点が手薄だったのだ。
日本経済・社会は欧米の一部諸国に比べて活力、特に社会・企業をひっぱっていく者達――便宜上「エリート」という言葉を使う――の活力、想像力を欠く。だから、対話ロボット「ペッパー」の対話ソフトはフランス製、世界一の棋士「Alpha Go(AI)」は米国製、AIを使ったものづくりIoTの本場はドイツということになってしまった。日本は、他人が開発したものを磨き上げ、商品化することで戦後の繁栄を築いたが、そうしたやり方は今や韓国、台湾、中国に奪われてしまっている。日本全体の「ビジネス・モデル」を変えないと駄目なのに、毎年春、まるで幼稚園のように「入社」(入園?)してくる新入社員は、超一流企業を除いてやる気を欠いている。彼らにとって会社は、自分達が作っていくものではなく、自分達の生活を支えてくれるもので、先輩たちがそのために働いてくれているものなのだ。(筆者も若い頃、似たようなものだったが)
この日本人の受動性、ひところの流行りの言葉で言えば「草食性」の大きな原因は、「一流企業に終身雇用」という通念が相変わらず幅を利かしていることにある。一流企業に就職すれば給料はいいし、社宅はもらえるし、いい結婚相手が見つかる。年金もいいし、いいことづくめ。そして企業の方は戦後業容を拡張する一方で、多数の新規採用をしなければならなかったので、有名大学の新卒を一気に大量に採用するのが手っ取り早い。こうやって、人生での最も熾烈な競争が、受験に集中する。そして大学に入ってしまえば、4年間遊んで暮らす。こうした「人材」が企業に入ってくるから、そこで昇進したエリートは、他の国のエリートに見劣りする。
日本の社員は、社内で派閥を形成しがち。派閥争いは、時にビジネスそのものより重視される。そのような人間は、大企業からはじき出されて外資系企業に就職しても、仕事より外国人幹部にへつらい、日本人同士で足の引っ張り合いをやることになる。つまり「大企業に終身雇用」モデルでは、個人としての能力・スキルは二の次になり、企業や社会の活力を奪うのだ。
この、「有名大学を出れば中身はカラでも何とか」という、日本のなんちゃって社会を変えるにはどうしたらいいか? 大企業をなくせばいいだろうか? 家電大企業は随分身売りした。インターネット送金などが普及したせいで、大銀行だけでも来年は採用人数を3割減らすと言う 。製造企業も、新規開発以外の仕事は外部に委託し、自分は「頭脳」と多額の資金だけのものに変わっていく。これに代わって、部品や機械等の生産財を作る部門は大企業化する。サービス分野でも、新しい企業が伸びてくるだろう。
だから変化の激しい時代には、大企業をなくすとかいうことより、個々人の判断能力、稼ぐ能力を高め、伸びる分野への転職を促進することで、社会の活力、経済の成長力を高めることが重要だ。例えば経団連あたりが旗を振って、大企業での採用には大学での一定以上の平均点数、部活動での幹部経験、起業経験、1年以上の海外留学等を条件とする。そして、企業に入った後も、無能、やる気のない者は解雇、あるいは配転できる体制を整える。
学生も変わってきている。例えば、東京大学の法学部は近年、定員割れを起こしている 。最近の大企業の苦境、官僚たたきを見た東大生は、自らスタート・アップ企業を作り、本郷周辺は最近「本郷バレー」と言われている 。
今、テレワークとかオフィス革命とかいろいろ試みられているが、どうも日本経済という大船に乗ったつもりの恵まれた人達によるお遊びの域を出ていない。安倍政権が続くのであれ、交代するのであれ、まず個人個人の資質を磨く革命の旗を振ってほしい。
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