プーチン大統領訪日後の日ロ関係及び市場としてのロシアの意味
(本稿は、2016年12月19日に開催された日本貿易会定例午餐会での講演要旨。
全文は日本貿易会月報2017年2月号に掲載される)
1.プーチン大統領来日と今後の日ロ関係
プーチン大統領来日の総括だが、領土問題については「特別な制度の下での共同経済開発」の交渉を始める、つまり何も決まっていないということで合意したというのが第1の点。2点目が旧島民の4島訪問条件の緩和であり、3点目は「2,000億円の経済プロジェクト」だが、「将来合意することについて合意した」という覚書が多いので、実質的にどこまで進むかわからないものが多い。
日ロ関係が進むか、進まないかは日ロ関係だけのコンテクストで見るべきではない。2018年3月のロシア大統領選挙との絡みや、トランプ大統領の下で米ロ、米中、米欧関係がどうなるかによってロシアの国際的な立場も決まってくるので、それらを背景にしてロシアは日本との関係を進めるであろうし、日本も同様に米ロ、米中、米欧関係の中での日米関係を背景にしてロシアとの関係を進めていくことになる。
共同記者会見でのプーチン大統領の表情、発言から読み取れたことの1つは、戦後の北方領土問題の歴史を説明するくだりでは米国に対する強い反感が窺え、やはりロシアは対米戦略の中で日本を見ているということをあらためて納得できた。また、経済協力よりも平和条約が最も重要であると非常に力を込めて誠実な感じで述べていたのが印象的であった。その平和条約が、北方4島の返還を伴うものなのか、或いは返還しないままでの平和条約なのか、むしろ後者を意味していると思われることが問題なのだが、いずれにせよ安全保障戦略上、日本を重要な要素と位置付け、その観点から領土・経済問題も考えているということであり、ここに領土問題解決の糸口もあると考える。
島が返ってくるという期待感が高まっていたたため、今回の結果には失望感が生まれている。そんななかで、経済援助するのはけしからんと言う声もあるが、今回の2,000億円プロジェクトは民間の商業ベースの話であり、日本国民の税金は1銭も入っていない。経済援助と言う言葉自体、ロシアが未だにカネのない国であるという偏見の名残であり、ロシアの現状に対する完全な無知を露呈するものだ。また「領土問題があるからロシアとのビジネスはまだ危ない」というのも無知、無関心の言い訳でしかない。ロシア経済は消費面では近代化しており、トランプ時代には米ロ関係が進むと期待されることもあり、領土問題とは離れて、収益性のあるビジネスがあれば進めないと世界に後れを取ることになる。
北方領土の共同開発については、今後政府から企業へ、4島進出への働きかけが予想されるが、その場合、政府が本気で交渉を進める気があることを確かめて慎重に進めるべきである。北方4島で収益性のあるビジネスは殆どできない。多少でも利益が期待できるのは政府資金が入ったインフラ建設や、漁業だが、缶詰工場などは収益性はほとんどない。また現地には民間やロシア政府の強力な利権があり、特に反社会勢力が関わっているものは危険である。フィージビリティスタディのためにロシア側のビザを取るのを日本政府が良しとしない現状があるので、今後日ロ交渉が進み、日本人がビザ無しで入れる体制がまず必要だ。また、土地勘があれば別だが、中小企業が自己資金で乗り出すのも非常に危険だと思う。
共同開発のための特別な体制とは、ロシア、日本、何れの法律でもないものを作るという趣旨だが、ロシア外務省をはじめ他省庁はもっと固いことを考えていて、極東にある経済特区のようなものを北方4島にも作り、それが「特別な体制」だとする可能性が強い。そうなると日本の法律は適用されないので、交渉が進まなくなる可能性がある。
しかし、全般的にはロシアとの経済関係は日本のビジネスにとって前向きの環境になろう。それは日ロの政治関係は前向きに進むであろうし、米ロ関係もトランプ大統領の下で改善の方向に進む。また石油価格が持ち直していること、さらにロシア政府が打ち出している経済改革政策の中には日本企業が比較優位を持っている部門がいくつもあるので、日本企業にとって商機がでてくるからである。
2.市場としてのロシア
市場としてのロシアはなかなかのものがある。人口1.4億人、GDPは石油価格の変動により1兆から2兆ドルの間を行き来する。モスクワには大きなコマーシャルセンターが無数にあって大衆消費社会になっている。ロシアでは耐久消費財の殆どと、生産財の多くを輸入に依存しているため、外国にとっては重要な輸出相手であり、乗用車が年間200万台売れる重要な市場でもある。また、ロシア人は根が実直で、反日もなく、むしろ日本製品や日本食はブランドになっているので、中国よりビジネスがやり易いとも言える。
ロシア経済は制裁のせいで崩壊寸前と言われるが、実はそうではない。制裁よりも石油価格下落の影響で、マイナス成長になっていて、実質賃金の低下で消費が大幅に減り自動車も売れない状況にはあるが、崩壊はしていない。ロシア株は2016年の年初来の値上がり率では世界一であり、ロシア債券への需要も高い。制裁をかいくぐって西側市場で9月に発行されたVTB(対外経済銀行)の12.5億ドルのユーロボンドは1日で売り切れ、そのうち53%は米国の投資家が購入したとされている。また、今回の西側制裁で一番効いたのは金融制裁だと言われるが、これで金融制裁によってロシア企業は西側で債券を発行して借金の借換えをすることができなくなったロシアの企業は手持ち資金で借金を完済し、逆に財務体質は強くなった。
但し崩壊はしないとしても、ロシア経済にはタイタニックに似た点がある。第一に言えることは、改革が進まない体質であること。ロシアではリーマン後、銀行や大企業に政府資金が注入されGDPの70%が国営企業関連になったと報道されているが、西側とは異なり、公的資金を注入されると却って安心してしまい、返済をしたという話を聞いたことがない。また、マネジャー人材が決定的に不足しており、政府が経済活力とか第4次産業革命と言って笛を吹いても、結局改革はできないと思われる。これまでも同じことが何度も繰り返されているが、石油価格が上がった途端に、誰も改革を言わなくなる。
2番目は、サプライチェーンの不備だ。一つの企業の中ですべてを内製化してきたためでもあるが、サプライチェーンを作ろうにも国土が非常に広く、物流網が足りない。シベリア鉄道は保線費用などの維持費が高く、運賃も高いことが物流網の整備を妨げている。そういう状況のなかでは新幹線を売り込むよりは、保線費用の節約に繋がるドクターイエロー的なものの方がロシア側に評価されると思う。
石油価格の下落により予算が厳しくなっており、今の油価が続けば、ロシア政府が油価の高い頃に貯めてきた「予備預金」と「国民福祉基金」も2019年には底を突くと言われている。だがこれも最近の油価上昇や、ロスネフチ株の売却で財政赤字が3分の1に縮小すると推測されており、予備預金はもっと持つとみられる。このため、ロシア経済はタイタニックではあるが、不沈タイタニックだと思って良い。傾いて進めなくなっているが、甲板上では相変わらず楽隊がにぎやかに音楽を奏でて、みな楽しげに踊っているという感じだ。
ロシアの地域特性だが、ビジネスの対象としては人口と経済力が集中している欧露部がベスト。西シベリアには石油とガスが集中しているが、東シベリアで開発された資源は少ない。だがシベリア鉄道沿線の幾つかの大都市にはたくさんの大学があり、そこには質が高く、正直で質素、しかも教育水準が高い若者が大勢いる。極東のサハは天然資源の宝庫。極東には600万人強の人口がいるが、工業基盤は殆どない。かたや中国の東北地方は人口1億2千万人超、経済力でもはるかに上回っている。
3.これからの前向きの要素
日ロ経済関係への政府関与
日本政府が掲げる8項目の優先分野は、ロシア政府自身が掲げている優先分野と重なっている。これは偶然ではなく、日本政府が調査した上で重ねたものである。日本政府は中小企業の進出に期待しているが、ロシアでは決定権を持つ人を長期で現地に貼り付けておかないと、問題が起きた時にロシア側は取り合ってくれない。体力、人員に余力のある大企業でないと難しい。
2017年7月にはエカテリンブルグで万博「イノプロム2017」があり、日本はパートナーカントリーとして参加を決定した。この都市には、金属加工や工作機械を使う大工場が近隣を含めて集中しており、日本の機械機器展示の好機である。自分が教えているモスクワ大学のビジネススクールの学生にビジネスモデルを考えさせると、消費財は中国や韓国から輸入、機械設備はドイツから輸入するという認識しかなく、日本から消費財とか機械設備を輸入する可能性があるという情報が欠落している。
米ロ関係の修復
トランプ新政権ではイデオロギー的対立や感情的対立は下火になり、大人の関係、商人の関係を築いて行こうとするのではないか。波乱要因として考えられるのは、ロシアがサイバーアタックにより米国の大統領選をトランプ氏有利に導いたとして、民主党や大マスコミがこぞってトランプ氏の対ロ政策を批判したり、高官人事の議会承認で邪魔をすると予想されることである。
そもそも米ロはなぜ対立するのか。ロシアが米国に反発し始めたのは、バルト諸国へのNATO拡大や東欧諸国へのミサイル配備の構えなど、米国主導による「ロシア押し込め」や、旧ソ連諸国で反政府活動に資金を出してその国の政府を倒そうとする「色付き革命」がきっかけである。ソ連は昔共産主義革命ということをやって、それが色付き革命の元祖なのだが、そのことは忘れて、米国はロシアの権力を倒しに来てけしからんとなったわけだ。ロシアが米国に面と向かって、歯向かったのが2008年のグルジア戦争であり、2014年のクリミア併合だが、米国のネオコンと呼ばれる人や人権主義者達がプーチン大統領は独裁者だと大げさに騒いだため、米ロ関係はどんどん対立を深めていった。
しかし、現在シリアなどで米ロ対立が度を越して来ていることに、ロシア国民もさすがに心配し始めている。国民の大多数はロシアを欧州文明の中に位置づけて、米欧との関係改善を願っており、ロシアの学生にとって欧米企業は自然な就職先だ。米国内でもロシアと過度に対立すべきではないという反省の声が起きており、そこには経済的な利益も存在する。ロシアのエネルギー資源開発は米国企業が強く参入を望む分野であり、金融、製造業では既進出企業も多く、宇宙・航空分野での協力も進んでいる。さらにサービス業ではGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)をはじめ、配車サービスのUBER、民宿のAirbnbなど多くの企業がロシアに進出している。
OPECの産油量削減合意による油価の上昇
油価の上昇も前向きの要素のひとつで、1バレル55ドルになると2017年度ロシアの国家予算は1.1兆円の増収になる。
ロシア政府の「改革」マインド - 日本の「8項目」と重なるロシアの重点分野
ロシア政府の重点項目の1番目が、資源以外のものの輸出振興であり、毎年7%以上の伸長をめざしている。自動車、航空機、鉄道エンジニアリング、電子・医療機器、農業機械設備などをユーラシア連合諸国とベトナム(ロシアはベトナムとFTAを結んでおり、ベトナムはASEAN諸国とFTAを結んでいることから、ロシアにとってベトナムは対ASEAN輸出のハブになっている)向けに輸出しようとしている。農産品の輸出も増えており、世界一の小麦輸出国になっている。日本の8項目にも同じようなものがあるが、可能性が大きいのはロシアの産業多様化・生産性向上と先端技術協力。極東での産業振興、中小企業協力は難しい。
ロシア政府重点の2番目が、生活環境と輸送インフラだが、ロシアではごみ処理が大きな問題であり、ごみ発電であれば日本企業にも売り込みのチャンスがある。下水処理もしかり。運輸インフラの改善では、特に地方大都市周辺の道路網を整備すれば鉄道に対する過度の依存度が改善されると考えている。鉄道よりも道路という考えの一環で、シベリア鉄道近代化は棚上げの方向で動いている様子。
興味深い点は、世界で「イノベーションの波」が起きていることをロシアも意識し始めていることである。ロシアはこれまで耐久消費財など通常の工業化では失敗しているが、AI化やロボット化に参入することは可能だ。特にロボットの頭脳であるソフト作りに関してロシア人は長けていると考える。他の得意分野としては原子力や宇宙・航空。素材もロシアが伝統的に強い分野だ。
4.制裁はどうなるのか?
日本の銀行は米国市場で制裁されることを恐れて対ロ融資に慎重であるが、欧米は制裁をうまくかいくぐってかなり大規模な融資をしている。トランプ氏は恐らく制裁の即時停止を望むと思われるものの、マスコミ、議会の非難で制裁解除が延びる可能性があるが、最終的には「うまくやる者」達によって、なし崩しになると思われる。
5.ロシアでのビジネス
ロシアとのビジネスはかなりのリスクがあるが、それを心得れば、ロシア人との間で信頼関係を築くことは十分可能である。ただし、いつも付き合っていないと信頼関係を維持することはできず、裏切られることとなる。また、終身雇用ではないということが日本企業との決定的な違いである。さらにロシアでは、東京本社や欧州本社に相談しているようでは、相手にしてもらえないので、現地の代表にできるだけ決定権を持たせなければならない。
カントリーリスクとしては、2018年3月に大統領選挙があるが、今のところプーチン大統領に代わる者はいない。
6.まとめ
復習すると、領土問題があるからロシアとのビジネスはできないということにはならないということと、またロシア経済は近代化していてそれなりのチャンスがあるので、収益性のあるビジネスを見極めて進めないと、他社に出遅れることになるということを強調したい。
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