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街角での雑想

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2015年9月 4日

公立学校の先生たちは教育より保育に時間を取られてる

日本の企業では本社にも、アメリカ人や「ヨーロッパ」人やインド人や中国人がどんどん採用されてきていて、昨日紀伊国屋に行ってみたら「インド訛りの英語のヒアリング」についての練習帳を売っていたので笑ってしまった。

しかし実際にそこで働いている日本人社員にとっては深刻な問題で、必ず摩擦になっているのが、「奴らは口がうまくて、いいことは何でも自分の手柄、悪いことは何でも他人の責任にしてしまう。どうにも鼻について好きになれない」ということ。そしてこういうことを言いながら、日本人社員は社内の会議や業績では負けてしまうのである。

まあ結局、日本人が共同体志向で、自分より周囲が何を考え、何を欲しているかを読んで、自分の意見を形成するタイプだから、まず自分ありきで自分から出発する欧米、インド、中国の連中には鼻を明かされてしまうのだろうな。英語や中国語ができる、できないの問題を越えている。

それにこの頃の青年は、共同体志向でさえなく、自分の中、あるいは数人のサークルに引きこもって、外部とか会社とか社会とかパブリックなものには潜在的敵意を持っている「草食型」が多くて、これでは国際競争の中で本当に草食動物として食われてしまう、いったいどうしてこうなったのか、と思い、結局日教組か何かの指導で「競争」という要素を公立学校での教育からすっかり除去してしまったのがいけないんだと思い立った。聞けば、運動会の徒競争でも一等、二等を決めてはいけないのだそうじゃないか。

で、いろいろ話を聞いて確かめてみたのだが、公立は平等主義でどうしても成績が下の方の生徒を引き上げようとするのに重点を置くのは事実、だがそれは公立の建前から言ってそうあるべきものではないかという結論に至った。僕自身、公立小学校出なのだけれど、世の中が競争であることを知ったのは都心の塾に通う(週末だけ)ようになった5年生の時。それまでは学校ではヤギなどの世話をして、家では好きな本ばかり読んで、のんきに過ごしていたものだ。

それでも、現在の学校教育にはやはり足りないところがある。まず数学の何とか曲線とか何とか函数とか、偉そうに押し付けないで、それを一体何にどういう風に使うから役に立つのか、何がどうだから面白いのか、歴史だってコロンブスが1492年にアメリカを発見したとか言われることが、当時の欧州をめぐる状況の中でどういう意味を持っていたのか、コロンブスは偉人なのか、それとも飯にくいはぐれた山師だったのか、そういうところをしゃべってもらわないと全然面白くない。

もう一つは、学校の先生たちが教職以外の経験がない場合、日本の政治や経済や社会についての教え方が抽象的なものになり、不必要に「お上」に順応的だったり、あるいは根拠なしに反政府な人間をこしらえてしまうという問題。つまり、社会から隔絶されていることが問題なのだ(まあ、それは家庭でやるべきことかもしれないが、そうでない家庭があるから、学校が「保育」の場になってしまうのだ)。

この数年、いろいろな公立校で新しい試みが行われている。以前、品川区では地元の銀行や何やらから講義に来てもらい、「一日銀行」などを生徒にやらせて、社会を肌でわからせ、面白がらせることを始めて話題になっていたが、こういうことは今ではかなり広がっているようだ。

そして校長を外部からの公募でよんでいる所もちらほらある。しかし話しを聞いてみると、学習指導要領はアンタッチャブルなので、できることは結局学内のこまごました手続きの合理化などに止まってしまうようだ。ただ、PTAボランティアの動員には公募校長の方が向いているし、「モンスター・ペアレント」の撃退(と言うか無視)にも公募校長が向いている。

と言うことで、日本人を国際競争型に変えるのは、結局私立学校の仕事ということになる。みんなの税金で運営されている公立校の方は、平等型でやるしか仕方ない。

ただその中でもやるべきことは、学習指導要領をもっと変えて、「何々はこうなのだ」を教え込むのではなく、「何々の課題を解くために、先人たちはこういう函数を考え出した」とか、「コロンブスは本当に偉人だったのか」いろいろの側面から検討するケース・スタディーとか、自分でものを考える癖、考え方の作法を身につけさせる

そしてもう一つ重要なことは、先生たちを教育ではない、「保育」からできるだけ開放し、自分の勉強ができる時間を作ってやることだ。今の学校教師は本当に激職で、家庭訪問、生活指導、早朝・週末も部活動、全国スポーツ大会への「引率」、その他団体行動での「引率」等、いろいろ会議や研修も含めると、たまったものではないだろう。要するに、教育というより「保育」が前面に出た世界なのだ。

部活動というのは、欧米の公立校では無い。サッカーなどは、学校とは全く別の組織でやっている。つまりパブリックとプライベートをちゃんと区別している。先生たちを「保育」からできるだけ解放し、学習指導要領も変えて行けば、公立校でもこれからの国際競争の中で奴隷にされない人材を育てていくことができるだろう。
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