TPPは幕末の開国? 日本はとっくに開国している
TPP(環太平洋パートナーシップ協定――モノ、サービス、カネ、知的所有権などの交易を大幅に自由化する構想)については、アメリカの陰謀だ、日本を自分の都合がいいようにすっかり作りかえてしまおうとするものだ、第二の開国だ、といった声があるが、これは少し大げさではないかということを言いたい。
幕末にペリーがやってきて、大砲を江戸に向けつつ開国(と言っても、アメリカが日本の港のいくつかで石炭や水を積み、ついでに貿易もする権利を求めただけだ)を迫った時、幕府はわりとすんなりその要求に応じようとした。これをひっくり返したのは、京都の朝廷である。当時の孝明天皇が外人嫌いだったのがその理由だと言う人もいるが、背景はもう少し複雑だっただろうと思う。「鎖国」は江戸幕府が始めたもので朝廷が始めたものではないので、天皇が開国に反対する理由がよくわからない。まるで当時の朝廷に知恵者がいて、ここで「開国」に抵抗することで、幕府に押しこめられてきた朝廷の地位を回復できると思ったのではないか。
朝廷が声をあげた結果、「尊王攘夷」という旗印を使っての権力闘争が口を開け、安政の大獄、戊申戦役とすったもんだの末、その尊王攘夷でのし上がった薩長が、天皇を君主にいただき、攘夷とは正反対の開国、「文明開化」の明治維新をしたてあげるという、奇妙なことになったのだ。
このように、幕末の「開国」騒ぎも、「開国」自体はあまり大したことはないのに、これに乗じての権力闘争、利権争いに火がついて、何千人もの人間が非業の死を遂げたものなのだ。TPPは第二か第三の開国(敗戦と米軍による占領を第二の開国と呼ぶべきだろう)だと言われているが、これは幕末の開国以上に言葉に踊らされている。と言うのは、日本はもう既にじゅうぶん開国しているからだ。
まず一九五五年に、日本はGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に加入して以来、輸入関税を一貫して引き下げてきている。日本工業の競争力がますます強くなって、貿易黒字が巨額になると、日本は欧米諸国の要求に応じて、彼らも日本に工業製品を輸出しやすいように、工業製品への関税率を世界でも最低のレベルに下げた(それでも、日本ではディーラー網の展開などにカネがかかり過ぎるので、欧米企業はなかなか進出できなかったのだが)。
当時の日本は莫大な対米黒字をあげていたし、安全保障で依存していたので、アメリカの要求には弱かった。アメリカ政府は、日本への輸出を拡大したい業界、企業の利益を代表し、日本に大きな圧力を何度もかけた。その結果日本は牛肉・オレンジ(一九八八年)、携帯電話モトローラ社の日本市場参入、大店法(二〇〇〇年)など数々の譲歩を行ったが、いずれも日本社会を一変させるような結果はもたらしていない。
TPPと同じようなことは、GATTとその後身WTOが推進した「ウルグァイ・ラウンド」(一九八六年から一九九五年にかけて、加盟国が交渉の結果、多数の品目の関税率を一括して下げ、その他の貿易障壁も撤廃したこと)の時にも起きている。これは、日本からの工業製品輸出拡大に有利なものだったのだが、日本国内の議論はもっぱらコメの輸入自由化をめぐって沸騰した。日本は最後まで抵抗したあげく(最後まで抵抗しないと、農協が納得しない)六兆円もの救済措置を取ることを農協に約束し、徐々の少量の自由化を認めることで手を打った。
そして二〇〇一年には、WTOが「ドーハ・ラウンド」を始めた。これは関税だけでなく、知的所有権の保護なども改善しようとしたものだが、それに中国、インドなどの諸国が抵抗し、今に至るも決着していない。そのために今、自由貿易協定を二国間、多国間で結ぶことで、WTOができないことを有志国の間だけで進めてしまおうという動きが盛んなのであり、TPPもその一つなのだ。
TPPは、アメリカが始めたものではない。ニュージーランドやシンガポールが細々と、しかし大きな野心をもって始めたものだ。二〇〇八年オバマ大統領はこれに乗る決意をしたのだが、その時彼の頭の中にはいくつかのもくろみがあったことだろう。一つはもちろん、ドーハ・ラウンドを止めている中国、インドなどを除外して、多数国間の貿易自由化を進めたいということ(二国間で自由貿易協定をいくつもやるより便利)、貿易自由化を進めることで、世界が戦前のようにいくつかの経済圏に分割されてアメリカの市場が小さくなるのを防ぐこと、そしてアメリカ主導の自由貿易メカニズムをアジア・太平洋で深化させることで、中国が一方的な貿易制限措置を取りにくいようにすること、などである。
これは、アジア太平洋諸国を自分の市場としている日本にとっても得になる構想で、本来ならば共に率先してメカニズムを決めていくべき話だろう。いつも他人が作った枠組みに入れてもらうことだけやっていないで、枠組みの設計・施工から加われば、自分に都合のいい仕組みも作りつけることができるからだ。
利権が妨げるTPP設立交渉参加
ではなぜ、日本はTPP設立交渉に参加しようとしないのか? それは国益と言うよりは、もっと狭い範囲の利権に縛られているからだ。TPPに最も反対しているのは、農協と日本医師会である。このうち農協の御家の事情を見てみよう。日本の農協は、職員三〇万人を抱える大独占企業体である。農業よりも金融で利益を上げているが、農産物の集荷・流通、農機・農薬の販売からメンテまで、農村部の利権を幅広く押さえている。戦後は米価をつりあげることで、明治以降疲弊した農村に都市の富を移転し、今日のインフラが整った美しい農村を作り上げた。そして前述のウルグァイ・ラウンドの時は最後までコメ輸入自由化に抵抗することで、二兆円強もの補助金を政府からせしめている。
農協はその返礼として、自民党を戦後長く支えてきた。全国三〇万人もの農協職員は、終業後や週末にも政党支援活動で駆り出されている。だから、民主党政権がTPP入りを言い始めた時、農協は民主党が農協つぶし、自民党たたきの挙に出てきたと思ったに違いない。そうでないとしても、TPPのようなものには、「抵抗して補助金」という発想が働きがちなのだ。
今回、自民党が政権に返り咲いたことで、TPP加盟の見返りに補助金が支払われることになるのだろうが、そのカネは農業の構造改革に使われるべきだろう。TPP推進論者は農業を邪魔者扱いしがちだが、そうではなく、TPPも農業界の利益も同時に立てるやり方を考えるのだ。オランダは、あの小さな国土で、農産物輸出額は世界二位である。それは花卉や酪農製品のような付加価値の高いものを沢山輸出しているからである。日本は、中国、ASEAN、インドという、農産物、食品の大市場を近くに持つ。日本ではコメも果物も、芸術品並みに品種改良を繰り返したものを作っている。ワインもチーズも、この頃では欧州産に遜色のない製品を作るようになった。これをもっと広めて、大々的に輸出することは可能だろう。
それを可能にするには、農家の集約化、農業の工業化(工場の跡地などで、腰を屈めずに作業できる室内農場が伸びている)をはかること、そしてグローバルな販売体制を整備することが必要で、そのためには農協が商社化することも必要になるだろう。だが、日本の農家が土地を手放したがらないことが、農家の集約化を阻んでいる。農協は大企業が自分の地盤に食い込んでくるのを歓迎しないかもしれない。
そのような時に農協を敵視し、非難すると、彼らはますます頑なになって、改革に抵抗する。三〇万人もの大組織を簡単につぶすことはできないのだから、そこは農協と手を組んで、彼ら自身の利益にもなる方向で改革を進めていくしかないだろう。
「TPP加盟の収支は、日本に損」?
「日本は円高のせいで、もう輸出は増やせない。ならばTPPに入っても、日本の輸出は増えない代わりに輸入ばかり増えて、損をする」という見方がある。本当だろうか? 二〇一一年、日本は円高、かつ東日本大地震直後という状況のなかでも四四六万台の自動車を輸出している(二〇一〇年は四八四万台)。TPPに入って、米国その他の輸入関税が低下して、その結果輸出がたとえば十%伸びたとすると、これは約一兆円の増収になるだろう。自動車だけではなく、日本の輸出全体が五%増えるとすると、それは約三兆円強に相当する。
逆に、TPPに加盟した結果、アメリカ、豪州などからコメの輸入が急増し、日本の需要の二〇%に達したとすると、その総額はだいたい一兆円弱である。金額だけ見るかぎり、TPPに入れば得する分は損する分より大きい。そして日本のコシヒカリやヒトメボレはなくならない。
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