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街角での雑想

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2008年7月22日

秋野豊氏がタジキスタンで遭難して10年ーー「秋野豊賞」を残そう

僕の友人でもあった秋野豊・筑波大学助教授がタジキスタンで反政府勢力に殺されて、早10年たった。彼は、ソ連崩壊後内戦に明け暮れていたタジキスタンに、外務省に頼まれて国連タジキスタン監視団の政務官として派遣され、アフガニスタンに逃げていたタジキスタン難民の帰還促進などの仕事をしていたのが、98年7月まだ残っていた反政府勢力に狙撃されて亡くなったのだ。

秋野氏は柔道、ラグビーで鍛えた猛者でもあり、その明るく人なつっこい性格で、タジキスタンでも多くの人々に尊敬され、愛されていた。彼はもともと東欧専門家として学者歴を始めたのだが、80年代後半の東欧といえばソ連圏を離脱して戦後の国際政治の枠組みを根本的に変えてしまうだろう気配を見せ始めていた。そこで彼は、地域専門というよりも、枠組み変更専門、動乱専門という方向に傾いたのだ。以後はコーカサスや中ソ国境など、紛争地域を足で回り、野武士のような反乱軍司令官、独立運動家と会い、肌で感じた政治学を完成させていった。

秋野氏の提示する仮説は壮大で、世界の枠組みを所与のものとしてではなく、日本人もその変革・改革に参加していけるもの、いや、していくべきものとして取り組んでいくその姿勢には、専門化・細分化し過ぎてしまった今日の学問に対する強烈なアンチテーゼがあった。

彼が亡くなった時、ご家族、そして近しい人たちは「秋野豊ユーラシア基金」という基金を設立した。秋野夫人は若い頃は、秋野氏の運転するオートバイの後ろにつかまって飛ばすこともあった(という)、秋野さんにぴったりの人だが、毎年この基金から「秋野豊賞」を論文コンクールの入賞者達に贈っている。この賞をもらった人たちは必ずしも全てが学者になったわけではないが、タリバン後のアフガニスタンに2年も勤務して武装勢力の非武装化(DDR)を担当した若い女性など、秋野さんの精神を引き継ぐ前向きの若者達が育っている。

で、7月18日、早稲田大学で秋野豊氏を記念したシンポジウムが開かれ、その後今年の「秋野豊賞」が贈られた。秋野豊氏はこうして死後も、日本という狭い枠にははまりきれず、世界中で活躍する人材を育てているのだ。

だがこの「秋野豊賞」も、あと数年で資金が尽きる。もったいない。日本のために政府に依頼されて危地に赴き、その職務遂行中に遭難した人々については、その名が意味のある形で後世に残るよう、政府も努めなければいけないと思う。

(なお今般、秋野助教授にゆかりのある学者、専門家たちが集まって、「ユーラシアの紛争と平和」という書籍を明石書店から刊行した〔僕もその中で、「政府の役割」という一節を担当している〕。
国際紛争解決に貢献することに関心を持つ学生諸君などには、是非読んでもらいたい。
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