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論文

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2008年4月 4日

ロシアはどう変わっていくか? 

(2月18日、日本工業倶楽部での講演要旨)

「変わるロシア――好い方へ? あるいは悪い方向へ?」


ロシアをめぐる数々の誤解
ロシアについては先ず我々の理解を統一する必要があります。日本におけるロシアについてのイメージが混乱しています。いつの時代のソ連かいつの時代のロシアかを念頭に置いて考えるかによってイメージが全然違ってくるからです。日本ではロシアというと一つは「怖い」と言う方がまだたくさんいます。これは第二次世界大戦末期の記憶が強いためだろうと思います。突然満州に攻め込んで来て、日本人六十万人を捕虜にして強制労働を強いたことが、非常に怖い国だというイメージにつながっていると思います。ただ実際のロシア人というのはヨーロッパ人に比べるとはるかに温かい人たちです。私は一九七三年にロシアに留学以来、多くのロシア人と付き合ってきていますが、その経験からの感想で
す。

二つ目は、「得体が知れない連中」、「なんか役人じみている」というイメージです。しかしこれも実際に付き合ってみればそんなことはありません。ロシア人は友人に対しては非常に信義を尽くします。しかし友人でない人達に対してはだまして当然と思っているところがあります。ただそのだまし方は非常に見え見えで、その意味では愛すべき人たちであるとも言えます。

三つ目は、「物がない国である」というイメージです。その根拠に「商店で行列がある」ということを言われる方がおられる。しかしこれはかつてのソ連時代のことであって、今のロシアではそういうことは全然ありません。

四つ目は、現代のロシアについて「暴力と格差が支配している世界」というイメージです。これを挙げる方がたくさんおられますし、たしかに十年ぐらい前のロシアでは道路際に撃ち殺されて横たわっている死体を時々目にしました。今も時々殺人がありますけれども、当時より数はぐんと減っています。

大衆消費社会になったロシア
では、現在のロシアの実際の状況はどうかということなんですが、これについてはモスクワのシェレメチェボ国際空港からモスクワ市内まで車で走りますとよく分かります。以前だと五十分もかかりませんでした。ところが今は一日仕事だと思ってなければいけないくらいの渋滞道路になっています。理由は空港へ通ずる道路が1,2本しかないうえに、車で埋まっているからです。駐車場みたいになって全く動かない時もあるくらいなんですが、沿道を埋めている車は、道路沿いにある大型のショッピングセンターへの買い物に出た車です。スウェーデンの家具センターIKEAなどが沿道に並んでいるわけです。これらのショッピングセンターの駐車場はと言うと、ベンツとかBMWの外車だけではなく、昔の古いソ連時代のジグリやモスクビッチといった大衆車がびっしりと並んでいます。つまり、中産階級が増えて、彼らが西側の商品をごく普通に買い物に来るために渋滞を起こしているわけです。

経済発展はロシアのGDPを見れば直ぐに分かります。ロシアのGDPは二〇〇〇年に五兆ルーブル、約二十兆円でした。これが昨年には百十兆円になっています。G8の中にロシアは入っておりますけれども、その資格が本当にできちゃったわけです。もうすぐカナダを抜こうかという水準です。わずか七年の間にこれだけの急成長をやった国は世界史上ないと思います。多くのその要因が石油価格の急上昇、一バレル=二〇ドルから一〇〇ドルになったことによって実現したことはご承知の通りです。

経済発展の結果、例えばモスクワの地下鉄が三年ぐらい前に比べると格段にきれいになっています。浮浪者も目に付かなくなりました。モスクワではかつてのような格差は目立たなくなっています。しかし良いことばかりではありません。ものすごいインフレ経済になっています。公式の数字は昨年で一二%強ですけれども、CPIの指標となる項目に大衆が一般的に買っている商品を入れて計算したら、インフレ率は二〇%から三〇%だと言われております。ただその一方で賃金が二〇%から三〇%増えておりますから、国民は何とか切り抜けているようです。私は昨年六月、普通のファミリーレストランでスパゲッティ・ミートソースを注文したのですが四千円くらいの値段が付いているのには全く驚かされました。

現在モスクワは消費ブームに湧いております。それを目がけて外国企業もどんどん進出しておりますけれども、その消費ブームはかなり人為的にかき立てられている。何故かと言うと、消費者ローンの拡大によって、消費があおられている面があるからです。
消費者ローンは三年前ぐらいにモスクワで始まり、それ以来ロシア全土に急激に広まっています。ロシアの銀行がヨーロッパの資本市場で割と安いお金を短期で借りてきて、これを長期の大変な高金利の消費者ローンにして国民に貸し出しています。実質数十パーセントの金利とも言われておりますが、それでもロシア国民は目先の買い物に便利だとしてどんどん借りています。現在ロシアの輸入は年間三〇%から四〇%伸びておりますけれども、その一つの背景は消費者ローンの拡大による消費ブームだと言えます。

今もひきずる歴史の蔭そういう現在のロシアは、これまで考えられてきたロシアとは全然違うわけですけれども、ここでロシアの歴史を簡単に振り返って、ロシアの本質的なものについて探ってみたいと思います。
ユーラシア大陸の歴史はたくさんの民族が渾然一体となってお互いに侵略しあいながら作ってきた歴史であるわけです。ですからユーラシアの文化もそれだけの広がりを持っています。我々はオリエントという言葉で総称しているんだと思います。ギリシャやペルシャの文化、スキタイ、トルコやモンゴルなどの遊牧民族、中央アジアのソグド人などの通商に長けた民族、それから歴代中国の王朝の文化が渾然一体になっているわけです。最近、学会では「グローバルヒストリー」というような言葉の下に総合的な研究をしようではないかという動きが高まっていますが、ユーラシア、特にロシアについてもそういう目で見なければいけないということです。

ロシアは大体西暦七〇〇年ぐらいから歴史に登場してきます。最初は都市国家であったわけです。ロシア北西部にはノヴゴロドという古い街があります。それから南にウクライナの首都のキーエフ、その他たくさん都市がありますけれども、これらはこの地域に西暦七〇〇年頃にヨーロッパ中に南下したバイキングによって始められ、コンスタンチノーポリ(当時の世界の中心の一つ。現在のイスタンブール)に集積されたアジアからの産品を河川を通じて北欧地方に流通させる交易によって発展していきました。ロシアはこうした都市国家、商業都市国家から出発したわけです。

このノヴゴロド、キーエフといった都市では、西暦八〇〇年頃から共和制による統治が行われたと言われています。その後千二百年代になってロシアはモンゴルに征服されます。それ以来三百年間くらいモンゴルによる支配が続きますが、その支配は間接支配でありました。モンゴルの汗はカスピ海のほとりに本拠を構え、ロシアの統治を請け負ったロシア人の諸侯は集めた税金を毎年、そこへ持参したのです。

ロシア人はモンゴルに三百年間治められたことによってロシアの発展は遅れたというふうに言いたがりますが、しかし本当にそうかどうかは分かりません。と言いますのは、モンゴル帝国がユーラシアを統一したことによって、統一市場ができました。その結果、関税がなくなったのですが、これがイタリアの都市国家などの繁栄をもたらしたからです。

ただ何故かロシアはモンゴルによるユーラシア統一の経済的な利益をあまり享受することはなかったと言われています。因みにロシアではルネッサンスと宗教革命が起こっていません。ロシアはビザンチンのギリシャ正教を受け継いだロシア正教が九八八年から今日まで続いています。この間改革する動きはあったものの、ドイツのルターが行ったような宗教改革はありません。その点では個人の精神の解放というものがなかったと言えます。

時代が少し下って、西ヨーロッパは植民地主義、国民国家、産業革命の時代になります。私はこの三つを西欧の歴史を動かした三点セットと名付けておりますが、ロシアではそういう現象も起こりませんでした。

十七世紀の初めの頃のロシアは戦国時代です。ポーランド軍のモスクワ占領後一六一三年ロマノフ王朝ができました。その下でだんだん専制的な絶対主義国家が築かれていったわけです。一六四九年に農民を土地に縛りつけるための法律が制定され、ここから農奴制が始まりました。廃止されたのが一八六一年ですから、二百年以上にわたって続いたことになります。これは「農奴制」ではありますけれども、ロシア人によるロシア民族の奴隷化ですから、その間のロシア民族が受けた心理的なトラウマ、ギャップはその後のロシアの歴史に影響を与えたのではないかと思います。

帝政ロシアにおいては、もう一つ集団所有の伝統ができました。「ミール」と呼ばれる制度です。「ミール」は世界とか平和を意味するロシア語ですが、ここでは村落共同体を意味しています。ロシアの農地は農民が個人で持っているのではなくて、村が集団で差配していたところが大多数であったわけです。耕地の肥沃度の差から生ずる不公平をなくするため、二年か三年に一度耕す土地を取り替えた制度がミールです。こうした習慣は西欧でも日本でも見られたものですが、ロシアはこの集団所有のメンタリティーを引きずったまま現代に至っている。西欧や日本の経済発展は、私的財産権が確立されていたことに大きく由来しているのですが、ロシアはその点ハンディを負っているということです。このことはまた後で説明します。

ロシアの君主制絶対主義王朝は一九一七年の革命によって終わったわけですが、そのロシアの歴史が残したものの一つはエリートと大衆間の格差です。所得水準だけではなく、メンタリティが違います。ロシアのエリートと呼ばれる人々は元々「拡張志向」があります。投資で儲けて例えば事業拡張したいといった欲求です。これに対して大衆は、どこでもそうなんですけれども、現在あるものをとにかく分けてしまいたいという指向が強い。

二つには「良心的なインテリ」は常に反体制的になるしかないということです。国の近代化をはかるには、絶対主義、反動の政府を倒すしかなかったからです。因みに現在のロシアのインテリというのはどうかと言うと、まあ殆どが生活に一生懸命で、社会の矛盾を批判する良心とか反体制的な思考に構っている余裕はありません。

先ほどの「集団所有」の考え方に話を戻します。映画の「ドクトルジバゴ」では革命の後、ジバゴがある日家に帰ってみると、その広いアパートの一室一室に貧乏な家族が住みついているというシーンがあります。これが集団所有の典型であり、もっと大規模な形にしたのが企業の国有化です。

「集団所有」の伝統と企業国有化
レーニンは権力を握った直後、企業を全部国有化しようとは全然考えていなかった。レーニンは「ロシアの労働者はヨーロッパに比べて遅れている。企業の運営を彼らに委ねることはできない」とはっきり書いています。レーニンが考えていたのは、大銀行とか大企業に限っての国有化でありました。

ところが革命に伴う混乱の中、企業や商店は次から次へと労働者・労働組合の所有とされてしまいました。彼らはそれまでの工場長や社長を追い払い、絶対に解雇されることのない体制を築いたのです。しかし労働者の所有と宣言しても、運転資金はないし、原材料も来ませんから、困った労働者は結局は所有企業を政府に捧げるという動きに出たわけです。当時のレーニンが書き残したものを見ますと、大変困っております。これがロシア企業全部が国有化されて行った経緯です。

その後、一時自由化の動きがありましたけれども、結局スターリンが政権を握って、国有企業をベースにして計画経済体制ができ上がるわけです。ですから、ロシアの企業の国有化というのは当局がイデオロギーに基づいてしたものではなくて、大衆の短視眼的利益に沿った動きに共産党が乗っからざるを得なかったということになります。

こういうソ連の企業の国有化の流れを見ますと、ソ連というのは独裁なのだけれども、その本質は大衆による独裁だと私は思います。と言うか、大衆の名における一部エリートの権力、利権の独占です。それをベースにして行われたのがスターリン大粛清だと思います。

ロシアでは国民の間にあった集団所有を是とする気持ちをベースにして計画経済ができあがりました。しかし計画経済というのはいかにコンピューターが発達しようが駄目だと思います。何故かと言うと、人間は予測不可能であるからです。人間はコンピューターで予測することができないからです。

計画そのものは一概に悪いものではない。日本の企業だって計画で動いています。ただ企業の計画とソ連の計画経済では決定的な違いがあります。ソ連の経済計画は、国全体に関して生産から販売まですべてにわたって作られています。全てにわたって役人が調整して決め、しかも決めた後は一年間基本的に動かせません。こういう一党独裁計画経済が硬直的で次第に衰退していった理由については省略しますが、ソ連の計画経済がダイナミズムを失ったのはある意味必然だったと言えます。

ソ連経済を崩壊させたものは
ソ連経済を崩壊させた原因は二つあります。一つは計画の基本的な調整を共産党がやっていたということです。ソ連の政府というのは、自動車省、鉄道省といった現業部門を中心にした各省の集まりです。そして各省の地位は平等ですから、省間の調整をしにくいんです。各省の上に誰か権威を持つ者でないと調整できない。その権威者が共産党であったわけです。実際にソ連共産党の中央委員会は軽工業部や重工業部などの部局を持ち、各省の間の調整をしていましたし、都市では地区ごとの共産党委員会が野菜の流通に至るまで差配していました。そのことは、ソ連崩壊後出てきたいろんな党の文書で明らかになっています。中村逸郎という学者の書いた「東京発モスクワ秘密文書」にも、そういうことが書いてあります。

もう一つのソ連経済の問題は、鉱工業生産の六〇%以上が軍事関連だったことです。いろんな統計があって、確かなことは言えないんですけれども、当時のソ連経済では、石油天然ガス、穀物(農業)、兵器、それから石油掘削関係の機械機器産業などが主要産業でしたが、そのうち六〇%以上が付加価値を生まない兵器産業であったわけです。しかも当時のロシアの兵器生産はコスト無視で行われていました。いくら不良品を出しても検査ではねるだけでいい。それからマーケティングその他が完全に不在。競争がないからです。兵器生産は、全てを政府の注文に頼っている。

こうした軍事産業偏重の中で、耐久消費財は軍事工場の片隅で細々と生産されていましたので、ろくな製品はできませんでした。七三年に初めて私はソ連に留学したのですが、この時使った洗濯機は動きはしたものの震動は大きい上に、汚れが落ちない、洗濯物を痛めるといった欠陥製品でした。当時西側の経済は耐久消費財の革命で一気に拡大していきました。しかしソ連経済はこれに乗ることができなかっただけでなく、ろくな製品は作れない状況にあったわけです。

それでもソ連は何とかやっていました。特に一九七〇年代は二回の石油危機があって、石油価格が随分上がりました。これで得た収入で西側からどんどんプラントを輸入し、耐久消費財産業の発展を計るなどの改革を行ったわけです。ですから日本からも当時、随分とソ連向けプラントが出ました。
ところが一九八五年、サウジアラビアの石油の大増産がきっかけになって、石油価格が暴落しました。一バレル二〇ドルぐらいから一バレル一〇ドル以下に暴落したのですが、この影響でソ連は財政赤字に陥りました。加えてアメリカのレーガン大統領が打ち出した「SDI計画」に対抗するための膨大な軍事予算を求められていました。

こういう状況の中で共産党書記長になったゴルバチョフが始めた改革がペレストロイカです。ペレストロイカというのは一種の規制緩和なんです。しかしこのペレストロイカによってソ連経済は大変なインフレ圧力と流通の崩壊に見舞われ、一九九一年十二月にはソ連は崩壊します。翌九二年一月、エリツィンがロシアの支配者になりますが、彼が最初にやったことが価格の自由化です。自由化しないと物が店に出て来なくなっていましたから、やらざるを得なかったわけですが、その後の二年間六〇〇〇%というものすごいインフレが起こりました。

もう一つのロシア経済の不安定化を助長したのが民営化政策です。この民営化によって、国営企業がろくな資産査定もなしに、政府高官と関係が深い人たちに安価に売り渡されていく。当局は国営企業が共産党の金づるになることを恐れて、民営化を急いだのだと思いますが、これが明治時代の財閥を思わせるようなオリガークと称される独占資本家の台頭を招きます。彼らは自分たちの利益を貫くために政治力を持とうとしましたから、政治も不安定になりました。

ロシアにとって九二年からの四年間は、困窮と屈辱と動乱の四年間であったと言ってよいと思います。力と金が横行する一方で、一般庶民はなけなしの財産を売っての生活を強いられたわけです。そういう国民の状況で出てきたのがプーチン大統領です。ですからプーチン大統領にかけられた期待は、先ず治安の確保、収入の保証であり、さらには国家の威信の回復です。ロシアでは西側よりはるかに大きな比率の人達が公務員、あるいは公務員に準ずる地位にあるため、政府への依存度が非常に大きいのです。また現在のロシアはだんだん余裕ができてきたためか、国家の威信の回復を望む声も徐々に大きくなっていることが世論調査などに現れています。

つまり現在のプーチン政権は言論の抑圧とかを西側から批判されますが、それはソ連的なDNAを持った政治家達が自分勝手にやっていることではないのです。世論調査の結果は、国民が「自由」とか「民主主義」よりも、「秩序」を求めていることを示しています。したがって、プーチン政権のやり方を批判する者は、ロシアの大衆を敵に回してしまう可能性があるということです。

メドベージェフ大統領になると
次に現在のロシアについて話を戻しますと、三月二日には大統領選挙が行われます。これはプーチン大統領のお墨付きを得ているメドベージェフ第一副首相で事実上決まりだろうと思います(三月二日七〇%の支持率で当選)。

メドベージェフ氏は現在四十三歳です。サンクトペテル大学法学部を卒業した後、九〇年代の初期にはサンクト・ペテルブルクの市政府でプーチン部長の下で対外経済関係法律顧問を務めています。九九年八月プーチン首相の副官房長官、次いで十二月には大統領府副長官に就いて、プーチン大統領の選対本部長として働いています。

ではメドベージェフが新大統領になってロシアは安泰かと言うと、そうも言い切れません。むしろ就任した後が問題だろうと思います。インフレがだんだん激しくなっております。それから貿易黒字が縮小し始めています。その中で国民は依存気質を強めています。それからメドベージェフ大統領、プーチン首相でコンビを組むわけですが、二人の関係はともかくとして、部下同士が権限闘争を始める可能性が多いにあります。これは例えて言えば首相官邸と自民党みたいな関係になります。

もう一つの問題は誰が軍、諜報機関や警察といった国家の暴力装置、いわゆる「力の機関」をメドベージェフはどれだけコントロールできるかということです。諜報機関の内部では、去年の秋、争いが表面化しております。プーチン大統領に親しい勢力がお互いに権力争いをやっている。既に何人かが逮捕され、殺された人もいます。これらの事件は当事者がロシアの新聞に発言する形で表面化したのですが、そのようなことはソ連、ロシアの歴史を通じて未だなかったことです。

波乱要因はアメリカの新大統領、そして経済の先行き
もう一つの波瀾要因は西側、特に米国新政権の出方です。米ロ関係はコソヴォの独立や東欧へのミサイル防衛設備の配置等をめぐって摩擦が高まっていますが、ブッシュ政権はイラク戦争にその政策重点を置いているうえ、ブッシュ・プーチン間の個人的な信頼関係もあって、本格的な対立は回避するでしょう。ロシアにも、新たな軍拡競争を開始するだけの体力はありません。しかし米国の次の政権がロシアにどう出るかは、まだ読めません。ロシアの識者は、直情径行的なマッケインが大統領になるのを恐れているようです(注:マッケインは3月末、ロシアをG8から放逐するべきであると発言)。

最も懸念される要因というのは経済にあります。現在のロシア経済は繁栄しているように見えますけれども、脆弱です。現在のロシア経済の主な富の源泉は四つあります。まず一つは、申し上げるまでもなく石油天然ガスの輸出収入です。これをベースにして銀行、流通、サービス産業が拡大しました。二つ目の源は短期の外国からの融資です。主にヨーロッパの資本市場で調達しているのですが、この内のかなりの部分はロシア人自身が外国に逃避させた資本が国内に戻ってきている分だと言われています。これが消費者ローン、建設不動産ローンでロシア経済を大きくブーストしています。ロシアでは中国ほど不動産建設が経済成長を支えてはいないんですけれども、だんだんそうなってきているというのが最近のロシア経済の状況です。長い間、社会主義経済の下で土地は全て国有でしたから、再開発はやり易いということが言えます。

三つ目が、FDI(外国直接投資)です。外国直接投資は重要ですが、欧米資本はその多くを製造業ではなくサービス部門、エネルギー部門に出資しています。

四つ目が国産品で、最も地道な富だと言えるでしょう。食品、家具、建材、石油機器、鉄などの素材の生産が主なものです。そのほか忘れてならないのは、ロシアは穀物輸出国になっているということです。ブレジネフ時代のソ連は穀物の輸入大国でした。しかし九〇年代の経済混乱でその穀物を輸入する資金がなくなったため、牛を大量に屠殺しました。ですから現在牛肉は輸入していますが、その分余った穀物を輸出することができるようになっているわけです。

GDPの内訳を数字で見ますと、貿易黒字がGDPの約一三%を占めています。消費の半分を短期の外国からのローンが占めてますので、同約二五%です。FDI(直接外国投資)は年度によって大きく振れるんですけれども、去年は約六%相当ぐらいです。つまりロシアの経済では、外的要因がGDPの四〇%以上を占めるということなのです。石油とそれがもたらす信用に大きく依存している脆弱な経済だと言えましょう。

現在ロシアでは、石油収入の増加がバブル的状況を生み出しています。収入は増えていますが、ものの価格も上がっていて、両者の間の差が実質的な生活向上分になるわけです。ルーブルのレートが上がっているにもかかわらず価格が上がり勝ちなのは、海外での原油価格の高騰がロシア国内にも跳ね返ってきてしまうことと、製造業が振るわないことに原因があるでしょう。プーチン大統領もこの点は重々認識していて、製造業を振興するべきであるということは何回も演説しています。そして具体的に六つの分野を重視するということも明言しています。原子力、宇宙、航空機、IT、造船、ナノテクノロジーの六分野です。ロシア政府としてはこの六つの部門では世界市場の一〇%を取るという目標を立てています。もっとも、製造業に対する投資は全投資の一三%にしか過ぎないのですが。

原子力について補足しますと、ロシアはチェルノブイリの事故の後長い間国内向けの原子炉は作ってこなかったものの、国外ではいくつも作っています。例えば昨年八月には中国・江蘇省にロシア製原子炉が完成したばかりですし、イラン、インドにも今建設中です。日本も、技術的優位にあぐらをかいて安心しているわけにはいかないのです。

バブルの要因の第二は賃金の上昇と消費者ローンの拡大です。賃金は毎年二〇%から三〇%も上がっています。二つの要素によって国民の消費意欲はどんどんかき立てられております。
もう一つは昨年十二月の総選挙と今年三月の大統領選挙に関係した選挙対策の目的の政府のばらまき政策です。年金が引き上げられましたし、公務員や軍人の給料が三〇%ぐらい引き上げられました。加えて石油マネーがどんどん入ってきています。そのために金融当局が余計なお金を市場から吸い上げて不胎化しているんですけれども、不胎化しきれないで残っています。こういうのが全て重なって、バブル、インフレを呼んでおります。物の価格がどんどん上がっています。例えば学生食堂でさえ、外来者は一食800円ほどを払わされます(学生は300円ほど)。

インフレに食われる経済成長
ですから経済規模が大きくなっているように見えますけれども、実態は上げ底経済です。
輸入が急増しているという問題もあります。輸入の急増によって貿易黒字の伸びは低下している。しかも外国から借りたお金に対する返済が増えていまして、これが経常黒字を減らす一因になっています。それどころか、このままいきますと二年内外で経常収支の黒字はなくなって赤字になるとの見方もあるわけです(注:その後更に原油価格が上昇したため、右のような見方は後退した)。

そういう時、もし石油価格が暴落するような状況になったらどうなるでしょうか。一九八五年にゴルバチョフが登場した時に石油価格が暴落してソ連がペレストロイカに踏み込んだ、その時の繰り返しまで行くとは思いませんけれども、かなり荒れるのは確かだと思います。

ロシア経済に対する懸念材料としては、さらに「経済統制のDNA」が戻ってきつつあるという問題があります。その原因は何かと言うと、昨年の九月から十二月にかけての食品価格の急騰です。現在ロシアでは多くの食品を輸入に依存しています。例えば牛乳の二〇%は輸入です。この牛乳を初めとして、パン、卵、砂糖、チーズなどの価格が急騰しました。国民の四〇%は、収入の五〇~七四%ぐらいをそうした食品で消費している。そのために政府は食品価格の統制に踏み切りました。当初は今年一月の期限だったのですが五月まで延長されています。

しかし政府のそうした価格統制が、国民の中にまたぞろ依存体質を呼び戻している。これは「計画経済の方がよい」とする世論が昨年は五二%に増え、逆に市場に基づく経済をよしとするのは二九%に減っていることにも現れていると思います。

それでも経済大国に
ロシアの経済についてはいろいろ心配なところがありますし、製造業大国に変身することもないと思いますが、他方一九九二年や一九九八年八月のような崩壊的状況に陥ることは見通せる限りではもはやないのではないかと思います。先進国でハイパー・インフレが生じてこれまでの原油価格上昇効果を否定でもしない限り、工業製品と原材料の間で交易条件が基本的に変わったことは、ロシア経済がこれから長期にわたって大きな市場であり続けることを保証するでしょう。たとえ原油価格が一時的に急落しても、現在のロシアはGDPの約半分相当の外貨準備を有するに至っていますので、ルーブル・レートの急落を抑えることができるのだと思います。

ロシアの経済発展貿易省は、二〇二〇年までにロシアは世界で五位程度のGDP規模に達するかもしれないとの見通しを発表しておりますが、原油価格がこれからそれほど上がらない状況の下でも、そのようなシナリオは十分達成可能であるかと思います。但しルーブルのレートはどんどん上がり、国内のインフレも進行するでしょうから、ホテル一泊が1千㌦になって不思議でないような、ソ連時代とはまた別の意味で西側とかけ離れた価格体系を有する国になっているかもしれません。

日露の間では現在、日本からロシアへの投資ブームが起きていますし、貿易額も僅かの間に三倍増して二百億㌦を超え、しかも日本の黒字になっています。経済関係の進展と北方領土問題のからみについてはいろいろの主張が日本国内でもありますが、経済関係の進展はロシア人をむしろ領土問題解決の方向に向けて動かすものになるでしょうし、そうしなければいけません。

サハリンの石油・天然ガス開発プロジェクトが進展しており、日本は近いうちにここから国内需要の十%以上の天然ガスを輸入することになるかもしれません。東シベリアの原油、天然ガスについては、中国と取り合いを演ずるほど豊かな埋蔵量が確認されているわけではないことに留意する必要がありますが、将来有望な方面ではあります。またロシア政府は現在、生産設備の近代化に政策の最重点を置いており、工作機械、素材等の輸出のためには良好な状況が現出しています。プーチン大統領は2月8日の演説で、ロシア経済をエネルギー輸出依存から技術革新経済へ転換させる、生産性を最低4倍とするため設備を全て入れ替える、と述べています。ところがロシアのビジネスマンや学生と話してみると、ヨーロッパの方ばかり向いているんですね。例えば日本が環境汚染技術で勝れていることさえ知らない。日本で風力発電所を作っていることも全然知りません。日本は家電と自動車しか作れない国だと思っているのでしょう。

ですから日本の工作機械、生産設備についての一大見本市をモスクワやサンクト・ペテルブルクで行うことが非常に大きな効果を上げると思います。ただし八十年代後半にも同じようなことがありました。ゴルバチョフ書記長が設備の近代化、機械産業振興に重点を置いたものですから、日本から機械機器がどんどん輸出されました。そしてソ連が崩壊したことで料金が未回収になり、九十年代長きに渡って日露経済関係の再出発を妨げたのです。果敢、かつ周到に進めなければならないのだと思います。
ご清聴有難うございました。      (終わり)

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