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論文

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2006年11月25日

経済的視点から見た中央アジア・その一

経済的視点から見た中央アジア・その一
       (「国際開発ジャーナル」06,11掲載)
Japan-World Trends代表
河東哲夫
小泉総理が中央アジアを訪問してから、日本でも中央アジア地域への関心の高まりが見られる。政府も日本の経済界に対して、この地域へのより真剣な取り組みを呼びかけているようだ。従って今号では、中央アジアとの経済関係が持つ可能性について述べたい。
既に述べたように、中央アジアというとシルクロードのイメージが先行し、客観的な理解を妨げている。中央アジアのうち水に恵まれた南半分は古くから大農耕地帯であり、整然と耕されたウズベキスタンの畑に見られるように、ものづくりの伝統はある。
鉄鉱石、石炭の産地に近いカザフスタン北部は製鉄の一大中心になっているし(現在ではインド人の製鉄王ミタルが進出している)、ウズベキスタンは大型輸送機イリューシン76を製造するチカロフ工場や、中央アジア一帯にトラクターを供給する大工場を有している。フェルガナには世界でも有数規模の精油所があるし、タジキスタンには安価な水力発電を利用したアルミニウムの大精錬工場がある。そしてその首都ドシャンベには紡績機械を製造する工場や、戦略ミサイルのジャイロに使う水晶発振子を磨く工場もあった。総じて中央アジアの都市部は、かつてのアジア的後進性というよりは、都市の体裁やインフラが一応整った中進国的様相を呈している。そしてソ連は、高い教育水準という良き遺産を残しもした。

社会主義集権経済の桎梏

しかし数字から見ると、中央アジア諸国の経済水準はさほど高くない。石油景気に沸くカザフスタンだけは一人当たりの年間所得が二千七百二十四ドルと(二〇〇四年)、中央アジアの中で唯一ロシアの水準を抜いているが、その他はウズベキスタンが四百六十一ドル、タジキスタンが三百二十三ドルと低いものがあり、未だに無償資金援助の対象国となっている。それに加えて、ソ連型社会主義集権計画経済が政府の機構や国民のメンタリティーに大きな痕を残しているから、工業化そして経済成長への道はさほど簡単ではない。
市場経済では、何をいくつ、何を使って、いくらで誰に売るか、という経済活動の基本については、私企業がそれぞれ計画を作っている。年度の途中で市場での需要が変われば、企業は原材料をスポット市場で仕入れたりして増産、または減産をはかることができる。ところがソ連の企業は利潤ではなく、「政府から命じられた」計画を達成することを最大目標として動いている。これは消費財の生産には根から向いていない体制なのであり、原材料の配分もすべて年度毎に政府が定めるから、スポット市場も存在しない。言ってみれば、市場経済は常に「余剰」の存在を前提に動いているが、計画経済ではすべてのものが余すところなく割り振られているから、多くのものが「不足」気味になる。それに「資本家による搾取を防ぐ」との名目で、付加価値を生み出すあらゆる生産手段は国有ないし集団有とされているから、競争などが起こりえるすべもない。経済は強い独占体質の下にある。
このように全ての富の源泉を一握りのエリート達が差配している社会では、何が起こるか? まず、国民は「お上」に対して依存心を持つようになる。アパートなどの不動産、車などの高価な動産については「自由に買う」ことのできる市場はごく規模が限られていて、大半は当局からの割当で入手することになる。夏休みの海の家や山の家の予約も、所属企業の労働組合が差配している。こうして国民は生活の大部分を当局に差配されて生きているが、それはまた究極の社会保障国家とも言え、呑んだくれていても解雇されることはなかったのだ。家賃、光熱費の類は名目だけで、メーターさえろくについていなかった。愚者の楽園と言われた所以である。
我々は、旧ソ連諸国はこのような社会主義を投げ捨て、今や市場経済の民主主義国になったのだ、とナイーブにも思い込んでいる。しかし、中央アジアも含めた旧ソ連諸国の実態はそんな甘いものではない。「改革」のためだと言われても、どこの国民が水道や電力料金の大幅値上げを甘受するだろうか? そして付加価値を生み出す工場、農園のすべてを国が所有している経済を、どうやって民営化できるというのか? 一社や二社ならいざ知らず、国中の企業を一気に民営化することは不可能だ。まず、それだけの資金が国内にはないだろう。それに市場経済の中で企業を経営するノウハウと能力を持った人材が、あまりいない。
だから、市場経済化とカップルで行われる「民主化」は、利権闘争の臭いを帯びることになる。これまでは国営資産の差配から締め出されてきた二流のエリート達が、時には外国からの資金を受けて「野党」なるものを作り上げ、議席を得ては国営資産の切り売りに首をつっこもうとする。議会はこれら群小政党が入り乱れ、収拾がつかない状態となる。九十年代初期のロシアがまさに、このような状態にあった。

中央アジアでのビジネスで気をつけるべきこと

中央アジア五カ国を合わせると、人口は約五千万人、GDPは約七兆円の規模を有している。日本はこの十年程の間に総計二千八百億円のODAを供与しているから、その分だけでもかなりの物資、サービス需要があることになる。五カ国の発展程度はまちまちであり、経済の市場化の進展度もまちまちである。
しかし一般的に言えることは、中央アジア諸国は民営化の初期段階にあるために所有関係が不透明であり、経済活動に当局が恣意的に介入することも未だに多いことが指摘できる。投資、輸出入案件の条件が上部からの介入によって契約後に変えられてしまう場合もある。
次に、事業拡大よりは保身と私利に身をやつす政治家、役人の類と商談をやることになる場合が多いということも指摘できる。これは、最近世界銀行の報告書がロシアについても指摘した、腐敗の問題のことである。邦人企業にとってみれば、それはコンプライアンスの問題だ。現地のエージェントを間に立てる等、腐敗への関与を避けながら商談を進める手はある。しかしエージェントは信頼できないし、彼ら自身、国内の諸利権の間で翻弄されつつやっとのことで商談をまとめている。だからその商談は大規模なものではあり得ず、しかも不確実である。OECDを中心にコンプライアンス強化がグローバルに進められているにもかかわらず、中国等はもちろんのことOECD加盟国企業でさえコンプライアンスに反している事例があることを日本政府はOECDなどの場で指摘し、正直な企業だけが割を食うことのないようにしなければなるまい。
また中央アジアの経済はソ連の中に組み込まれていたために、現在でもロシアとの関係には緊密なものがあり、これを無視して案件を進めるとリスクが生ずる。例えばタシケントの航空機工場はロシアからの部品搬入なしには成り立たないし、タジキスタンのアルミ精錬工場もロシアを経てのウクライナのボーキサイトの搬入、そして窓サッシ等の製品のロシア市場での販売がなければ成り立たない。中央アジアの送電網や鉄道網はロシアと一体のものとして建設されていて、中央アジアとロシアの公社の間の関係には緊密なものがある。だから、例えば電力関係の案件の場合、中央アジアがロシア企業から有利な条件を引き出すための当て馬として日本企業を使ったり、中央アジアとロシアの企業が裏で手を組んで西側企業から資金だけ巻き上げようとすることがあり得るということである。
こうしたリスクを避けるためには、ガスプロムやロスネフチと緊密に協力して中央アジアでのプロジェクトを進めることも一つのやり方である。但し、非鉄金属の一部のように、ロシアあるいは第三国の暗黒勢力が牛耳っている分野もあり、商談を進めるに当たっては情報を十分収集してとりかかる必要がある。
このような事情のために、中央アジアでの商談は手間に見合わないものとして敬遠されがちとなる。現地の日本企業担当者は若手が多く、積極的に案件を発掘しているが、本社でなかなか取り上げてもらえない。では公的融資をつけてビジネスを奨励すればいいと思うだろうが、ウズベキスタンやタジキスタンにはIMF,世界銀行が年間の融資限度枠を示しているため、公的融資も日本が恩恵を与えるというより、現地政府の日本への恩恵として「融資させていただく枠をもらう」という感じになってしまう。円借款はたびたび出るものでもなく、また入札に出すと、価格競争力で優る外国製品が落札することも多い。
ということで、まず暗い話題となったが、次号ではエネルギー資源を中心にこれからの明るい側面について述べることとしたい。


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